サポート要件:明細書に開示された課題解決の「メカニズム」に限定してサポート要件が厳しく判断された事例
令和5年1月26日(2023/1/26)判決言渡
#特許 #サポート要件
1.実務への活かし
・特許権の無効化 #サポート要件
広範な権利に対してサポート要件違反を主張をする場合、その権利がどれくらい広範か(明細書に記載されていないものがどれくらい含まれるのか)を述べるだけでは不十分である。
出願時の具体的な事実(技術水準)に基づいて、その特許出願によって開示された課題解決のメカニズム(課題解決原理)から、その特許出願によってどのような発明が開示されたというべきかを論じ、特許請求の範囲に記載された発明が、開示された発明の範囲を超えていることを主張すべきである。
2.概要
本件は、アムジェン・インコーポレイテッド(以下、「アムジェン社」という。)の有する特許5906333号(発明の名称「PCSK9に対する抗原結合タンパク質」とする発明。以下、「本件特許」という。)の無効を、リジェネロン・ファーマシューティカルズ・インコーポレイテッド(以下、「リジェネロン社」という。)が求めた事件であり、無効審判においてされた特許有効の審決の取消しを求めた事件である。
本件で知財高裁は、「サポート要件」の判断に誤りがあるものと判断し、特許庁が有効とした審決を取り消した。
本件特許に係る発明は医薬(抗体)の技術分野に属し、本件特許の請求項1(以下、「本件発明1」という。)は以下の通りである。(※難解な用語が多々あるが、以降の説明において、請求項1の具体的な記載は知らなくてもよい。)
【請求項1】
PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体。
なお、判決では、略称を用いており、「配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体」を「31H4抗体」あるいは「参照抗体」と呼んでいる。この略称を用いると、請求項1は、以下のように記載できる。
【請求項1】(略称)
PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、31H4抗体(参照抗体)と競合する、単離されたモノクローナル抗体。
このように、本件発明1は、「結合を中和することができ」また、「参照抗体と競合する」という特性を有するモノクローナル抗体を、その権利範囲として規定するものであった。(※本件の理解のために、本件発明1について知っておくべき重要な事項は、本件発明1が「結合を中和する(抗体)」であり、かつ、「参照抗体と競合する(抗体)」であるという点である。)
リジェネロン社は、本件発明1に係る「31H4抗体(参照抗体)と競合する抗体は、数多く存在する一方で、本件発明1に係る抗体(=結合を中和することのできる抗体)は、本件特許明細書に一部しか開示されていないことから、本件発明1が明細書の開示に比して過度に広範であり、サポート要件を満たさないといった旨の主張を行った。(具体的な主張内容は以下の通り。)
リジェネロン社の主張(判決より抜粋、下線は付記)
「サポート要件の判断基準は、請求項に係る発明が、発明の詳細な説明において「発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲」を超えるものであるか否かにより判断されるべきである。そうでなければ、公開されていない発明について独占的、排他的な権利が発生することになり、一般公衆からその自由利用の利益を奪い、ひいては産業の発達を阻害するおそれを生じ、特許制度の趣旨に反することになるからである。
…本件発明は、「結合中和抗体の提供」という本件発明が解決すべき課題と、「参照抗体(31H4抗体)と競合する(単離されたモノクローナル)抗体」という課題解決手段のみによって特定されているから、本件発明に含まれる抗体の数は、少なくとも何百万もの抗体が含まれるのみならず、本件明細書の実施例抗体とは全く異なる種々の性質・構造・結合部位を有する抗体が含まれることになる。
…、本件明細書には、「31H4抗体と競合する(単離されたモノクローナル)抗体」であれば、高い蓋然性をもって「PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体」であると理解できる記載は存在しない。
科学的事実としても、…「31H4抗体と競合する(単離」されたモノクローナル)抗体」であれば、高い蓋然性をもって「PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体」であるとはいえない。
…本件発明は、結合中和性の程度や参照抗体との競合の程度については極めて広範な結合中和抗体を含むものであって、結合中和抗体であるからといって、LDLRのEGFaドメインと相互作用するPCSK9上の部位と重複する位置(又は同様の位置)に結合する抗体に限られない。
この事実を裏付けるための実証実験結果は、次のとおりである。
すなわち、【A】博士の供述書 (甲2の1)は、…試験を行った結果であるが、これによると、31H4抗体と競合する抗体であっても、その大部分といえる約8割(34個中28個)の抗体は、結合中和することができない抗体であったことが示されている。
また、【B】博士の供述書(甲2の2)は、【A】博士の実証実験結果は、…31H4抗体と競合する抗体はLDLRとの結合を中和するであろうという考えは科学的に誤りであることを示すとともに、31H4抗体と競合する抗体は必ず31H4抗体と同様の親和性又は結合部位を共有するという考えには同意しない旨述べる。
…サポート要件は、特許請求の範囲全体において当業者が課題を解決できると認識することができるものでなければならないところ、こうした低競合抗体については、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体の提供という本件発明の課題を解決できる蓋然性が高いと当業者が認識することができるものではない。」
一方でアムジェン社は、本件発明1はその発明特定事項において「結合を中和する」ことが記されており、結合を中和しない抗体は権利範囲に含まれないのであるから、「参照抗体と競合する抗体」に結合を中和しない抗体が含まれるか否かは関係なく、本件特許明細書には本件発明1を充足し課題を解決する抗体が開示されており、また、スクリーニングによって数多の抗体の中から本件発明1に係る抗体を得ることができる以上、サポート要件の違反はないといった旨の反論をした。(具体的な主張内容は以下の通り。)
アムジェン社の主張(判決より抜粋、下線は付記)
「…抗体は、…抗原への結合に関与する部位以外は抗体としての共通した構造と性質を共有しており、…抗原への結合特性を記述すれば抗体の全体像を記述したこととなる。…抗体分野の特徴として、…特定の結合特性を有する抗体を得るときに、そのアミノ酸配列を設計しておく必要はなく、抗体をその特性を試験してスクリーニングすることにより所望の特性を有する抗体を得ることができる。
