会員ログイン
判例特許

令和3年(行ケ)第10111号 特許有効審決の取消請求事件

「物」の利用対象物を限定する発明
令和4年6月22日(2022/6/22)判決言渡 判決文リンク
#特許 #第29条

1.実務への活かし

・~出願まで #29条1項2項 #明細書
 明細書において、物クレームにおける「物」そのものを、その「物」が使用される具体的な環境を想定して、利用対象物(物でなくても人やサービスなどでもよい。)や用途・機能などを特定していく形で、その「物」の上位概念・中位概念・下位概念を記載していくことが明細書の質向上に繋がる。
 つまり、明細書作成で概念化を検討するときは、具体的な技術要素だけでなく(これは少なくとも弁理士なら誰でもやっていると思う。)、その「物」が利用されるシーンにまで視点を広げて検討するとよい。

∵どのような「物」であるかを特定する(限定する)ことで進歩性の判断に有利に働くことがあるため、後に補正や訂正で対応できるよう出願時の明細書に盛り込んでおくとよい。本件では、「レーザ加工装置」における加工対象物が「ウェハ状である」という上位概念(特許査定時)から、「シリコンウェハである」という中位概念(訂正審判時)となり、「シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハ」という下位概念(無効審判における訂正請求時)になった。また、中位概念で無効と判断された請求項は下位概念で有効と判断された。(※本件では、下位概念の内容は、明細書に直接記されておらず、無効審判で挙げられた先行文献との差異を明確にするものとして認められている。明細書で挙げられた先行技術文献をベースに下位概念を導くことは難しいと思われるので、明細書に下位概念が書かれていないのは仕方ないと思う。)なお、後述の私個人の感想では、本件の進歩性判断に対する反対意見を述べているが、このような限定が進歩性判断に有利に寄与しうるということは否定していない。

2.概要

 株式会社東京精密が、特許権者である浜松ホトニクス株式会社の保有する特許権“特許第3935188号” の無効を主張していた特許無効審判事件で、特許有効の審決がなされたため、これを不服として審決取消訴訟を提起した事案である。(以下、株式会社東京精密を「東京精密」、浜松ホトニクス株式会社を「特許権者浜ホト」、特許第3935188号を「本件特許権」という。)
 知財高裁は、東京精密の請求を棄却した(本件特許権は有効)。

 本件での主な争点は、無効審判段階で特許権者浜ホトが行った訂正請求に対する訂正要件の充足性であり、特許権者浜ホトの行った訂正が、訂正の目的要件のいずれかに該当するか(特許法第134条の2第1項各号の該当性)が争われた。また、無効審判(無効2019-800068)では、訂正前の請求項に対して無効理由通知がされ、これに対して訂正請求を行い、訂正後の請求項が有効と判断されていることから、訂正の適否は、進歩性の判断に影響を与えるものであった。
 特許権者浜ホトは、請求項1の「前記加工対象物はシリコンウェアであることを特徴とするレーザ加工装置」を「前記加工対象物は、シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハであることを特徴とするレーザ加工装置」とする訂正を行い、これを特許請求の範囲の減縮を目的とするもので、訂正要件を満たす適法なものと主張した(特許法第134条の2第1項第一号該当)。これに対して東京精密は反論、特に、レーザ加工装置の物クレームである請求項1において、その物自体の構成が特定される形で減縮されていない訂正が減縮に当たるかについて主張したが、知財高裁は東京精密の主張を容れなかった。進歩性の判断については、訂正後の請求項について阻害事由による進歩性を認め、無効審判における審決の判断に誤りはないとした。

 東京精密の主張(判決から抜粋)
「物の発明においては、原則として、物の構成をもってその内容を把握すべきであり、構成要件の中に、物の客観的な構成の他に、特定の用途や使用方法に用いることが記載されていたとしても、その用途や使用方法に用いるために物の構成が特定の構成に限られることがなければ、それらの用途や使用方法の記載は、発明の構成を更に限定するものではない。…さらに、サブコンビネーション発明のクレーム解釈を参照すると、本件訂正の有無にかかわらず、特許請求の範囲によって定められる技術的範囲の広狭はない。」

 知財高裁の判断(判決から抜粋)
「原告は、前記第3の1⑴ア のとおり、訂正事項1によって、請求項1の装置について、溝が形成されていないシリコンウェハを切断することが用途になるとしても、レーザ加工装置の構成がそのような特定の構成に限られるものではないから、発明の構成を限定するものではないとか、いわゆるサブコンビネーション発明の理論によれば訂正の前後で発明の要旨の認定は変わらない旨主張する。しかし、アに説示したとおり、訂正事項1により概念上請求項1に係る発明が限定されることは明らかであり、特許法134条の2第1項の「特許請求の範囲の減縮」への該当性を判断するに当たっては、これで足りると解するのが相当である。また、本件発明をサブコンビネーション発明と解するかはさて措くとして、本件における上記該当性を判断するに当たって、サブコンビネーション発明のクレーム解釈や特許要件の考え方を直接参考にする必要性があるとは認め難いし、いずれにしても本件においては、訂正事項1に係る事項は、加工対象物のみを特定する事項にとどまらず、レーザ加工装置自体についてもその構造、機能を特定する意味を有するものと解するべきである」

