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特許

「意見書(/審判請求書)のみ」応答の意味

なぜ「意見書(/審判請求書)のみ」か「補正書あり」かが権利化能力を測るバロメーターになるのか

さて、私が「特許事務所のOA応答統計」の記事で、権利化能力を測るバロメーターの一つに、特許庁への応答が「意見書のみ」か「意見書及び補正書」かという指標を提示したことで、SNS上では「本当にそうなのか?」という点で活発な議論が行われているようである。(2025/6/12当時の個人的な感想です。)

一応の理由は「弁理士XのOA応答統計」の記事の中で話したつもりであったが、私がなぜそう考えるのかという理論的な根拠について、より詳細に述べておくのがよいと思った。私の考える「審査理論」は、おそらく多くの実務家にとって新鮮なものであろう。

また、特許事務所に依頼したいために事務所選びをしようとする方が、必ずしも知財に精通しているとは限らず、そういった方がより理解しやすい説明が必要とも考えて、本記事を載せることとした。その意味では、知財に精通している方にとっては、基本知識のような部分もあり、かえって冗長に感じるかもしれないが、その点はご容赦頂きたい。

それでは以下に、私の考える理論的な根拠について説明していく。

1.審査官は特許性の答えを知らない(それどころか誰も答えを知らない)

 我々実務家は、特許権が認められるような発明を「特許性がある発明」といったりするので、ここでは「特許性」という言葉を使わせていただく。
 特許は出願すれば直ちに認められ権利が与えられるものではなく、いくつかの条件を満たしているかどうかが審査がされる。審査は、出願人が欲する権利に対して行われ、具体的には「請求項(特許請求の範囲)」に記載されている発明に対して行われる。
 ここでは、主要なものをいくつか挙げるに留めるが、下記のような条件をクリアすることが要求される。(※イメージしやすい言葉にしている)

 ・当業者が容易にすることのできたものではない発明であるか
 ・当業者が過度の試行錯誤を要せずに実施できるような発明であるか
 ・当業者がその発明が課題を解決することができるものと認識できるか
 ・当業者が不測の不利益を被るような不明確さがない発明であるか

 さて、これらの条件をみて何か気付かないだろうか。

 これらの条件のどれもが、価値判断的な要素を含んでいるため正確な正解がわからないのである

 なにを以て「容易」なのか、どの程度が「過度」といえるのか、どこまで説明すれば「課題を解決できる」と認識してもらえるのか、何が「不測の不利益」でどこまで不明確なら「不測の不利益を被る」といえるのか。そして、当業者とは、具体的にどのようなスペックの者なのか(どんな知識を持っているのか)。

 これらは全て、正確な正解を誰も知ることができない。出願人も、実務家も、そして審査官も、さらには裁判官ですら知らない。それでもこれらの条件を満たすか否かについての結論は出さなければならないのである。
 その結論を出す第一次的な役割が「特許庁」であり、具体的にこれらの条件を審査する特許庁の「審査官」ということになる。そして、特許庁の判断に納得いかない場合は、最終的には裁判官の判断を仰ぎ、裁判官の結論が、この正解のわからない問いに対する最終決定となる。あまり多くはないが、特許庁のした判断が、裁判所によって覆されることは、決して珍しくはない。

2.審査は「答え合わせ」ではなく「答え探し」である

 審査官は答えを知らないし、誰も答えを知らないのであるから、特許の審査(特許性の判断)の本質は、「答え合わせ」ではない。正確な答えを持っていない者に対し「この答えが合っているか教えてください」と尋ねても、回答する側はその答えに絶対的な正しさを保証することはできない。

 つまり、審査官から送られてくる審査結果とは、言ってしまえば「特許性はおそらくこの辺にあるのではないか」という審査官の見解なのである。当然、審査官は審査基準というマニュアルに従って審査をするため、闇雲に判断しているわけではない。しかしそれでも「正確な答えがわからない」という事実に変わりはなく、審査官が自らの出した結論に絶対の正しさを保証することはできない。(それを保証してしまうと、審査を間違える度に、国家賠償責任を負うリスクがある)