本件明細書の発明の詳細な説明には、以下のとおりの記載があり、当業者は、出願時の技術常識に照らし、参照抗体との競合によってPCSK9上の複数の結合面のうち特定の領域内の特定の位置(LDLRのEGFaドメインと結合する部位と重複する位置(又は同様の位置))に結合する抗体は、PCSK9とLRLRのタンパク質の結合を中和することができると理解するものであり、発明の技術的範囲の全体にわたって発明の課題を解決できると認識することができたといえる。
なお、31H4抗体(参照抗体)と競合するが、PCSK9とLDLRとの結合を中和できない抗体が仮に存在したとしても、そのような抗体は、本件発明1の技術的範囲から文言上除外されているし、そのような抗体は、本件明細書の記載に基づいて、PCSK9とLDLRとの相互作用を確認することにより技術的にも困難なく取り除くことができることから、本件発明がサポート要件に反する理由とはならない。
…本件発明1は、PCSK9とLDLRとの結合を中和することができるという要件と31H4抗体と競合するという要件の2つを満たすものとして規定されており、当然のことながら、PCSK9とLDLRとの結合を中和することができるというのは、技術的に有意にPCSK9とLDLRとの結合を中和することができることを意味するものである。そうとすれば、本件発明は、当業者が、本件明細書と本件出願日当時の技術常識に基づいて、発明の効果を有意に奏すると理解することができるものであるから、原告の主張は失当である。」
これらの当事者の主張に対し、本件で知財高裁が採ったサポート要件判断のアプローチは、「本件特許がどのような発明を開示するものであるといえ、そこから本件発明の技術的意義が何であるのかを特定し、その上で、本件発明の技術的意義と本件発明の技術的範囲を比較する」というものであり、このアプローチから「本件発明の技術的範囲が、本件発明の技術的意義を超えているか否か」を判断した。
また、知財高裁は、この判断に際し、「本件発明の技術的意義」が、明細書の実施形態に開示される課題解決の具体的なメカニズム(「参照抗体との競合」と「結合の中和」に関して明細書に開示された具体的なメカニズム)にあると判断し、本件特許によってサポートされる発明(抗体)の範囲を、明細書に開示されている「メカニズム」と同様のメカニズムを有する抗体に限定し、本件発明1の技術的範囲がこのメカニズムに依らない抗体を含んでいるという理由から、サポート要件を満たしていないと判断した。(具体的な判断内容は以下の通り。)
知財高裁の判断(判決より抜粋、下線は付記し、/赤字/は判断アプローチについて補足)
「/規範定立/
特許法36条6項1号…の趣旨は、発明の詳細な説明に記載していない発明について特許請求の範囲に記載することになれば、公開されていない発明について独占的、排他的な権利を請求することになって妥当でないため、これを防止することにあるものと解される。
そうすると、特許請求の範囲の記載が同号所定の要件(サポート要件)に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであると解するのが相当である。
/発明の認定(請求項の文言の解釈)/
…発明特定事項における「中和」の技術的意義を解釈するために本件明細書の記載をみると、…本件発明における「中和」とは、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節することであり、PCSK9とLDLRタンパク質結合部位を直接封鎖するものに限らず、間接的な手段(リガンド中の構造的又はエネルギー変化等)を通じてLDLRタンパク質に対するPCSK9の結合能を変化させる態様を含むものである。
…参照抗体と『競合する』」との発明特定事項の技術的意義を解釈するために本件明細書の記載を見ると、…本件発明における参照抗体と「競合する」とは、参照抗体がPCSK9と結合する部位と同一の又は重複するPCSK9上の部位に結合して、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことや、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害して、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことをも意味するものと解され、抗体がPCSK9への参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことがアッセイにより測定されれば抗体間の「競合」と評価されるものであり、本件発明では「競合」の程度は特定されていない。
そうすると、参照抗体と競合する、本件発明のモノクローナル抗体は、…必ずしも参照抗体がPCSK9と結合する同一のPCSK9上の部位に結合…する特性を有するモノクローナル抗体に限らず、参照抗体がPCSK9と結合するPCSK9上の部位と重複する部位に結合…する特性を有するモノクローナル抗体や、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害する態様でPCSK9に結合…する特性を有するモノクローナル抗体を含むものであると認められる。
/発明に係る本件明細書の開示/
次に、本件明細書の記載について更に具体的に検討すると、…本件明細書の開示事項によれば、…当業者は、PCSK9とLDLRタンパク質の結合中和性が高い抗体のうち31H4抗体(参照抗体)と競合する抗体が選別されることや、31H4抗体が、結晶構造上、LDLRのEGFaドメインの位置と部分的に重複し、PCSK9へのその結合を立体的に妨害するものであることについては理解できるといえる。
次に、本件明細書の…開示事項を踏まえると、本件明細書の発明の詳細な説明には、31H4抗体と競合するものであり、かつ、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和する抗体として、31H4抗体とアミノ酸配列が異なる互いにアミノ酸配列の同一性が高いグループの抗体が開示されていることが認められる。
/規範へのあてはめ(本件発明が開示しようとするもの)/
以上を前提に検討すると、…本件発明は、…対象中のLDLの量を低下させ、対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し、…そのために、…LDLの量を増加させるPCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体又はこれを含む医薬組成物を提供することを課題とするものであり、PCSK9とLDLRタンパク質との結合を強く遮断する中和抗体である参照抗体と競合する抗体は、PCSK9への参照抗体の結合を妨げ、又は阻害する単離されたモノクローナル抗体であることを明らかにするものであると理解される。
/規範へのあてはめ(開示しようとするものとの関係での本件発明の技術的意義)/
そして、…、参照抗体自体が、結晶構造上、…LDLRのEGFaドメイン(…)の位置と部分的に重複する位置でPCSK9とLDLRタンパク質の結合を立体的に妨害し、その結合を強く遮断する中和抗体であると認められることを踏まえると、本件発明における「PCSK9との結合に関して、31H4抗体と競合する」との発明特定事項も、31H4抗体と競合する抗体であれば、31H4抗体と同様のメカニズムにより、LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して(…)、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節することを明らかにする点に技術的意義があるものというべきであ…る。