3.本件のより詳細な説明、及び、判決内容の考察

3-1.本件特許権の内容について


 本件特許はレーザを利用して加工対象物を切断するレーザ加工に関するものである。従来の加工方法として、レーザ光を照射して加熱溶融させて切断する方法や、熱衝撃を生じさせて切断する方法があるが、これでは表面に溶融が残ったり、不要な割れが発生することがあるため、これを改善するレーザ加工装置を提供することが発明の目的である。(詳細は段落0001~0005)
 そのために、“多光子吸収”という現象を利用して、加工対象物の表面ではなく、その内部に改質スポットを形成させることが、特徴の一つとなっている。改質スポットは、材料の切断のために形成されるものである。なお、(正確ではないかもしれないが)多光子吸収とは、光のエネルギーの大小によって、材料が光を透過させるか吸収するかに変化が起こる現象くらいに思っておけば、判例の理解には支障はないと思う。つまり、加工対象物の内部で光を集光させることで、加工対象物の表面(集光されていない段階)では光のエネルギーは材料を透過する程度になっていて、内部では光の吸収が起こる程度にまでエネルギー密度が高くなり、材料内部で多光子吸収を発生させることで、表面ではなく内部に改質スポットが形成されるようである。(詳細は段落0012~0016)

 明細書段落0015の一部を抜粋
「図3~ 図5に示すように改質領域7が切断予定ライン5に沿って加工対象物1の内部にのみ形成される。本実施形態に係るレーザ加工方法は、加工対象物1がレーザ光Lを吸収することにより加工対象物1を発熱させて改質領域7を形成するのではない。加工対象物1にレーザ光Lを透過させ加工対象物1の内部に多光子吸収を発生させて改質領域7を形成している。よって、加工対象物1の表面3ではレーザ光Lがほとんど吸収されないので、加工対象物1の表面3が溶融することはない。」
 明細書段落0016の全文を抜粋
「加工対象物1の切断において、切断する箇所に起点があると加工対象物1はその起点から割れるので、図6に示すように比較的小さな力で加工対象物1を切断することができる。よって、加工対象物1の表面3に不必要な割れを発生させることなく加工対象物1の切断が可能となる。」

 また、このような改質スポットを一定間隔で複数設けるため(下図参照)に、一定の周波数で光をON/OFFし(パルス駆動し)、光の照射位置を移動させる。これに人為的に力を加えたりすると、改質領域(複数の改質スポットが形成されている領域のこと)を起点として、不必要な割れを発生させることなくウェハ状の加工対象物を切断することができる(詳細は段落0017)。

 明細書段落0017の全文を抜粋
「なお、改質領域を起点とした加工対象物の切断は、次の二通りが考えられる。一つは、改質領域形成後、加工対象物に人為的な力が印加されることにより、改質領域を起点として加工対象物が割れ、加工対象物が切断される場合である。これは、例えば加工対象物の厚みが大きい場合の切断である。人為的な力が印加されるとは、例えば、加工対象物の切断予定ラインに沿って加工対象物に曲げ応力やせん断応力を加えたり、加工対象物に温度差を与えることにより熱応力を発生させたりすることである。他の一つは、改質領域を形成することにより、改質領域を起点として加工対象物の断面方向(厚さ方向)に向かって自然に割れ、結果的に加工対象物が切断される場合である。これは、例えば加工対象物の厚みが小さい場合、厚さ方向に改質領域が1つでも可能であり、加工対象物の厚みが大きい場合、厚さ方向に複数の改質領域を形成することで可能となる。なお、この自然に割れる場合も、切断する箇所の表面上において、改質領域が形成されていない部分まで割れが先走ることがなく、改質部を形成した部分のみを割断することができるので、割断を制御よくすることができる。近年、シリコンウェハ等の半導体ウェハの厚さは薄くなる傾向にあるので、このような制御性のよい割断方法は大変有効である。」

 なお、シリコンウェハを加工対象物とした実験が行われたことも説明されており、このときのパルス幅は1μs以下の条件(具体的には30ns)である。(詳細は段落0025~0027)
 また、明細書の序盤は、具体的な加工の態様について説明され、次に、これを実現するレーザ加工装置が説明されている(段落0043以降)。そこでは、具体的な構成要件に係る、載置台107、レーザ光源101、及び集光用レンズ105(段落0043)や、全体制御部127、レーザ光源制御部102、及びステージ制御部115(全体制御部、あるいは、全体制御部と他の制御部も含めた複数の制御部が、請求項の「制御部」に相当するといえる。)(段落0053)
 そして、明細書等の内容に基づく、訂正後の請求項1(本件訂正発明1。下線部が訂正部分)は以下の通りである。(※本件特許権は訂正審判も行われているため、正確に伝えるなら、無効審判における訂正請求に係る訂正後の請求項1である。)

 本件訂正発明1
 ウェハ状の加工対象物の内部に、切断の起点となる改質領域を形成するレーザ加工装置であって、
 前記加工対象物が載置される載置台と、
 パルス幅が1μs以下のパルスレーザ光を出射するレーザ光源と、
 前記載置台に載置された前記加工対象物の内部に、前記レーザ光源から出射されたパルスレーザ光を集光し、1パルスのパルスレーザ光の照射により、そのパルスレーザ光の集光点の位置で改質スポットを形成させる集光用レンズと、
 隣り合う前記改質スポット間の距離が略一定となるように前記加工対象物の切断予定ラインに沿って形成された複数の前記改質スポットによって前記改質領域を形成するために、パルスレーザ光の集光点を前記加工対象物の内部に位置させた状態で、パルスレーザ光の繰り返し周波数及びパルスレーザ光の集光点の移動速度を略一定にして、前記切断予定ラインに沿ってパルスレーザ光の集光点を直線的に移動させる機能を有する制御部と、を備え、
 前記加工対象物は、シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハであることを特徴とするレーザ加工装置。