 そして、特許の審査(特許性の判断)は、審査官による一方通行の判断で決まるものではない。もちろん、審査官が「この発明は特許性がある」と判断すれば、特許査定という審査の結果が届き、所定の期間内に必要なお金を払えば特許権が認められるが、審査官が「この発明は特許性がない」と判断した場合には、今度は出願人の側に「意見」を述べる機会が与えられる。

 つまり、今度は出願人の側が、「特許性はおそらくこの辺にあると思う」という見解を述べるのである。また、この意見を述べるとき、出願人は同時に、発明内容を修正してもよいことになっている(※法律上は修正ではなく補正と呼ぶ。)。
 出願人は、「この発明の特許を認めてください」という申請を特許庁にして審査をお願いする。審査の結果、審査官が「この発明は特許性の条件を満たしていない」と判断しその審査結果が出願人に届くと、出願人は審査結果の内容をみて、確かに審査官の判断した通りだなと納得したら、特許権を諦めなければならないわけではなく、「それなら、こういう発明なら特許性の条件を満たすんじゃないですか?」と、修正した発明で審査をお願いすることもできるのである。

 このように、特許の審査は、審査官と出願人の双方が「この発明なら特許性があるのではないか」という見解を述べ、双方が「特許性がある」という判断になったときに特許を認める(特許性の条件が満たされたと結論付ける)、「答え探し」なのである。

3.答え探しにおける「修正なし(=意見書のみ)」の応答と「修正あり(=補正書あり)」の応答

 さてここでは、イメージしやすいように図を使いながら説明していく。

 上述した通り、特許の審査とは、審査官と出願人(代理人)が一緒になって「答え探し」をする、極端に言えば”共同作業”である。

 それでは、出願人がある発明について審査官に審査を請求したとしよう。審査官にとってみれば、出願人の請求は「この発明に特許性を認めてください」という内容の請求である。(※知財に精通している方は、ここで述べているのが出願人側の意図ではなく審査官側の視点からみた請求の性格である点に注意)

 これを概念的にイメージしやすいように図にしてみると次のようになる。出願人が、だいたいこの辺りの特許性で認めてくださいという第一手を打ち、次に審査官が「本当にこの辺で特許性の条件は満たされるのか」を考え、出願人の第一手に応えるのである。

 では、この第一手に対し、審査官の判断する特許性がより低い位置にあった場合どうなるか。出願人が請求した「発明」が審査官の判断する特許性よりも高い位置にあるならば、特許性の条件を満たすため、特許査定となり、審査は終了する。実務家はこれを「一発登録」と呼んだりもする。

 一方で、審査官の判断する特許性が、出願人の請求した「発明」の特許性よりも高い位置にあった場合はどうなるか。

 少なくとも出願人の請求する「発明」は審査官の判断する特許性に届いていないため、審査官は「これでは特許を認められません」という審査結果を出願人に伝えることになる。これがいわゆる「拒絶理由通知」である。
 しかし、ここで気を付けておくべき点は、審査官は、拒絶理由を伝えるだけで、自分の考えている特許性の位置を教えてくれるわけではない。審査官は、出願人の請求した「発明」がなぜ認められないかの理由は説明するだけである。

 さて、上述したように、特許の審査は「答え合わせ」ではなく「答え探し」であり、誰も正確な答えを知らない。だが、審査を「答え合わせ」と捉えれ場合、きっと出願人/代理人はこのように考えるだろう。

「審査官の考える特許性の位置はどこら辺にあるのかな」

 しかし「答え探し」と捉えれば、このようには考えない。なぜならば、審査官の考える特許性の位置が正解という保証はないからである。

 この状態で、出願人が審査官に対し「修正なし(=意見書のみ)」で応答することはどういうことなのか。図の通り、「審査官さん。やっぱり私の第一手に間違いはなく、ここで特許を認めるべきですよ」と意見することに他ならない。