/規範へのあてはめ(本件発明の技術的意義と本件発明の技術的範囲の対比(均衡))/
…本件発明の「PCSK9との結合に関して、参照抗体と競合する」との性質を有する抗体には、…非常に多種、多様な抗体が包含されることは自明であり、…このような抗体には、…31H4抗体がPCSK9と結合するPCSK9上の部位と重複する部位に結合…する(例えば、低下させる)抗体にとどまらず、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害する態様で…PCSK9への特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)抗体をも包含する…ところ、このような抗体が…LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節するものとはいえない。
なお、本件明細書には「例示された抗原結合タンパク質と同じエピトープと競合し、又は結合する抗原結合タンパク質及び断片は、類似の機能的特性を示すと予想される。」(【0269】)との記載があるが、…31H4抗体と競合する抗体であれば、31H4抗体と同じエピトープと競合し、又は結合する抗原結合タンパク質(抗体)であるとはいえず、このような抗体全般が31H4抗体と類似の機能的特性を示すことを裏付けるメカニズムにつき特段の説明が見当たらない以上、本件発明の「PCSK9との結合に関して、31H4抗体と競合する抗体」が31H4抗体と「類似の機能的特性を示す」ということはできない。
…、31H4抗体と競合する抗体であれば、どのようなものであっても、PCSK9とLDLRのEGFaドメイン(及び/又はLDLR一般)との間の相互作用(結合)を阻害する抗体となるメカニズムについての開示がない以上、当業者において、31H4抗体と競合する抗体が結合中和抗体であるとの理解に至ることは困難というほかない。
以上のとおり、…「PCSK9との結合に関して、31H4抗体と競合する抗体」であれば、結合中和抗体としての機能的特性を有すると認めることもできない。
こうした点は、…【A】博士の実証実験の結果及び同実証実験を踏まえた【B】博士の供述書からも裏付けられる。すなわち、この実証実験は、…34の抗体が参照抗体と競合するが、うち28の抗体(80%よりも多く)は結合中和性を有しないことが確認されており(…)、参照抗体と競合する抗体であれば結合中和性を有するものとはいえないことが具体的な実験結果として示されている。
被告は、…結合を中和できない抗体…は、本件発明1の技術的範囲から文言上除外されているなどとして、本件発明がサポート要件に反する理由とはならない旨主張する。しかし、…本件のような事例において、結合中和性のないものを文言上除けば足りると解すれば、抗体がPCSK9と結合する位置について、例えば、PCSK9の大部分などといった極めて広範な指定を行うことも許されることになり、特許請求の範囲を正当な根拠なく広範なものとすることを認めることになるから、相当でない。
また、…本件審決は、結合相互作用を強く遮断する抗体を同定するためのスクリーニング…によって、十分に高い確率で本件発明の抗体をいくつも繰り返し同定することが具体的に示される旨判断するが、【F】(【F】)教授(【F】教授という。)の第2鑑定書(甲230)に「特定のマウスが特定の抗体を生成するかどうかは運に支配されるため、候補となり得る抗体を全て生成しスクリーニングすることは不可能である」と記載されているように、本件明細書に記載された抗体の作製過程を経たとしても、免疫化されたマウスの中でPCSK9上のどのような位置に結合する抗体が得られるかは「運に支配される」ものであって、…本件明細書に記載された抗体の作製方法に関する記載をもって、本件発明に含まれる多様な抗体が本件明細書の発明の詳細な説明に記載されていたとはいえない。
/補充説明(同一特許に対し、本件が別訴と異なる結論になっていることについて)/
本件発明に係る別件審決取消訴訟においては、…サノフィによるサポート要件違反に関する主張は退けられている。しかし、これは、当時の主張や立証の状況に鑑み、31H4抗体と競合する抗体は、31H4抗体とほぼ同一のPCSK9上の位置に結合し31H4抗体と同様の機能を有するものであることを当然の前提としたことによるものと理解することも可能である。これに対し、本訴においては、【A】博士や【B】博士の各供述書、【F】教授の鑑定書等(甲18、230)による構造解析、「EGFaミミック抗体」に係る関係書証(甲4の1及び2)等の新証拠に基づく新主張により、上記前提に疑義が生じたにもかかわらず、この前提を支える判断材料が見当たらないのであるから、別件判決の結論と本件判断が異なることには相応の理由があるというべきである。」
3.本件のより詳細な説明、及び、判決内容の考察
3-1.判決についての感想
全体的な結果について:納得度50%
本件は非常に難しい内容であった。発明の技術内容も難解であるし、裁判所のサポート要件の判断における論理構成も複雑である。
そのため、裁判所の判断思考を分析するのが相当に骨の折れる作業であり、また、この分析を入念に行わないことには、裁判所の判断に対する考察も満足に行えないため、避けられない作業でもあった。
本件における裁判所の判断思考を分析するには、本件と別件訴訟(平成29年(行ケ)第10226号)との対比は欠かせないだろう。本件だけで分析し考察することも可能ではあるが、別件訴訟は、同じ特許に対するサポート要件の適否が争われ、似たような主張がされていたが、サポート要件の違反はないと判断された確定判決であるため、似たような主張の中にどのような相違点があったのかは、結論の違いを導く重要な要素が何であったかを推察するのに有益である。
そして、この分水嶺を見極めることは、サポート要件の違反を主張する側、及び、サポート要件の充足を主張する側のいずれにおいても、主張の組み立てにおいて重要となるだろう。以下では、この点を深堀していくことにする。 なお、個人的には、本件の裁判所の結論には賛同できない。結論そのものの是非ではなく、結論を導くのに十分な審理がされたかという点に疑問が残る。
3-2.サポート要件の判断について
(イ)サポート要件の判断における2つの観点
本件の詳細を分析的にみる前に、まず、サポート要件の判断を大きく2つの観点に分けておく。(なお、2つの観点に分けて捉えるような学説があるのかは知らないので、学術的な分類を行っているわけではなく、あくまで、思考を整理しやすくするために行っている。)
この2つの観点は似て非なるものである。