3-2.判決についての感想

全体的な結果について:納得度15%

 個人的には、判決は適切ではなかったように思う。2つの争点、訂正要件の充足性についての判断と、(仮に訂正要件が満たされているとしても)訂正後の請求項1に対する進歩性の判断の両方で、知財高裁の判断に納得できない点がある。

訂正要件の充足性について

 まず、東京精密の主張が妥当かというとそうは思わない。東京精密は、物の発明だから原則物の構成を特定しなければ、発明は減縮されていないといった趣旨の主張をしているが、「物」クレームだからといって、物の構成以外であっても、減縮する目的の訂正はできる。また、条文上も、「物」クレームの減縮については構成部分を訂正することが要求されるように読める規定もない。つまり、レーザ加工装置を構成する部分ではなく、レーザ加工装置そのものを減縮することも、減縮に当たるといえる。例えば、「ハサミ」の発明を「カバー付きハサミ」にすれば、カバーが付いていないハサミも権利の対象に含まれていたのに対し、カバー付きのハサミでないと対象に含まれなくなるため、権利範囲が減縮されていることは明らかであろう。
 この点に関し、知財高裁は「概念上請求項に係る発明が限定されることは明らかであり、特許法134条の2第1項の「特許請求の範囲の減縮」への該当性を判断するに当たっては、これで足りると解するのが相当である。」と述べている。
 確かに、この考えは大きく間違ってはいないだろうが、このような考えも、個人的にはやや行き過ぎているように思う。特に私が気になったのは、「概念上明らかであれば足りる」という部分である。減縮か否かの判断は概念上限定されることが明らかであればそれで十分というが、果たしてそうなのだろうか。これが「概念上」という言葉の解釈の問題か、「概念上」という言葉の問題かは措くとして、本判決の結論を導いた「概念上」の捉え方は、木を見て森を見ずといえばいいのか、形式的すぎるといえばいいのか、いずれにせよ、請求項が第三者に権利範囲を画定させる役割を果たすべきものであるという本質を欠いてしまっているように思う。

 本件の訂正事項は確かに、概念上、特許請求の範囲の減縮となっている。知財高裁が述べるように、訂正前のレーザ加工装置は、その加工対象物が切断予定ラインに沿って溝が存在していても存在していなくても、シリコンウェハであればよいが、訂正後のレーザ加工装置では、加工対象物は溝が存在するシリコンウェハに特定されているので、概念的に減縮されていることに疑いはない。
 しかしながら、概念的に捉えるというのは、事物を実体から離れて抽象的に捉える方向に働く。概念上明らかであればそれで十分と言ってしまうと、実体にそぐわない概念が持ち出され、それによって限定されていることが示されることで、請求項が減縮されたと解されることになる。知財高裁のこのような見解は、減縮の目的要件の判断はあくまで見栄えの問題で、本質には立ち入らなくてよいと言っているようにも思え、私はこのような判断には賛同できない。

 まず、訂正前後の請求項の概念上の比較を行うために知財高裁が持ち出したものに「溝必須装置」がある。表面上、訂正後の請求項に係るレーザ加工装置は、溝必須装置を含まなくなったが、そもそもこの「溝必須装置」なるものが、どのような装置であるのかが不明瞭である。「溝必須装置」という装置があれば、概念上、権利範囲の境界を引くことはできるだろうが、この「溝必須装置」なるもの自体の解釈が曖昧である場合に、果たしてこのような訂正を認めてよいのかという疑問がある。(進歩性の議論で「容易の容易」という言葉があるが、溝必須装置という概念的な装置を使って概念的に減縮かどうかを捉えるという意味でこれは、概念の概念と言えるかもしれない。)
 第三者の立場からすれば、概念上減縮になっているからといって線引きの曖昧な概念が持ち出されてしまうと、訂正後の請求項が具体的にどのように減縮されたのかが不明瞭となり、いわゆる「明確性」の不十分な権利となってしまうため、不測の不利益を被る危険がある。これを、訂正の目的要件の問題とせず、概念上の減縮と認めた上で、別途明確性要件違反で争えばいいという考えもあるかもしれない。それも可能とは思うが、新たな無効理由を追加主張して争うという手続きの煩雑さを考慮すれば、概念上の減縮ととれる場合であっても、減縮の程度が不明瞭であり、どこで線引きされるのかを結局争わなければならないような事態を招くのであれば、そのような訂正は「適法/適正な減縮」ではないとして、目的要件違反で封じてしまうのが適正迅速な訴訟解決にも資するのではないだろうか。

 判決において、知財高裁は「訂正前の請求項1の記載は、その文言上、「レーザ加工装置」の構成として、切断予定ラインに沿った溝が存在するシリコンウェハを切断し得る性能を有するが、そのような溝が存在しないシリコンウェハを切断し得る性能を有するとは限らない「レーザ加工装置」(溝必須装置)を概念的には含むものであったのに対し、」と述べている。これによれば、溝必須装置とは、「切断予定ラインに沿った溝が存在するシリコンウェハを切断し得る性能を有するが、そのような溝が存在しないシリコンウェハを切断し得る性能を有するとは限らないレーザ加工装置」を言うらしい。だが、切断しうる性能を有するとは限らないレーザ加工装置とはどのようなレーザ加工装置を言うのだろうか?「有するとは限らない」というのは、有しているかもしれないし有していないかもしれないという程度の意味に読めてしまうが、そのような曖昧な性質を有するレーザ加工装置をどのようにして具体的に特定するのだろうか。これではかえって当事者を混乱させ、不要な争いを誘発するのではないだろうか。また、「必須」と言っておきながら「有するとは限らない」というのは名称と定義に乖離があるように思う。言葉通りに捉えるのであれば、溝必須装置とは、溝が必須なのであるから、溝が無ければ切断できないレーザ加工装置を言うのではないか。これでは知財高裁自体も、溝必須装置という概念上の装置を的確に捉えられていないのではないかと疑ってしまう。