 この出願人の意見に対し、審査官が「確かに、言われてみれば出願人の見解の方が合っていそうだな」と思えば、審査官は特許を認め、特許査定を出す。一方で、「出願人の意見を聞いても結論は変わらないな」となれば、拒絶査定を出す。
 要するに、出願人と審査官の両方が「特許性の位置はこっちでしょ?」「いやそっちじゃないよ」「いやこっちだよ」と話し合うのが、「意見書のみ」の応答なのである。

 一方で、出願人が審査官に対し「修正あり(=補正書あり)」で応答することはどういうことなのか。この状況の場合、通常、特許性を上げるために、権利が限定される方向に発明は修正される。(なお、修正が誤記のみの場合のように、特許性が上がらない修正もある。)

 つまり、誰も正確な答えを知らない「答え探し」の中で、出願人の側が特許性を上げて、「ここなら特許性があると思うのですが」というのが、「補正書あり」の応答なのである。

 このように図にすると明確であろう。出願人は、第二手をどこに置くかを自由に選択できる。しかしながら、「特許性の位置をどのくらい上に持っていくか」の程度の違いはあれど、「特許性の位置が上にあがる」ことに変わりはない(この例外は修正が誤記のみの場合だけであろう。)。

 そうすると、OA応答(拒絶理由通知への応答)で審査される「発明」を単純に比較すれば、「特許性の位置が元のままである」のが意見書のみの対応であり、「特許性の位置が(原則)上にあがる(より限定的になる)」のが補正書ありの対応といえるのである。

4.審査官は審査ミスをするのか?

 私はある弁理士先生とX(旧ツイッター)上で話をしているときに、とても大きな違和感を感じていた。それは、その先生にとって、意見書のみによる応答は、審査官に審査ミスが生じている場合にするもの、という認識だったからである。

 私の感覚と根本が違っていたためそこでの話は全然嚙み合わずに終わったのだが、その違和感がどこにあるのかを後になって考えていて、それで辿り着いたのが、上述した「答え合わせ」と「答え探し」という審査の捉え方の違いであった。

 果たして、審査官は審査ミスをするのか?

 私は、審査官の判断に誤りがあると思ったときも、それが審査官の「審査ミス」であるとは思わない。なぜならば、冒頭述べているように、審査官も誰も正確な答えを知らないからである。

 正確な答えを知らない審査官が行っているのは、あくまで「審査官が知っている知識の範囲内での判断」であって、その判断が結果的に間違えたからといって、それをミスと指摘するのは酷だと思う。
 お互いに答えが知らない中で、一方の判断が誤っていればミスになるというならば、そもそも正確な答えを出さずに審査を請求する(拒絶理由を出されるような発明の審査を請求する)出願人の行為もミスであり、お互い様なのである。

 そして、出願人と審査官の判断のどちらが採用されるかを左右するのは、どちらがよりその判断の仕方に詳しいか、簡単に言えば、「新規性、進歩性、実施可能要件、サポート要件、明確性要件」などの各拒絶理由について、どれだけ深い知識をもち、それを使いこなせているか、なのである。

 例えば、弁理士Xと審査官Aがいて、進歩性に対する知識(理解度)が、弁理士Xは100で審査官Aは50だったとしよう。100の知識を持っている弁理士Xは、その知見を基に正しい近い答えを探し、適当と思える位置に発明を持ってきて、審査請求をしたとする。
 しかし、その選択がたとえ適切であったとしても、審査官の知識が100であれば進歩性の条件は満たすと判断されるが、50の知識しか持っていない審査官Aでは、その正しさが理解できないことがある。そのために審査官Aは「これでは進歩性の条件は満たさない」と判断し拒絶理由を出したとする。
 だが、100の知識を持っている弁理士Xは、自身の判断の方が適切であることを、100の知識を以て審査官に説明すれば、審査官は理解し、「これは進歩性の条件を満たす発明ですね」と判断し、特許査定へと繋がる。