具体的にどう似て非なるものかというと、簡単に言えば「観点1は、その権利範囲の全てにおいて課題が解決されているか否かを問題にしていない」ということである。もう少しわかりやすく言うと「その権利範囲の全てで課題が解決されるとしても、観点1に該当することがあり、観点1に該当すればサポート要件違反になる」ということである。実際にその権利範囲で課題が解決されていたとしても、その権利範囲の一部にそもそも特許出願に開示されていない発明が含まれているならば、開示していない発明に権利を与えるべきではないからである。
例えば、サポート要件に関する重要判例である「パラメータ事件」は、サポート要件判断の一般的な規範を示しつつも、具体的な争点は観点1にあったといえる。つまり、裁判所は、そのパラメータによって規定される権利範囲において、事実として、実際に課題が解決されているか否かを論点にしているのではなく、その権利範囲において課題が解決される発明であることを当業者が認識できるように明細書に適切な開示がされていたかを論点にしている。
本件においても、リジェネロン社が「本件発明に含まれる抗体の数は、少なくとも何百万もの抗体が含まれるのみならず、本件明細書の実施例抗体とは全く異なる種々の性質・構造・結合部位を有する抗体が含まれることになる」と主張していることからして、議論になっているのは、観点1であるといえる。
「特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か」
また、読めばわかるが、サポート要件の上記規範における前段部分は、条文通りの内容をそのまま表した部分といえ、逐条に記されている趣旨を直接的に体現している部分といえる。
一方で後段部分は、条文からは直接読み取ることのできない法律の解釈(=裁判所の示した規範)といえ、条文から直接読み取ることができないからこそ、後段部分の規範が示されたことに大きな価値がある。
本件で知財高裁は、サポート要件の判断に際して冒頭に規範を定立しているが、上述のパラメータ事件の規範を挙げる前に、サポート要件の趣旨(逐条に記載されている内容)も挙げている。これには、本件の論点の軸が「観点1」にあることを強調する知財高裁の意図があったのかもしれない。
知財高裁が定立した規範(判決より抜粋、下線は付記)
「特許法36条6項1号は、特許請求の範囲の記載に際し、発明の詳細な説明に記載した発明の範囲を超えて記載してはならない旨を規定したものであり、その趣旨は、発明の詳細な説明に記載していない発明について特許請求の範囲に記載することになれば、公開されていない発明について独占的、排他的な権利を請求することになって妥当でないため、これを防止することにあるものと解される。
そうすると、特許請求の範囲の記載が同号所定の要件(サポート要件)に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであると解するのが相当である。」
なお、本件とは関係しないが、観点2は、典型的には、請求項に数値範囲が規定されていたときに、その一部の範囲で課題を解決しないかあるいは課題を解決できることを理解できないといった場合や、多数の材料が列挙され、あるいは上位概念により多数の具体的な候補が存在したときに、その一部において課題を解決しないかあるいは課題を解決できることを理解できないといった場合に問題となる。
観点2で特に争われるのは、その一部において課題が解決されないことを当業者が容易に認識できるか否か、また、権利範囲からその一部が捨象されることが当業者の技術常識からして明らかであるといえるか否か、といった点についてである。 特許請求の範囲の一部に課題の解決に資さない範囲があることを当業者が当たり前に認識できるのであれば、当業者は、請求項の記載から「課題を解決できる発明」の範囲を特定できるのであり、当業者における発明の認識の支障にはならないといえるわけである。
(ロ)本件発明1の特徴
もう一点、事前に把握しておきたいのは、本件発明1が、観点2について争いにくい記載になっているという点である。
本件特許は、発明の課題を、
「LDLRタンパク質と結合することにより、対象中のLDLRタンパク質の量を減少させ、LDLの量を増加させるPCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体又はこれを含む医薬組成物を提供すること」
とし、本件発明1を、
「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、31H4抗体(参照抗体)と競合する、単離されたモノクローナル抗体。」
とする。
このように、本件発明1には、その発明特定事項において「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」るという解決しようとする課題そのものが記載されている。
そのため、「特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲」かという観点2では争いにくいのである。(特許請求の範囲に「結合を中和する抗体である」と特定されていれば、この発明が「結合を中和する抗体」を提供するという課題を解決するものであることは当然といえるからである。)
(ハ)平成29年(行ケ)第10226号との主張の対比
それでは、具体的に、本件と別件訴訟の2つの訴訟においてそれぞれ、特許権者と、審判請求人がどのような主張をしたのかを比べてみる。
以下は、それぞれの判決文に記載された「原告の主張」及び「被告の主張」を抜粋し、対比した表である。
請求人の主張 | |
本件 | 平成29年(行ケ)第10226号 |
発明が解決すべき課題(P24) 本件発明が解決すべき課題は、「結合中和抗体を提供すること」であり、…サポート要件に適合するというためには、「31H4抗体と競合する(単離されたモノクローナル)抗体」であれば、高い蓋然性をもって「PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体」であると当業者が理解できるように明細書に記載されていなければならないといえる。 | 発明が解決すべき課題(P12) 本件訂正発明1における解決すべき課題は,…PCSK9とLDLRとの結合中和抗体を提供することであり |
本件発明について(P25) 本件発明は、「結合中和抗体の提供」という本件発明が解決すべき課題と、「参照抗体(31H4抗体)と競合する(単離されたモノクローナル)抗体」という課題解決手段のみによって特定されているから、本件発明に含まれる抗体の数は、少なくとも何百万もの抗体が含まれるのみならず、本件明細書の実施例抗体とは全く異なる種々の性質・構造・結合部位を有する抗体が含まれることになる。 | 本件発明について(P12) 本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)は,抗体の構造を特定することなく,機能ないし特性(「結合中和」及び「参照抗体との競合」)のみによって定義された発明であるため,文言上ありとあらゆる構造の膨大な数ないし種類の抗体を含むものである。 |