 加えて、知財高裁は「本件訂正前は、溝必須装置のように溝が形成されているシリコンウェハを切断する構造を有すれば、これをもって特許要件を満たし得たのに対し、本件訂正後はこのような構造を有するのでは足りず、溝が形成されていないシリコンウェハを切断する構造を有することが必要とされることになる。」と述べているが、これは溝必須装置かどうかの判断として適切なのであろうか?
 これでは、「溝が形成されていないシリコンウェハを切断する構造を有すること」が証明できれば、溝必須装置でないということになる。つまり、特許権者は、溝が形成されていないシリコンウェハを用意し、そのシリコンウェハを切断することができることが示せればそれで立証責任を果たしたということになる。
 ここで重要なのは、請求項にはシリコンウェハの厚みの条件が記されていないことである。本件特許権の明細書にも記載されているように、技術の進歩と共により薄いシリコンウェハが提供されている。そうすると、出願時には存在しなかったような薄いシリコンウェハが現在では当たり前に供給されていることになる。特許権者が権利行使をしようとする場合、特許権者は、そのような薄いシリコンウェハをベースに、溝が形成されていないシリコンウェハで切断できるかどうかを実験し、証明すればよいのである。だが、シリコンウェハが薄くなればそれだけ切断しやすくなるのであり、溝の必要性が薄れていくであろうことは当業者でなくても容易に想像できることだろう。
 このように、本件特許権はシリコンウェハの発明でもなく、シリコンウェハの製造に係る技術の進歩に貢献するものでもないのに、訂正後の請求項は、レーザ加工装置そのものではなく加工対象物であるシリコンウェハの技術の進歩に伴って、特許権者に有利な方向に権利範囲が拡大されていくのである。これは明らかに、特許権者と第三者との間の衡平を欠くのではないだろうか。(反証のために、第三者の側において溝必須装置であることを証明するというのも立証責任の分担として不適切ではないだろうか。特許権者が上述のようにして現在市場に出回っているシリコンウェハを購入して実験すればいいのに対し、第三者が出願時に製造可能であったシリコンウェハの厚みの証拠を集め、さらにその厚みのシリコンウェハで溝のないものを用意して切断できるか否かを実験し証拠提出するというのは、本来権利行使をしようとする特許権者側において立証すべきことを第三者側に負担させているように思う。)

 このような理由から、個人的には、概念上の減縮に該当するとしても、それだけで訂正が特許請求の範囲の減縮を目的とするものであると判断することは審理不尽なように思う。(※これが上告理由になるかどうかは定かではないが、第一号の「特許請求の範囲の減縮」の該当性判断において「概念上発明が限定されることが明らかであれば足りる」とした解釈に誤りがあるとすれば、上告理由にもなり得るように思える。但し、第一号に拘らなくても、第三号の「明瞭でない記載の釈明」から、明瞭でない記載を釈明することに限定して訂正が許されている以上、明瞭であった請求項の記載を不明瞭なものにする訂正は当然に許されないとする当然解釈のアプローチや、新たな明確性要件違反で争うアプローチなど、方法はいくつか考えられる。)

 また、次の進歩性の判断についての考察に影響するため、ここで述べておくが、知財高裁が、「訂正事項1に係る事項は、加工対象物のみを特定する事項にとどまらず、レーザ加工装置自体についてもその構造、機能を特定する意味を有するものと解するべきである」とした判断も、個人的には同意できない部分がある。
 私は、訂正請求に係る訂正事項は、レーザ加工装置という母集合のうち、どのようなレーザ加工装置であるかを特定しようとするものであり、レーザ加工装置の「構造」を特定する意味を有すると解することはできないように思う。簡単な例えを挙げれば、請求項に現れている具体的な技術内容は左利き用であるかどうかに関係ない内容である場合に、「ハサミ」を「左利き用のハサミ」と訂正することでハサミの具体的な構造が何らか特定(限定)されるのかという話である。個人的には、技術内容に関連性が認められないのであれば、たとえ「左利き用」としたところで、そのハサミの「構造」に何らかの特定がされたと解することはできないのではないかと思う。実際に右利き用と左利き用とで構造的な違いはあるだろうが、請求項に現れている技術内容がこれに関連しないのであれば、少なくとも、新規性や進歩性の判断には何の影響も及ぼさないように思う。
 加工対象物はあくまでレーザ加工装置に加工される対象であってレーザ加工装置自体に備わる構成でない以上、加工対象物を限定するというのは、平易な言い方をすれば「レーザ加工装置を~な加工対象物に利用してください」と言っているに過ぎない。審査基準の言葉を借りれば、訂正請求に係る訂正事項は、シリコンウェハ切断用のレーザ加工装置を溝無しシリコンウェハ切断用のレーザ加工装置として用途限定したものと捉えるべきではないだろうか(※用途発明ではないことに注意)。そして、用途限定に過ぎないのであれば、明細書の記載や出願時の技術常識を踏まえても、その用途に適した具体的な構造が明確にならないなら、この訂正によって何らかの「構造」が特定されると解することはできないように思う。(私が当業者ではないからかもしれないが)私には、加工対象物が溝のないシリコンウェハとされたことで、請求項に現れているレーザ加工装置の「構造」に具体的にどういった特定がされたのかを理解することができない。内部に改質領域を形成できるだけの厚みを有するシリコンウェハであればよく、請求項1の発明を実施するのに、溝があるかないかは何の影響も与えてないように思えるからである。
 訂正事項が用途を限定したに過ぎないのか、これによって請求項に係る発明の具体的な構造を特定したことになるのかは、その後の進歩性の判断に影響を与えるように思う。「構造」が特定されたとすれば、訂正事項が加工対象物を特定する内容であっても、実質的にレーザ加工装置の具体的な技術を特定するのであるから、引用発明にこの訂正事項を組み合わせることが容易かという判断は、引用発明に訂正事項に係る技術を組み合わせることが容易かという判断であり、技術同士を組み合わることの阻害事由を検討できるからである。この点の詳細は、次の「進歩性の判断について」で述べる。