 また例えば、弁理士Yと審査官Bがいて、進歩性に対する理解度が、弁理士Yは50で審査官Bは100だったとしよう。50の知識しか持っていない弁理士Yが、適当と思える位置に発明を持ってきて審査請求をし、100の知識を持つ審査官Bがこれを審査した結果「これでは進歩性の条件は満たさない」と判断し拒絶理由を出したとする。
 50の知識しか持たない弁理士Yにとって、100の知識に基づいて出された拒絶理由には対抗する術がない。そうすると、この審査官Bが認めてくれそうな位置を予測して、請求項を補正(権利を限定する)という選択肢を取ることになるのである。仮にこのとき弁理士Yが150の知識を持っていれば、100の知識に基づく拒絶理由が適切であるかを判断し、意見書のみで対応できると判断する可能性が残されている。

 私が判例を研究し、少しでも「新規性、進歩性、実施可能要件、サポート要件、明確性要件」などの各拒絶理由についての理解を深めようとする意図はここにある。

 審査官よりも特許性に対する深い知識と理解を持つことが、審査官の思う特許性の位置ではなく、こちらの思う特許性の位置で権利を取得する手段となり、発明を限定せずに特許権を取得する実務能力に繋がっていく。
 従って「意見書のみ」応答の多さと、特許性に対する知識と理解の深さの間には相関があり、よって、実務における権利化能力を測るバロメーターになる、という結論が導かれるのである。

 審査官のした判断は、審査官の持つ知識の中で出したベストアンサーに過ぎず決してミスではない。理想はそうであるが、実際には、日本の審査官が審査する出願数は非常に多く、多忙などの理由から、ベストアンサーとは程遠い杜撰な理由(不適切かつ不十分な理由)しか説明されないことも、残念ながら存在する。
 そのため、審査官のベストアンサーに対して出願人(代理人)のベストアンサーを意見することもあれば、不適切かつ不十分な審査の内容に対して意見することもある。ここまで考えて私は、もしかすると、私と話した弁理士先生の考える「意見書のみ」で対応するケースとは、後者の「不適切かつ不十分な内容の審査」のことかもしれないと思った。

 審査官の知識が70だったときに、相手の弁理士が100なら審査ミスになり、50なら審査ミスにならない、というのはおかしな話であるが、確かに、審査官が杜撰な審査をして不適切かつ不十分な内容の理由を示した上で出願人の発明の特許性を認めなかった場合は、審査ミスといえるだろう。

 また、X(旧ツイッター)上では、「意見書のみ」の対応に「論破」という捉え方をされている弁理士先生も見受けられたが、これも私の感覚とは違っている。審査官の判断に対し、論破する(言い負かす)といった姿勢で臨んでもあまり意味がないと私は思っている。
 このような捉え方をするのも、どこかに「審査官は正解を持っている立場である」という構造意識があるのかもしれない。正解を持つ側にある審査官の判断が誤っていると考えるならば、審査官の持つ正解が正解でないことを認めさせる=「論破」するという意識にもなり得るように思える。

 なお、今回のX上での種々の意見を見ると、「意見書のみ」を好戦的な対応と捉え、「補正書あり」をより穏便な対応と捉えているように思える実務家の方が散見された。しかし、「答え探し」という姿勢においては、「意見書のみ」だからといって「補正書あり」と比べて好戦的であることにはならない。「意見書のみ」にせよ「補正書あり」にせよ、やっていることは「私の判断する特許性の位置はここにあります」と意見しているに過ぎないのである。

 この観点で「補正あり」の場合について、もう少し場合分けをしてみよう。拒絶理由を受けて、出願人が修正(補正)した発明の位置が、下図のように、審査官の判断する特許性よりも高い位置にあった場合、審査官は「特許として認められる」と判断し、特許査定を出す。