「参照抗体と競合する抗体」について(P25) 本件明細書に開示されている「31H4抗体と競合する抗体」は、…スクリーニングにより先に選別した上で、次に…分類した結果得られた抗体にすぎない…。本件明細書の実施例の記載は、論理関係からして、31H4抗体と競合する抗体であれば結合中和抗体であることを示すものではなく、また、結合中和抗体であれば31H4抗体と競合する抗体であることを示すものでもない。 b この事実を裏付けるための実証実験結果は、次のとおりである。すなわち、【A】博士の供述書 (甲2の1)…によると、31H4抗体と競合する抗体であっても、その大部分といえる約8割(34個中28個)の抗体は、結合中和することができない抗体であったことが示されている。 また、【B】博士の供述書(甲2の2)は、本件特許…の結果は、31H4抗体と競合する抗体はLDLRとの結合を中和するであろうという考えは科学的に誤りであることを示すとともに、31H4抗体と競合する抗体は必ず31H4抗体と同様の親和性又は結合部位を共有するという考えには同意しない旨述べる。 | 「参照抗体と競合する抗体」について(P13) 参照抗体と「競合する」抗体であることは,「結合中和」の指標にはならない。 すなわち,ある抗体が「PCSK9との結合に関して参照抗体と競合する」というのは,基本的には,当該ある抗体が,参照抗体と物理的な障害を生じさせる位置でPCSK9に結合することを意味するが,当該位置が,PCSK9とLDLRとの結合を阻害する位置とは限らない。 このことは,本件明細書の図27Dを基に作成した別紙3の図A及びBからも,明らかである。図Bのとおり,…参照抗体(31H4抗体)の右上側でPCSK9に結合する抗体(紫の楕円で示した仮想の抗体)は,参照抗体(31H4抗体)と競合するが,PCSK9とLDLRの結合を中和することはできない。…A教授の供述書によっても裏付けられる。 |
本件発明には「競合」及び「中和」についての限定はないから、31H4抗体との競合の程度が低い(例えば5%)抗体でも、何らかの結合中和をする限り、本件発明に含まれることになる。 ところが、…仮に、31H4抗体との競合が結合中和の指標であるとしても、31H4抗体とわずかにしか競合しない抗体(低競合抗体)について、類型的に、全てあるいは大部分が結合中和抗体であるとはいえないことは明らかである。もとより、本件明細書には、31H4抗体との低競合抗体について類型的にPCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である蓋然性が高いといった記載はなく、そうした技術常識もない。 | 本件明細書記載の実施例の参照抗体(31H4抗体)が,PCSK9とLDLRとの結合を阻害する結合中和抗体であるとしても,本件訂正発明1のように「自分の実施例抗体と競合する抗体はありとあらゆる構造の抗体であっても全て自分のもの」という機能的な限定のみの強力なクレームがまかりとおれば,公開されていない発明について独占的,排他的な権利が発生することになり,特許法の目的である産業の発達を阻害し,特許制度の趣旨に反する事態が生じることは明らかである。 |
特許権者の主張 | |
本件 | 平成29年(行ケ)第10226号 |
抗体の分野について(P34) 抗体は、相手の分子と特異的に結合するという能力に特化した生体分子であって、抗原への結合に関与する部位以外は抗体としての共通した構造と性質を共有しており、また、抗原に結合する部位に関しても、抗原に結合する以外の特定の能力が期待されるものではなく、抗原への結合特性を記述すれば抗体の全体像を記述したこととなる。 抗体分野の特徴として、免疫により優れた結合特性を有する抗体が、動物の体内で生み出され得て、その産生過程で発明に適したアミノ酸配列が決定されていくことから、特定の結合特性を有する抗体を得るときに、そのアミノ酸配列を設計しておく必要はなく、抗体をその特性を試験してスクリーニングすることにより所望の特性を有する抗体を得ることができる。 | 抗体の分野について(P16) 抗体の製造プロセスでは,免疫により優れた結合特性を有する抗体が,動物の体内で⽣み出され得て,その産⽣過程で発明に適したアミノ酸配列が決定されていくことから,特定の結合特性を有する抗体を得るときに,その抗体のアミノ酸配列を設計しておく必要はない。 また,抗体の特性が分かれば,その特性を試験してスクリーニングすることにより所望の特性を有する抗体を得ることができることは,本件優先日当時の技術常識である。 さらに,抗体の技術分野においては,抗体のアミノ酸配列そのものは,抗体を特定するために必須であるとは考えられていないし,アミノ酸配列を記載しなくても,抗体の特性が分かればその抗体が奏する効果との関係を把握するに十分であると考えられている。 |
本件発明について(P35) なお、31H4抗体(参照抗体)と競合するが、PCSK9とLDLRとの結合を中和できない抗体が仮に存在したとしても、そのような抗体は、本件発明1の技術的範囲から文言上除外されているし、そのような抗体は、本件明細書の記載に基づいて、PCSK9とLDLRとの相互作用を確認することにより技術的にも困難なく取り除くことができることから、本件発明がサポート要件に反する理由とはならない。 | 本件発明について(P17) 仮に参照抗体と競合するが,PCSK9とLDLRとの結合を中和できない例外的な抗体が存在していたとしても,そのような例外的な抗体は,本件訂正発明1が「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」ることを発明特定事項としているため,その技術的範囲から文言上除外されており,本件明細書の記載に基づいて,PCSK9とLDLRとの相互作用を確認することにより技術的にも困難なく取り除くことができる。 |
別件訴訟との対比からわかること1
上記の比較は非常に興味深い。なぜならば、別件訴訟と本件とで、主張の大筋は、ほとんど共通しているからである。それにもかかわらず、別件訴訟では、サポート要件の違反はないと判断され、本件ではサポート要件に違反すると判断された。
別件訴訟においても、本件発明1が「文言上ありとあらゆる構造の膨大な数ないし種類の抗体を含むものである。」と主張しており、これは本件における「本件発明に含まれる抗体の数は、少なくとも何百万もの抗体が含まれる」との主張と実質的に相違ない。
だが、本件では、これに加え「本件明細書の実施例抗体とは全く異なる種々の性質・構造・結合部位を有する抗体が含まれることになる。」という主張もされた。
この相違点からわかるのは、まず、「単に実施形態で示された具体例の数に比して、特許請求の範囲に含まれる対象の数が多い」という理由だけでは、裁判所はサポート要件違反と判断しないということである。
つまり、明細書の記載に比して、特許請求の範囲が広範であるという事実は、具体性のある評価ではなく、単なる相対評価に過ぎない。明細書に記載されていない何百万の抗体が含まれるからといって、それだけで「開示される発明内容に比して、権利範囲が不当に広範である」と判断しては説得力に欠けるということなのだろう。
裁判所にとっては、明細書に記載のない膨大な数の抗体が含まれるという「見た目の問題」よりも(あるいは、見た目の問題に加えて)、本件明細書に開示される性質・構造。結合部位と異なる抗体も含まれているという技術的な問題(技術思想として異質なものが含まれているという主張)の方が効果的かもしれない。
別件訴訟との対比からわかること2