進歩性の判断について

 本件の進歩性の判断で考察すべき議題は、技術同士の組み合わせを検討する上での「阻害事由」の考えを、用途限定においても同じように適用していいのか、という点である。上述したように、私は、この訂正事項を、レーザ加工装置そのものを特定するものではなく、それを利用するときの加工対象物が特定して、用途を限定したに過ぎないものと考えているためである。

 例えば、「Aという技術(構成要件A)とBという技術(構成要件B)を備える装置」の進歩性について、先行技術として開示される「構成要件Aを備える装置」に、先行技術として開示される「構成要件B」を備えさせることが容易かどうかを考えることと、「α用の装置としてC(構成要件C)という技術とD(構成要件D)という技術を備える装置」の進歩性について、先行技術として開示される「not α用の装置として構成要件Cと構成要件Dを備える装置」をα用の装置に適用することが容易かどうかを考えることは異なる話だと思う。
 そしてこの違いは、技術的な阻害事由を考えるときの考え方にも影響を及ぼすのではないかと思う。

 そもそも、進歩性判断において、阻害事由のような型にはめやすい判断手法に捕らわれすぎると、時に本質を見失うことがあるように思う。もう少し純粋に技術を眺める視点(いわゆる技術的感覚)を持って判断すべきと思うことがあるが、そもそも特許庁や裁判所が常に技術的な感覚を十分に備えているとは限らないわけで(寧ろ裁判官は理系よりも文系の人が多いわけで)、そのような人達が、技術者の思考プロセスに十分に近づいた上で判断していると信じてかかるべきではないだろう。

 少し話が脱線したが、私は、阻害事由という判断手法を否定しているわけではなく、そのような具体的な判断に取り掛かる前に、技術者になったつもりで考えてみてはどうかといいたいのである。ある一つの装置を作るときに、異なる2つの技術を組み合わせようとする作業と、既に出来上がっている技術を他の用途にも使えないか検討しようとする作業は、技術者にとって同じ作業なのだろうか。技術者の思考プロセスは異なっているのではないだろうか。そして、感覚的に(直感的に)、前者の作業において2つの技術の組み合わせに阻害事由があるなら、技術者は様々なことを検討しなければならないが、後者の作業において2つの用途が阻害関係にあるとしても、前者の作業ほど検討することはないのではないかと思う。後者の場合、他の用途にも使えるかどうかを試してみればいいわけで、その結果、従来技術が対象としていなかった他の用途にも使えることがわかったとしても、技術者による技術の進歩への貢献はそれほど大きくはないのではないか(この考えは、用途発明が特許権として認められにくいことにも通ずるはずである。)。
 逐条解説にも記載されるように、特許権は、産業の発展に貢献するような発明をした者に与えられるのであり、容易に思いつくような発明にまで特許権を認めるとかえって社会の技術の進歩のさまたげとなるのであるから、言うなれば、進歩性の判断の本質は、社会の技術の進歩のさまたげとなるような発明か否かという点にあり、審査の手法もこれを判断する材料に過ぎないはずである。

 具体的に本件の事例について検討してみる。
 甲11号証として提出された特許文献(特開平11―177137)は、段落0003~0007を読むと、「従来から、ダイサーやダイヤモンドスクライバーなどを用いて半導体ウェハーを切断する方法が知られており、また、サファイアや窒化物半導体などの非常に硬い物質(例えば硬度がほぼ9)の切断に、ダイサー及びダイヤモンドスクライバーを用いる方法が知られている。具体的には、最初にダイサーで溝を形成し(下図5(B)参照)、それから溝の部分にダイヤモンドスクライバーでスクライブライン(対象特許でいうところの切断予定ラインに対応する)を形成し(下図5(C)参照)、そして切断する方法である」といったことが記載されている。(詳細は、下記の抜粋を参照)

 つまり、元々は、ダイサーやダイヤモンドスクライバーの一方だけで切断する方法も知られていたが、一方だけでは非常に硬い物質を綺麗に切断することができないので、両方を使う方法が先行技術文献に開示されているというわけである。当然、一度に両方を使って加工することは現実的ではなく、二つを段階的に使用するわけで、そうすると、一段階目に形成される部分が溝となり、二段階目でその溝にさらに溝(スクライブライン)が形成されるわけである。
 また、甲11号証の段落0008によれば(詳細は、下記の抜粋を参照)、一段階目の工程は「あらかじめダイサーなどで半導体ウェハーの厚みを部分的に薄くさせる」ための工程である。そうすると、加工対象物が非常に硬い物質でなければ、あるいは、半導体ウェハーの厚みが薄ければ、一段階目の工程はなくてもよいかもしれないと、当業者ならそのように思えるのではないだろうか。