 それでは、下図のように、出願人が修正(補正)した発明が、審査官の判断する特許性の位置の下にきた場合はどうなるのか。

 この場合、再度審査官に「この発明も特許性の条件を満たしていない」と判断されるのかというと、そうとは限らない。
 このとき、意見書でたいしたことを述べないでいると、審査官には自身の判断を変える材料がないため、「満たしていない」と判断されるだろう。しかし、意見書で、特許性の位置はこっちでよいということを意見し、審査官がこれに納得すれば、「特許性の条件を満たしている」と判断され、特許が認められる(特許査定を受ける)ことになる。

 そして、前提条件として、我々は「審査官の思う特許性の位置」を知らないのである。

 つまり、発明を修正して対応する場合であっても(補正書ありで対応する場合であっても)、その修正した発明が「審査官の思う特許性の位置」の上にあるのか下にあるのかがわからない以上、「意見書なし」であろうと「補正書あり」であろうと、意見する内容は「私が思う特許性の位置はここです」というものであり、本質的な差異はないのである。

5.いくつかの意見に対する見解

 さて、X(旧ツイッター)上では、「意見書のみ応答率」が権利化能力を測る判断材料の一つになる、という点について、様々な意見が出されていたため、私が把握している限りではあるが、それらの意見に対する見解を述べておく。

 意見の内容は実務に沿ったものであるため、ここからは、平易な言葉ではなく、多少の法律用語や専門用語が出てしまうことにもなってしまい、知財に明るくない方にとっては読みにくくなってしまうかもしれないが、ご了承いただきたい。

 見解を述べていく前にまず、話がぶれないように、大前提として、何を議論すべきかという点ははっきりさせておきたい。それは、これが統計データである以上、議論すべき対象は「傾向性」であって「正確性」ではない、ということである。

 例えば、「権利を限定しない修正(補正)だってある」という意見があったとしよう。確かにそれは事実であり、上述したように、誤記を修正するような修正のみであれば、権利を限定しない修正(補正)はある。

 しかしそれは(誤記のみを指摘するだけの拒絶理由通知は)、ある特定の特許事務所にだけやってくるわけではないし、頻繁なものではない(頻繁だとすれば、それはそれで品質面に問題があるように思える。)。ほとんど全ての特許事務所で起こることだと思われるし、全体の拒絶理由の数に比して、非常に少ない割合のはずである。

 また、一回目の拒絶理由が「誤記のみ」だったとすれば、その誤記がなければ「一発登録」であり、「補正書あり(誤記ではない修正)」で応答した後の拒絶理由が「誤記のみ」であれば、その誤記がなければ「補正書あり(=権利を限定して)」で登録になったといえ、「意見書のみ」で応答した後の拒絶理由が「誤記のみ」であれば、その誤記がなければ「意見書のみ(=権利を限定せず)」に登録できたということになる。つまり、「権利を限定しない補正」は、いずれの場合もカウント外になるだけであり、権利化能力を測る上で、これを「意見書のみ」に相当するものとしてカウントするのは不適当である。

 このように、「権利を限定しない修正(補正)だってある」という事実は、「そのデータは、権利が限定されたか否かの応答数を正確に記したデータではない」ことの根拠にはなっても、権利化能力を測るバロメーターとしての「権利が限定されていない応答数」には影響せず、「傾向性」が失われるほどに影響のある要素とはいえないだろう。

 このように、「傾向性」をみるためのデータに対し、細かな事情を考慮していないため「正確でない」と指摘をしても、その事情が全体に及ぶものであり「傾向性」への影響が微小なものであるならば、「傾向性」は失われないと考えてよいはずである。(そもそも、たいていの分析データは、細かな事情を持ち出せば厳密に正確でないことを指摘できるものである。しかし、だからといってその分析データが誤りであることにならないことは、通常の感覚として理解できるだろう)

 よって以下では、各意見が「傾向性」にどういった影響を与えるのかという視点から、「意見書のみ応答率」という判断材料への影響を検討していきたい。

5-1.「補正書あり」の中には、実質的に限定にならない補正での応答もある

 ある意見に「実質的に限定にならない補正で権利を取るのもプロの腕」といったような意見があった。そこでまず確認しておきたいのは、「実質的に限定にならない補正」の意味である。