次に、本件で裁判所が「当業者において、31H4抗体と競合する抗体が結合中和抗体であるとの理解に至ることは困難というほかない。」と判断し、また、「PCSK9との結合に関して、31H4抗体と競合する抗体であれば、結合中和抗体としての機能的特性を有すると認めることもできない。」と判断したことに注目してみる。
別件訴訟においても「参照抗体と競合する抗体であることが、結合中和の指標にはならない。」といった主張や「照抗体と競合する抗体の結合位置が、PCSK9とLDLRとの結合を阻害する位置とは限らない。」という主張はされていたが、別件訴訟ではこの主張は容れられなかった。
このような判断の違いが何に起因するものなのか。本件の知財高裁がどのような判断思考を辿ったかは、上記判断の直前の記載(以下の記載)をみれば推し量ることができるだろう。
「31H4抗体と競合する抗体であれば、どのようなものであっても、PCSK9とLDLRのEGFaドメイン(及び/又はLDLR一般)との間の相互作用(結合)を阻害する抗体となるメカニズムについての開示がない以上、当業者において、31H4抗体と競合する抗体が結合中和抗体であるとの理解に至ることは困難というほかない。」
このように、本件で裁判所は「参照抗体と競合する抗体」が結合を中和する“メカニズム”について、十分な開示がされていないことを理由に、別件訴訟とは異なる判断を導いたといえる。
このことは、本件の判決の最後に、裁判所が「別件審決取消訴訟においては、…31H4抗体と競合する抗体は、31H4抗体とほぼ同一のPCSK9上の位置に結合し31H4抗体と同様の機能を有するものであることを当然の前提としたことによるものと理解することも可能である。これに対し、本訴においては、…新証拠に基づく新主張により、上記前提に疑義が生じたにもかかわらず、この前提を支える判断材料が見当たらないのであるから、別件判決の結論と本件判断が異なることには相応の理由があるというべきである。」と述べたことからも言えるだろう。
なお、別件訴訟の判決文の中には、裁判所の判断がこのような前提の下でされたものと読み取れるような記載は見当たらなかった。
本件で知財高裁も「~理解することも可能である」と言っているように、具体的な根拠に基づいて、別件訴訟における裁判所の判断思考を論じたわけではないのだろう。本件で裁判所がこのように述べたのは、別件訴訟の裁判所が実際にどう判断したかはさておき、上記の前提の下であれば、本件の裁判所もサポート要件の違反はないという同じ結論を導いたかもしれないが、本件においては、「この前提が成り立たず、このような事実の下であれば、判断の結果に違いが出てもおかしくない」と言いたいだけだろう。
このように、別件訴訟と対比すると、本件では、別件訴訟ではされなかった以下の主張によって、別件訴訟と異なる判断に至ったものと分析することができる。
(ニ)裁判所の判断についての考察
本件における裁判所の判断アプローチ
上述の別件訴訟との主張の相違も踏まえた上で、改めて、本件における裁判所の判断アプローチを検証してみる。
本件で裁判所は、サポート要件の判断アプローチとして、①本件発明が何を開示しようとするものかを判断し、そこから②「参照抗体と競合する」との発明特定事項の“技術的意義”を認定し、③本件発明の技術的意義と権利範囲(技術的範囲)を対比するという方法を採った。
ここで、別件訴訟においても本件と同様に、本件発明の権利範囲が狭くないこと、言い換えれば、本件発明の「中和」や「競合」の意味を特に限定して解釈していないことは共通している。
従って、本件も別件も、「本件発明の権利範囲」については大差なく、「本件発明の技術的意義」に、判断を異にする違いが生じたと考えることができる。
そうだとすると、②の「参照抗体と競合する」との発明特定事項の“技術的意義”の認定が、結論の違いを導いた要因と推察することができるだろう。
本件で知財高裁は、この技術的意義の特定において、「参照抗体が結合を中和するメカニズム」を特定した上で、「参照抗体と競合する抗体」も参照抗体と同様のメカニズムによって結合を中和することを明らかにする点に、“技術的意義”があると認定した。この認定に至る論理は次のようなものだろう。
まず、「参照抗体」に結合を中和する機能が備わっていないとすれば、本件発明1が「参照抗体と競合する抗体」であると特定したことの技術的な意義が不明になってしまう。そのため、「参照抗体」が結合を中和する抗体であることは当然である。
そして、「参照抗体と競合する」という発明特定事項が課題の解決に繋がるのであるから、「参照抗体と競合する」ことの技術的意義は、「参照抗体と競合することで結合を中和すること」になるはずである。
この場合、本件発明1の抗体が、参照抗体とは異なるメカニズムによって「結合を中和する」抗体であるとなると、「参照抗体と競合することで結合を中和する」という技術的意義に矛盾してしまう。
従って、「参照抗体と競合する」という発明特定事項は、「参照抗体と同様のメカニズムによって結合を中和する」という技術的意義を表している、という結論が導かれる。
このように、「参照抗体と競合する抗体」も参照抗体と同様のメカニズムによって結合を中和することを明らかにする点に、発明特定事項の技術的意義があるとした判断は、合理的な論理に基づいているものと評価することができる。
そして、本件の裁判所によれば、「参照抗体と同様のメカニズム」の認定において、その前提とした事実に相違があったことが、別件訴訟と結論を異にする要因となったのである。
つまり、「参照抗体と競合する抗体であれば、参照抗体とほぼ同一のPCSK9上の位置に結合し。参照抗体と同様の機能を有するものである」という前提に立つか、「参照抗体と競合する抗体であるからといって、参照抗体とほぼ同一のPCSK9上の位置に結合し。参照抗体と同様の機能を有するとは限らない」という前提に立つかによって、認定される「参照抗体と同様のメカニズム」は異なるというのが、本件の裁判所の考えなのだろう。
また、本件では、後者の前提に立った上で、「参照抗体と同様のメカニズム」とは「LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して(具体的には、抗体が結晶構造上、LDLRのEGFaドメインの位置と重複する位置でPCSK9に結合して)、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節する」メカニズムであると認定したのである。
裁判所の判断手法は適切であったか(形式面の是非)
規範との関係のおいて
もう一度おさらいすると、本件で裁判所の採った判断アプローチ(判断手法)は、①本件発明が何を開示しようとするものかを判断した上で、②「参照抗体と競合する」との発明特定事項の“技術的意義”を認定し、③本件発明の技術的意義と権利範囲(技術的範囲)を対比するというものである。
一方で、サポート要件の前段部分の規範は「特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明であるか否か」である。
このように、規範では「特許請求の範囲の記載」と「発明の詳細な説明の記載」とを対比するとされているのに対し、本件の判断アプローチは「特許請求の範囲の記載」と「発明特定事項の技術的意義」とを対比している。つまり、対比の対象がいずれも「特許請求の範囲の記載」になっているのである。