 甲11号証の明細書段落0003~0012の一部を抜粋
「【0003】
 通常、…半導体ウエハーの場合は、半導体ウエハーからダイサーやダイヤモンドスクライバーによりチップ状に切り出され形成される。ダイサーとは刃先をダイヤモンドとする円盤の回転運動により半導体ウエハーをフルカットするか、又は刃先巾よりも広い巾の溝を切り込んだ後(ハーフカット)、外力によりカットする装置である。一方、ダイヤモンドスクライバーとは同じく先端をダイヤモンドとする針により半導体ウエハーに極めて細い線(スクライブ・ライン)を例えば碁盤目状に引いた後、外力によってカットする装置である。…
【0004】
 …窒化物半導体を利用した半導体素子は、…単結晶を形成させることが難しい。…サファイア基板などの上に形成された窒化物半導体層ごと所望の大きさに切断分離することによりLEDチップなど半導体素子を形成させなければならない。
【0005】
 サファイアやスピネルなどに積層される窒化物半導体はヘテロエピ構造である。窒化物半導体はサファイア基板などとは格子定数不整が大きく熱膨張率も異なる。また、サファイア基板は六方晶系という結晶構造を有しており、その性質上へき開性を有していない。さらに、サファイア、窒化物半導体ともモース硬度がほぼ9と非常に硬い物質である。
【0006】
 したがって、ダイヤモンドスクライバーのみで切断することは困難であった。また、ダイサーでフルカットすると、その切断面にクラック、チッピングが発生しやすく綺麗に切断できなかった。また、場合によっては基板から窒化物半導体層が部分的に剥離する場合があった。
【0007】
 そのため窒化物半導体ウエハーは所望のチップごとに分割する方法として特開平8-274371号などに記載されているようにダイヤモンドスクライバーやダイサーを組み合わせて使用する方法が考えられている。具体的一例として、図5(A)から図5(D)に窒化物半導体素子を製造する工程を示す。図5(A)は、サファイア基板501上に窒化物半導体502が形成された半導体ウエハー500を示す。図5(B)はサファイア基板501の下面側から窒化物半導体502に達しない深さでダイサー(不示図)による溝部503を形成する工程を示す。図5(C)は、溝部にダイヤモンドスクライバーでスクライブ・ライン504を形成する工程を示す。図5(D)は、スクライブ工程の後、半導体ウエハー500をチップ状510に分離する分離工程を示してある。これにより、切断面のクラック、チッピングが発生することなく比較的綺麗に切断することができるとされている。
【0008】
【発明が解決しようとする課題】しかしながら、あらかじめダイサーなどで半導体ウエハー500の厚みを部分的に薄くさせた溝部503を形成し、溝部503にダイヤモンドスクライバーでスクライブ・ライン504を形成させる場合、ダイヤモンドスクライバーの刃先が溝部503の底に接触しなければならない。
【0009】
 即ち、通常ダイサーの円盤幅よりもダイヤモンドスクライバーの刃先の方が大きい。そのため図6の如く、ダイヤモンドスクライバーの刃先601が半導体ウエハー500に形成された溝部503の底面に届かない場合がある。この状態でスクライバーを駆動させると半導体ウエハーの平面では図7の如き、所望のスクライブ・ライン703が形成されず歪んだスクライブ・ライン704が形成される傾向にある。これらを防止する目的でダイヤモンドスクライバーの刃先が溝部503の底に接触するためにはダイサーで形成した溝部503の幅を広くする必要がある。溝部503が広くなると半導体ウエハーからの半導体素子の採り数が減少する。
【0010】
 他方、溝の幅を狭くした場合は刃先が溝の底に接触させるために溝部503の深さを浅くする必要がある。溝部503を浅くすると半導体ウエハーの分離部の厚みが厚くなり半導体ウエハーを正確に分離することが困難になる傾向がある。したがって、何れも正確により小さい窒化物半導体素子を形成することができないという問題があった。
【0011】
 より小さい窒化物半導体素子を正確に量産性よく形成させることが望まれる今日においては上記切断方法においては十分ではなく、優れた窒化物半導体素子の製造方法が求められている。窒化物半導体の結晶性を損傷することなく半導体ウエハーを正確にチップ状に分離することができれば、半導体素子の電気特性等を向上させることができる。しかも、1枚の半導体ウエハーから多くの半導体素子を得ることができるため生産性をも向上させられる。
【0012】
 したがって、本発明は窒化物半導体ウエハーをより小さいチップ状に分割するに際し、切断面のクラック、チッピングの発生をより少なくする。また、窒化物半導体の結晶性を損なうことなく、かつ歩留りよく所望の形、サイズに分離された窒化物半導体素子を量産性良く形成することができる製造方法を提供することを目的とする。」

 確かに、甲11号証に開示される発明は、段落0009や段落0010などの記載によれば、二段階工程のために一段階目の工程でできる溝が広くなったり浅くなったりするという問題を解決するために創出されたものである。言い換えれば、前提として二段階工程がなければ、甲11号証に開示される発明が生まれるきっかけはなかったと考えることもできるであろう。
 しかしながら、甲11号証に開示される発明の発明者の視点と、この発明に接した当業者の視点は必ずしも一致しないはずである。二段階工程がなければ甲11号証に開示される発明は生まれなかったというのは、いわば当業者のうちの発明者の視点である。一方で、そのようなきっかけで生まれた発明であるとしても、甲11号証に接した当業者の視点で見れば、きっかけとなった前提条件を必須としなくても転用できる技術かどうかを判断することは可能であり、その判断が常に、進歩性を有するほどの判断(容易に想到できるとはいえないような判断)であるとも言えないはずである。