 厳密な意味で「実質的に限定になっていない」補正というのは、誤記のみくらいであるが、「プロの腕」と言っている以上、これを意味しているわけではない。

 つまり、「実質的に限定にならない補正」とは、その出願人の事業などを考慮すれば「実質的にビジネスに対する影響の少ない補正」といった意味で使ったものと推測される。(例えば、引用文献の組合せに阻害要因を持たせるために、そのビジネスにおいて「必須」とされる構成のみで請求項を補正する、といった場合などをいいたかったのではないか。)

 しかし、これを「実質的に限定にならない」という言葉で表してよいかは措くとして、少なくとも「権利が限定されている」という事象に変わりはない。つまり、「実質的に限定にならない補正」は、権利の限定をどの程度に抑えるかの話であって、「権利を限定したか/していないか」という振り分けには、何ら影響を与えないのである。

 もっと端的に言えば、「権利を限定するならば、なるべくその限定は少ない方がいい」と言っているだけであり、「権利を限定する」というカテゴリーの中での優劣の話であろう。

 そもそも、限定は少ない方がいいというのは当たり前の話で、全ての「補正あり」の対応は、主観的にはなるべく限定を少なくした対応のはずである。そうなれば「実質的に限定にならない補正」というのが価値判断である以上、このようなカテゴライズそのものにあまり意味はないように思える。

 また、「意見書のみ(=権利を限定しない)」で対応できる者は、「実質的に限定にならない補正(=権利を限定する)」で対応することも当然にできるが、「実質的に限定にならない補正(=権利を限定する)」でしか対応できない者は、「意見書のみ(=権利を限定しない)」で対応できるとは当然にはいえない。選択的に使えるのか、それしかできないのかで、「実質的に限定にならない補正」ができることの意味も違ってくるだろう。

 それしかできないならば、結局は、権利を限定する対応しかできないのであるから、権利を限定しないで対応できる者と比べて、権利化能力に差が出ると評価されても致し方ないだろう。このことは、裏を返せば、「実質的に限定にならない補正もある」という事情は、「意見書のみ」で応答できる権利化能力の高い者にとって、より大きな上振れ要素になる(本来なら補正無しでも応答できたがしなかった)ということである。

 なぜならば、「意見書のみ」で応答できる数が多いほど、「実質的に限定にならない補正で対応するか否か」を選択する機会は多かったと考えらえるからである。そうすると、「意見書のみ応答率」の上位と下位の差がさらに広がる要素とも捉えられるが、差が広がったところで「傾向性」には影響はない

 なお付言ではあるが、私は経験上、「実質的に限定にならない補正」、特にそのビジネスにおける必須の構成を入れる補正での権利化というのを信じ過ぎないようにしている。なぜならば、ビジネスは変化するものだからである。
 特許の権利は、通常出願から20年あるが、この20年の間に、ビジネスの形態が変化し、それまで必須とされていた構成が必須でなくなる、というのが起こるからである。そこまで考えれば、やはり、どんな限定であっても、限定しないに越したことはないというのが私の考えである。

5-2.クライアントの意向による

 この意見は、割と多く見かけたと思うが、これこそ、全ての特許事務所にとって当たり前に発生する事情であり、特定の特許事務所だけが有する事情ではない。我々は代理業を行っているのであり、代理は「本人のために」するのであるから、あらゆる案件が、この事情の下で対応されている。(全員が平等にこの制約を受けている)

 また、クライアントに対し、「あなたは限定された権利が欲しいですか?限定されていない権利が欲しいですか?」と尋ねたときに、前者を欲しいと答えるクライアントはおよそ皆無であろう。

 そのことを前提に、例えば、特許事務所からクライアントに対して、「補正するA案と、補正しないB案がありますがどうしますか?」と聞き、クライアントが「補正するA案にします」と答えたとする。