発明特定事項の技術的意義を認定するという見慣れない判断アプローチは、果たして定立された規範と整合するものであったといえるのか、個人的にはこの点について懐疑的である。
・特許請求の範囲の記載と技術的意義の関係において(リパーゼ判決との抵触)
そもそも、本件の判断アプローチのように、「特許請求の範囲の記載の技術的意義」と「特許請求の範囲の記載」を並列に扱い、これらを対比すること自体が適切であったかも、甚だ疑問である。
例えば、リパーゼ判決で述べられた以下の判示は、技術的意義の認定が、特許請求の範囲の記載の解釈(=発明の要旨認定)の中で行われるべき事柄であることを述べているようにも思える。
リパーゼ判決の判示
「発明の要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。」
つまり、発明特定事項の「技術的意義」を特定することは、「発明の要旨認定」を行うことであり、いわば、「特許請求の範囲の記載」を特定する行為といえるのではないだろうか。
そうすると、「技術的意義」を明らかにすることは「特許請求の範囲の記載」を明らかにすることと同義なのであるから、「特許発明(発明特定事項)の技術的意義」と「特許請求の範囲の記載」が異なるということは本来的に起こり得ないのではないだろうかという疑問が残る。
このように、本件で知財高裁が採った判断アプローチは、論理的な矛盾を孕んでいる可能性があり、本件の判決にはそのことを示すかのような以下の記載がある。
知財高裁の判断(判決より抜粋、下線は付記)
「「PCSK9との5 結合に関して、参照抗体と『競合する』」との発明特定事項の技術的意義を解釈するために本件明細書の記載を見ると、…本件発明における参照抗体と「競合する」とは、参照抗体がPCSK9と結合する部位と同一の又は重複するPCSK9上の部位に結合して、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことや、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害して、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことをも意味するものと解され、抗体がPCSK9への参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことがアッセイにより測定されれば抗体間の「競合」と評価されるものであり、本件発明では「競合」の程度は特定されていない。
…以上を前提に検討すると、…本件発明における「PCSK9との結合に関して、31H4抗体と競合する」との発明特定事項も、31H4抗体と競合する抗体であれば、31H4抗体と同様のメカニズムにより、LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して(具体的には、抗体が結晶構造上、LDLRのEGFaドメインの位置と重複する位置でPCSK9に結合して)、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節することを明らかにする点に技術的意義があるものというべきであり、逆に言えば、参照抗体と競合する抗体は、このような位置で結合するからこそ、中和が可能になるということもできる。」
このように、前段は、参照抗体と「競合する」との発明特定事項の技術的意義について、「本件明細書を参酌しても「競合」の程度は特定されていない」と述べているが、後段では、本件明細書を参酌して「競合」の程度は特定されているのである。
(具体的には、「参照抗体‘(31H4抗体)と競合する」との発明特定事項は、LDLRのEGFaドメインの位置と重複する位置でPCSK9に結合して、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節することを明らかにする点に技術的意義がある」と特定されているのである。)
個人的には、「参照抗体に競合する」という発明特定事項の技術的意義を特定し、これと特許請求の範囲の記載(「中和」や「競合」の解釈)を対比するという判断アプローチには、上述した矛盾や不整合を招く根本的な欠陥があるように感じる。
裁判所の判断内容は適切であったか(実質面の是非)
仮に、判断アプローチに瑕疵があったとしても、その瑕疵が重大ではなく、結論に相違もなければ、論旨としては問題ないということもできる。
本件で裁判所は、発明特定事項の「技術的意義」という用語を持ち出しているが、この「技術的意義」は、発明の要旨認定における「技術的意義」と同義なものとして用いられておらず、あくまでサポート要件の判断における「技術的意義」である、という論理も(言い訳に近いが)できないわけではない。
それでは、判断内容は適切であったといえるか。
本件で、知財高裁は、本件発明がサポート要件を充足する限界を、「参照抗体と同様のメカニズムによって結合を中和する抗体」にまで制限した。つまり、明細書に開示される課題解決の“メカニズム”によって、サポート要件の境界が画定されたのである。
しかし、“メカニズム”によって取得できる権利の限界が定まるというのは、本来的な特許法の考えやサポート要件の考え方には馴染みにくい。
特許法は「産業の発達に寄与する発明」を保護するものであり「産業上利用できる発明」であることを要求している。産業の発達に貢献できる発明が開示されていればよいのであって、そもそも特許法は、この法によって保護されるべき発明に、“メカニズム”の究明までを要求していない。
この点については、例えば、平成30年(行ケ)第10158号、令和2年(行ケ)第10009号、及び、令和2年(行ケ)第10003号などで、以下のように述べられている。
これらの判例で示されたサポート要件の判断手法
「サポート要件を充足するには,明細書に接した当業者が,特許請求された発明が明細書に記載されていると合理的に認識できれば足り,また,課題の解決についても,当業者において,技術常識も踏まえて課題が解決できるであろうとの合理的な期待が得られる程度の記載があれば足りるのであって,厳密な科学的な証明に達する程度の記載までは不要であると解される。
なぜなら,サポート要件は,発明の公開の代償として特許権を与えるという特許制度の本質に由来するものであるから,明細書に接した当業者が当該発明の追試や分析をすることによって更なる技術の発展に資することができれば,サポート要件を課したことの目的は一応達せられるからであり,また,明細書が,先願主義の下での時間的制約もある中で作成されるものであることも考慮すれば,その記載内容が,科学論文において要求されるほどの厳密さをもって論証されることまで要求するのは相当ではないからである。」
上記の判断手法は、主に、厳密な科学的証明が出願時において困難なケースについて、サポート要件の争いが生じたときに述べられる内容であるが、上記の内容からしても、厳密な科学的証明が出願時に困難なケースに限定する趣旨で述べられているものではなく、一般的なサポート要件の判断について述べていると解するのが妥当であろう。
確かに、明細書に記載される発明が開示する内容を実質的に判断した結果、サポート要件を満たす発明が、同様の“メカニズム”を有する範囲にまで制限されるということは起こり得るだろう。
しかしながら、本件特許明細書は500段落を超え、PDFでのページ数が500ページを超えている。これだけの文量の出願書類を作成する作業は、一般的には、相当な負荷が掛かると言っていいだろう。
このようにして本件特許明細書により数十の実施例が開示されたが、本件発明1に係る抗体が数百万と存在する場合に、これら全ての抗体について“メカニズム”の解明し、明細書に記載しなければ、本件発明1のような権利を取得できないとするのは、出願人にあまりに酷ではないだろうか。
一体、何万ページの明細書を作成すればいいのか、想像もつかない。
本件で知財高裁は「31H4抗体と競合する抗体であれば、どのようなものであっても、PCSK9とLDLRのEGFaドメイン(及び/又はLDLR一般)との間の相互作用(結合)を阻害する抗体となるメカニズムについての開示がない以上、当業者において、31H4抗体と競合する抗体が結合中和抗体であるとの理解に至ることは困難というほかない。」と述べているが、このような判断は「明細書が,先願主義の下での時間的制約もある中で作成されるものであること」を考慮した判断とは言い難いのではないだろうか。
知財高裁は、教授Fの鑑定書から「本件明細書に記載された抗体の作製過程を経たとしても、免疫化されたマウスの中でPCSK9上のどのような位置に結合する抗体が得られるかは「運に支配される」ものであ」るとすら述べている。
どのような位置に結合するかが運に支配されるならば、なおのこと、何百万と存在する抗体の全パターンを特定し、それらが結合を中和するメカニズムを解明することは、途方もない作業であろう。
このような事情を踏まえると、「参照抗体と競合する抗体」の中に、「結合を中和する抗体と結合を中和しない抗体が存在する」という事実や、「抗体が結合を中和するメカニズムが、本件特許明細書に開示されているメカニズムに限らない」という事実のみをもって、サポート要件を満たす発明を、明細書に開示される“メカニズム”と同様のメカニズムを有する抗体に限定するというのは適当ではなかったのではないだろうか。
個人的な見解を述べれば、「上記のような事実が存在した場合に、このような事実によって、本件特許明細書の発明の詳細な説明に開示される発明に基づくだけでは「参照抗体と競合する抗体」の中から、課題解決となる「結合を中和する抗体」を得ることができない技術的な障害が存在するか否か」を検討すべきではなかったかと思う。
たとえ、結合を中和しない抗体が存在していたとしても、本件特許明細書の開示によってそのような抗体を取り除くことを労せず行えるのであるならば、結合を中和しない抗体が存在するという事実は、「結合を中和する抗体」を得ることの障害とならないのであり、本質的な意味で、サポート要件の障害にはならないだろう。
また、本件特許明細書に開示されるメカニズムとは異なるメカニズムで結合を中和する抗体が存在したとしても、本件特許明細書に開示される発明を実施することで、このような抗体も労せず得ることができるなら、結合位置の違いといったメカニズムの違いも、発明を実施する上での障壁とはならず、サポート要件の障害にはならないだろう。加えて、明細書の開示によって得られるのであれば、出願人が開示した発明は、このような抗体を得ることによる産業の発達に貢献しているとも言い得るのである。
一方で、「参照抗体と競合する抗体」に、結合を中和しない抗体が存在することや、結合を中和するメカニズムが異なる抗体が存在することによって、何らかの新たな技術が生まれるのであれば、そのような技術は、本件の特許出願後であっても、別途特許出願をすることによって特許権が取得できる可能性があり、このようにして後願特許権が取得されれば、利用発明の関係から本件特許の実施権を得ることで発明の実施を確保する道も特許法には用意されており、加えて、本件特許の特許権者が後願特許権を実施して本件特許明細書に開示されていないメカニズムの抗体を取得していた場合には、特許権者も、後願特許権の実施権を得ないことには実施が制限され得るのであるから、上述のようにサポート要件を判断しても、特に問題はないだろう。
以上から、上述した事実の存在は確かにサポート要件の判断に影響を与えるものではあるが、本件の知財高裁が、上述の事実の存在を認めただけで、これらの事実が特許発明の実施に具体的にどのような影響を与えるのかを審理せずに結論を導いたことには、審理不尽があったのではないだろうかというのが個人的な感想である。
より具体的に言えば、上述した事実の存在によって、特許発明の範囲には含まれる抗体であって本件特許明細書に開示されていないメカニズムで結合を中和する抗体を得るには、本件特許明細書の開示だけでは不十分であり、このような抗体との関係では未だ発明が完成しているとはいえないかについて議論をすべきであったと思う。
4.その他(米国における最高裁の動向)
奇しくも、平成29年(行ケ)第10226号におけるサポート要件の判断と、本件におけるサポート要件の判断の論点は、現在、米国で審理中の最高裁Amgen vs Sanofiに共通する部分がある。
米国の最高裁では、実施可能要件に関し、明細書の開示は、クレームされた発明を作ることができればよいのか(make and use)、クレームされた発明のおよそ全てについて、適切な「時間と労力」の範囲で実施できることまで求められるのか、といった点について判断される(下記の「Issue」参照)。
サポート要件を前者に近い考えで判断したのが平成29年(行ケ)第10226号であり、後者に近い考えで判断したのが本件と捉えることもできるだろう。
但し、日本での訴訟は、同一の証拠に基づいて判断されたのではない点に留意すべきであり、前提事実が異なることで結果的に判断が異なったということである。
そうは言いつつも、この米国最高裁の判断の結果が、上告受理の結論に何かしらの影響を与えることは、十分に予想される。日本でも、本件の上告が受理されるかは興味深いところである。
Issue:Whether enablement is governed by the statutory requirement that the specification teach those skilled in the art to “make and use” the claimed invention, or whether it must instead enable those skilled in the art “to reach the full scope of claimed embodiments” without undue experimentation—i.e., to cumulatively identify and make all or nearly all embodiments of the invention without substantial “time and effort.”
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