 用途の転用と、技術の組み合わせとの違いをわかりやすくするため、仮想事例を挙げてみる。例えば、進歩性判断の対象となる発明が、シリコンウェハの表面を平坦化する研磨部と、平坦化されたシリコンウェハの内部に改質領域を形成させる集光用レンズと、を備えるレーザ加工装置であったとしよう。このように具体的な技術の組み合わせを考えるのであれば、主引用発明として、シリコンウェハの内部に改質領域を形成させる集光用レンズを備えるレーザ加工装置が開示されていたとしても、主引用文献が甲11号証のように溝を前提とするならば、平坦化する研磨部を組み合わせることに阻害事由はあると言えると思う。なぜならば、単に溝のないシリコンウェハに適用することを考えるのではなく、平坦化させるという技術と内部に改質領域を形成する技術の同居を考えるためである。もう少し平易な言い方をすれば、甲11号証に接した当業者は、内部に改質領域を形成する技術は、溝のある窒化物半導体ウェハーを前提にしなくても使えるかもしれないと思うことはあっても、わざわざ窒化物半導体ウェハーの表面を平坦にして(平坦化する前に溝があったとしたら溝をなくして)、それから内部に改質領域を形成しようとは思わないわけである。

 判決によれば、本件訴訟における東京精密の主張は「甲11発明は、溝を設けない構成であっても1つの発明として完成している」というもののようである。しかしながら、この主張はあまり筋が良くないように思う。甲11号証を読めば、甲11号証に開示される発明が、溝を設けないものであっても1つの発明として閉じているという印象は受けないだろう。甲11号証が、溝を前提とした問題を解決する発明を開示しており、溝のないものを対象としていないことについては、読めばその通りと思うのであって、ここを争っても仕方ないように思うし、裁判所も、東京精密が強引な主張をしているといったネガティブな心象を抱いてしまうかもしれない。
 個人的には、甲11発明が「溝のある半導体ウェハーを前提とした発明であること」は認めた上で、上述したように、たとえそうであっても当業者であれば、溝のない半導体ウェハーにも適用できる技術であるということを導くことは容易であるという主張をした方が良かったのではないかと思う。

 本件訂正発明1が、加工対象物であるシリコンウェハの厚みとの技術的な相関を何ら有さない内容になっていることも重要な点と思う。本件訂正発明1の特徴は、加工対象物の内部に改質スポットを形成することで、これを利用して加工対象物を切断することができる。図面を見ても、加工対象物は厚さ方向に切断されることが通常想定されていることからして、加工対象物の厚みは、形成される改質スポットよりも大きくなければならないはずである。裏を返せば、加工対象物の内部に改質スポットを形成するために必要な条件はこれだけである。加工対象物に溝がある場合には、溝が形成されている部分の厚みをみればよく、加工対象物に溝がない場合には加工対象物の厚みをみればよい。このように、本件訂正発明1は、溝の有無に左右されない技術で構成されている。そのため、可能性の面で技術の適用を考えるならば、加工対象物に溝があってもなくても適用が可能であることに疑いをはさむ余地はないだろう。そうするとあとは、このような技術を溝のない加工対象物に適用しようと思うかどうかである。
 本件特許権は、従来技術に対し、不必要な割れが発生しないような加工方法を実現したいという課題を有しており、甲11号証の段落0022には「本発明はダイサーにより生じた内部応力に依存することなくレーザースクライバーにより分割に寄与する局所的な応力を発生させる。これにより端面が綺麗(平滑)であり量産性の良い窒化物半導体素子を製造することができると考えられる」と記載されている。ダイサーにより生じた内部応力には依存しないと言っているのであるから、ポイントはレーザースクライバーであり、レーザースクライバーによって綺麗な端面で切断できるのではないかと考える動機はあるように思える。そうすると、本件特許権の課題に直面した当業者が甲11号証に接したときに、シリコンウェハに溝がないという加工対象物の前提条件が、その当業者にレーザースクライバーによるスクライブラインの形成を断念させるほどのネガティブな理由になるとは考えられず、溝のない加工対象物であろうと試してみようとする動機は十分にあるのではないかと思う。