 これはつまり、その特許事務所が提案した「補正しないB案」が、説得力に欠けるものであった(クライアントが納得できるような内容ではなかった)というだけのことである。なぜならば、A案とB案が同等の説得力を持つ案ならば、上記の質問が示すように、クライアントはおよそ間違いなくB案(補正しない)を採用するからである。

 要は、「補正するA案」と「補正しないB案」が同等に提示されたのではなく、審査が通りそうなA案と、審査が通らなそうなB案が提示されただけなのである。

 A案とB案しか選択肢を持っていないクライアントとしては、「B案をトライしたところで結局ダメでA案に落ち着きそう」と思えたら、審査が無駄に増えるよりは早めに終わらせた方がコストもかからないしよいと判断して、ベストではないにしてもA案を選択する方が合理的であろう。

 確かに選択権を持っているのはクライアントであり、クライアントの意向から、ベストと考える案が受け入れられないことはある。しかし、私自身は、「補正書ありの案」と「意見書のみ(補正なし)の案」を提示して、前者の案が選択されたならば、それを単なる「クライアントの意向」と捉えるよりは、自身の実力不足と捉えて精進した方が、実務家として更に成長できると考えている。

 クライアントに納得してもらえるような十分な論理を構築できるかも含めて「権利化能力」と捉えるべきであり、その意味では「クライアントの意向による」という事情は「傾向性」に影響しないといってよいだろう。

5-3.OA応答回数が増える

 ある意見では、「意見書なし」で応答すると審査が長引くリスクがある、というのも見かけた。

 これ、実は私もそういう傾向があるのではないかと思っていた。

 しかし、実際には、そこまで大きな差はない。この点については、事務所全体の統計ではなくあくまで私自身の統計になるが「弁理士XのOA応答統計」の記事でこのデータを示している。

 例えば、2023年では、50件中30件が「補正書あり」でそのうちの26件が、その応答によって拒絶理由が解消している(=4件が解消せず、再度拒絶理由あるいは拒絶査定が来ている)。50件中20件が「意見書のみ」でそのうちの16件が、その応答によって拒絶理由が解消している(=4件が解消せず、再度拒絶理由通知か拒絶査定が来ている)。
 2024年については、50件中31件が「補正書あり」でそのうちの29件が解消し(2件失敗)、19件が「意見書のみ」でそのうちの14件が解消している(5件失敗)。

 このようにしてみると、「意見書のみ」の方が解消率が低いのは低いが、件数的にみればそこまで大きな差はない。

 つまり、「補正あり」でも「補正なし(意見書のみ)」でも、重要なのは説得力であり、審査官を納得させることができれば、「意見書のみ」だからといって審査が長期化することはないのだろう。(つまり、私の応答で「意見書のみ」の方が解消率が低いのは、それも私の実力不足なのである。)

5-4.最初から「補正」を前提にして新規性の担保を気にせず審査請求している

 そもそも、通常はほとんどの出願が「一発登録」を狙わない。つまり、拒絶理由通知を貰いにいくのである。その理由は、審査官の拒絶理由を聞いてから、最小限の限定で権利化を狙う方が、より広い権利を狙えるからであり、一発登録になってしまうと「本当にこの発明が限定の少ない発明なのか」がわからない。

 したがって、多くの出願は、進歩性(容易にすることのできない発明)を狙うのではなく、新規性(少なくとも新しければよい)だけは担保するラインを狙うだろう。

 それでは、寧ろ新規性がないところを狙う場合はどうなるか。

 実際に「新規性がない」ところを狙うといっても、想定される新規性のラインから全くかけ離れたところを狙うことはまずないだろう。例えば、携帯電話の発明をしたとして、このご時世に「表示画面と電話を備える携帯端末」などという請求項は作らない。ある程度、新規性のボーダーラインに近いところを狙わなければ、知りたい審査結果が返ってこない可能性も高くなる。

 したがって、新規性がないところを狙う=新規性のボーダーラインに近いところを狙うことと、ギリギリ新規性があるところを狙うことは、技術的にそこまで大きな差はない。ほとんどが拒絶理由通知を貰うのである。

 そうはいっても、たとえボーダーライン近くであっても。明らかに新規性がない場合と、新規性がある場合の間には、決定的な違いがある。それは、前者は確実に特許性がないが、後者は特許性がある可能性を残しているということである。言い換えれば、前者は「意見書のみ」で通る可能性はゼロだが、後者はその可能性がゼロではない。

 しかし、一回目の拒絶理由の対応で「意見書のみ」の可能性がゼロだとしても、そこから先は大きく変わらない。「補正あり」で対応するにしても、上述したように、弁理士(代理人)と審査官の間に知識や理解の差があれば、自ずと、その「補正ありの発明」に対して審査官が理解できない場合が生まれ、拒絶理由や拒絶査定が出され、それを「意見書のみ」や「審判請求書のみ」で対応するケースが出てくるのはずなのである。(1回目の最初の拒絶理由通知に対して、以下の3つのケースが出てくる)

 最初の拒絶理由通知 ⇒ 補正あり ⇒ 再度の最初の拒絶理由通知 ⇒ 意見書のみ
 最初の拒絶理由通知 ⇒ 補正あり ⇒ 最後の拒絶理由通知 ⇒ 意見書のみ
 最初の拒絶理由通知 ⇒ 補正あり ⇒ 拒絶査定 ⇒ 審判請求書のみ

 それでは、新規性を担保する請求項で審査を請求した場合はどうなるか。一発登録(特許査定)の場合、今回の集計ではカウントの対象から外れるため、「意見書のみ」あるいは「審判請求書のみ」の対応が出るまでのパターンは以下の4通りである。

 特許査定
 最初の拒絶理由通知 ⇒ 意見書のみ
 最初の拒絶理由通知 ⇒ 補正あり ⇒ 再度の最初の拒絶理由通知 ⇒ 意見書のみ
 最初の拒絶理由通知 ⇒ 補正あり ⇒ 最後の拒絶理由通知 ⇒ 意見書のみ
 最初の拒絶理由通知 ⇒ 補正あり ⇒ 拒絶査定 ⇒ 審判請求書のみ

 このように、パターンとしては「最初の拒絶理由通知 ⇒ 意見書のみ」があるか否かという点でしか違いが表れないのである。そして、「最初の拒絶理由通知 ⇒ 意見書のみ」というパターンは、出願時の発明(請求項)が特許性のある発明であったにもかかわらず、審査官が特許性がないと判断したという、ある意味では最高難度のケースなのである。

 このケースは、既に親出願でされた審査を活用して次の権利を狙う分割出願であれば、ある程度狙って行うこともできるが、最初の出願において狙って行うことは極めて難しい。なぜならば、上述した通り、出願時はたいてい新規性をギリギリ担保するあたりを狙うからである。
 そして、分割出願においては、既に親出願の審査の結果(引用文献)が見えている以上、別の発明の権利を狙うにしても、明らかに新規性のない発明を狙うことはしないようにも思える。少なくとも、親出願で出てきた引用文献に対する新規性が確保されないと、特許法50条の2の通知によって補正が制限されてしまうリスクが高まるからである。

 そうすると、最もレアなケースだけを除いて、条件は同じということになるのではないかと思う。従って、「傾向性」に影響がないとまでは言えないが、おそらくそこまでの影響は出ないものと推測される。

まとめ

 審査の本質が「答え合わせ」ではなく「答え探し」であり。

 判断を誤った拒絶理由(意見書のみで対応すべき拒絶理由)は、審査官のミスから生じるのではなく(そういう場合もあるが)、出願人/代理人(弁理士)と審査官の間の知識と理解の差によって生じる、

 という視点で捉えることができれば、見方ががらりと変わるだろう。

 そして、このように捉えれば「意見書のみ応答率」は、権利化能力を測るバロメーターになる、といえるはずで、これが私の考える「審査理論」なのである。

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