 この点に関し、知財高裁は、判決文において「甲11文献の【0020】は、「本発明の方法による分離端面がブレイクラインに沿って平坦に形成される理由は定かではないが溝部形成に伴って溝部近傍に内部応力が生ずること及びその内部応力とブレイクラインが切断端面形状に大きく関係していると考えられる。」と記載しており、特定の実施例ではなく、甲11文献に記載される全ての発明に関して、分離端面が平坦に形成される理由について、溝部形成に伴う内部応力と、レーザー照射により形成されるブレイクラインの双方が関与していることを示しており、他に前記課題の解決の機序となるものの存在をうかがわせる記載はない。そして、甲11文献の【0020】ないし【0022】の記載は一連のものとなっており、上記【0020】のとおり、溝部の形成により生じた内部応力も割断に作用することを前提とした上で、ダイサーやダイヤモンドスクライバー等により溝部を形成し、溝部の底面に沿ってダイヤモンドスクライバーによるスクライブ・ラインを形成する場合に、溝部形成により生じ、半導体ウエハー内に保持された応力により所望通りの端面が形成されないという問題点(【0021】)について、【0022】前段で、ダイサーによる溝部形成のために生じた内部応力のみに依存するのでなく、レーザースクライバーにより発生した局所的な応力と相まって、端面が綺麗(平坦)で量産性のよい窒化物半導体素子を製造することが記載されていると理解できる」と述べているが、確かに切断において溝部形成による内部応力が関係することは間違いないと思うが、溝部形成による内部応力との相乗的な効果によるといえるほど、つまり、溝部形成による内部応力もあって初めて綺麗な端面で切断できると理解されるほどに、両方の必要性が強調された内容ではないように思う。例えば、甲11号証の段落0029は「特に、ダイサーを用いて溝部を形成させた場合は、チップ状に分割した時の端面の綺麗さ(平滑性)の差が顕著に出る傾向にある。即ち、ダイサーを用いて溝部を形成させた後にレーザーを用いて半導体ウエハーを分離したものと、ダイサーを用いて溝部を形成させた後にダイヤモンドスクライバーにより分離させたものとをそれぞれ比較するとレーザーにより凹部を形成させたものの方が分離端面が綺麗に形成される傾向にある。」と記載されており、端面の綺麗さは、同じ条件(ダイサー)で溝部を形成し、その後にスクライバーにより分離させた場合とレーザーにより分離させた場合とを比較しているのであって、ダイサーは単に溝を形成するときの条件を揃えているに過ぎないように読める。つまり、ダイサーとレーザーによる相乗効果を言っているのではなく、スクライバーとレーザーを比較しているだけ(従来のスクライバーよりもレーザーの方が端面が綺麗だと主張したいだけ)ではないだろうか。

 以上のように、個人的には、知財高裁の判断は適切ではなかったように思う。

 なお補足すると、阻害事由というやや技巧的な考えを一旦切り離し、逐条解説に記されるような進歩性の本質の観点から、技術の進歩をかえって妨げないような発明といえるかどうかによって判断してみたい。そこで、改めて、下記に訂正請求前の請求項1と訂正請求後の本件訂正発明1を記す。

 発明1(訂正請求前の請求項1)
 ウェハ状の加工対象物の内部に、切断の起点となる改質領域を形成するレーザ加工装置であって、
 前記加工対象物が載置される載置台と、
 パルス幅が1μs以下のパルスレーザ光を出射するレーザ光源と、
 前記載置台に載置された前記加工対象物の内部に、前記レーザ光源から出射されたパルスレーザ光を集光し、1パルスのパルスレーザ光の照射により、そのパルスレーザ光の集光点の位置で改質スポットを形成させる集光用レンズと、
 隣り合う前記改質スポット間の距離が略一定となるように前記加工対象物の切断予定ラインに沿って形成された複数の前記改質スポットによって前記改質領域を形成するために、パルスレーザ光の集光点を前記加工対象物の内部に位置させた状態で、パルスレーザ光の繰り返し周波数及びパルスレーザ光の集光点の移動速度を略一定にして、前記切断予定ラインに沿ってパルスレーザ光の集光点を直線的に移動させる機能を有する制御部と、を備え、
 前記加工対象物はシリコンウェハであることを特徴とするレーザ加工装置。

 発明2(本件訂正発明1)
 ウェハ状の加工対象物の内部に、切断の起点となる改質領域を形成するレーザ加工装置であって、
 前記加工対象物が載置される載置台と、
 パルス幅が1μs以下のパルスレーザ光を出射するレーザ光源と、
 前記載置台に載置された前記加工対象物の内部に、前記レーザ光源から出射されたパルスレーザ光を集光し、1パルスのパルスレーザ光の照射により、そのパルスレーザ光の集光点の位置で改質スポットを形成させる集光用レンズと、
 隣り合う前記改質スポット間の距離が略一定となるように前記加工対象物の切断予定ラインに沿って形成された複数の前記改質スポットによって前記改質領域を形成するために、パルスレーザ光の集光点を前記加工対象物の内部に位置させた状態で、パルスレーザ光の繰り返し周波数及びパルスレーザ光の集光点の移動速度を略一定にして、前記切断予定ラインに沿ってパルスレーザ光の集光点を直線的に移動させる機能を有する制御部と、を備え、
 前記加工対象物は、シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハであることを特徴とするレーザ加工装置。

 上記の2つの発明において、発明1が進歩性を有さない発明であったと仮定する(実際に、無効審判では、訂正前の請求項1に無効理由通知を出している。)。
 このとき、発明1と発明2の違い、言い換えれば、発明1に対する発明2の具体的な技術の進歩(貢献)は、加工対象物であるシリコンウェハを「シリコン単結晶構造部分に切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハにした」というだけである。果たしてこれが進歩性のある発明になるだろうか。通常の審査の感覚なら「レーザ加工装置によって加工される対象物がその加工前にどのような状態であるかは、それを採用する者が適宜決めればよいだけの設計事項である」とされ進歩性を有さないと判断されるのではないだろうか。
 これが、私が「木を見て森を見ず」ではないかと感じる理由の一つでもある。進歩性の本質という観点から俯瞰してみれば進歩性がないと思える発明が、先行文献の阻害事由という進歩性判断の一手法を用いると進歩性を有する発明と判断される。用途限定とみるべきところを具体的な技術と判断し、技術同士の組み合わせにおける阻害事由として処理したことが、このようなある種のパラドックスを生んでいるように思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました