コラム:進歩性判断における究極の「後知恵」
今回は、非常に興味をそそるタイトルではないかと思う。「究極」というなんとも意味深で大胆な言葉を使い、読者の興味を煽っているではないか。ただ、タイトル負けしないくらいに面白い話だと個人的には思っている。
実務家であれば「後知恵」という言葉を聞いたことがないという者はいないだろう。たとえば、審査基準には「後知恵」について以下のような記載がある。
「3.3 進歩性の判断における留意事項
(1)請求項に係る発明の知識を得た上で、進歩性の判断をするために、以下の(ⅰ)又は(ⅱ)のような後知恵に陥ることがないように、審査官は留意しなければならない。
(ⅰ)当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたように見えてしまうこと。
(ⅱ)引用発明の認定の際に、請求項に係る発明に引きずられてしまうこと」
このように、「後知恵」とは、本願の請求項に係る発明の知識を得たことによって陥る危険のある状態を指し、その例として「本願に係る発明に容易に想到できたように思えてしまうこと」や「本願に係る発明に引きずられて引用発明を認定してしまうこと」が挙げられている。
そもそも、後知恵とは何か。私は「後知恵」とは一つの避けるべき“状態”(陥ってはならない“状態”)を指した造語だと思っている。つまり、「後知恵」という字義からその意図を追うことにはあまり意味がなく、進歩性判断をする上で陥ってはならない“ある特定の状態”のことを、キャッチ-な言葉で「後知恵」と呼んでいるに過ぎないと捉えている。
そして、「後知恵」が何を指そうとしている言葉かというと、その答えは条文の中にあり、「後知恵」とは特許法29条2項の規定から必然的に導かれる警鐘である、と認識している。
特許法29条2項は「特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。」と規定する。
この規定の通り、進歩性は、本願に係る発明を当業者が容易にすることができたか、で判断されるが、その判断は「特許出願前」の当業者を基準としなければならないことが条文によって明確に示されているわけである。
そして、特許出願前の当業者は、本願を知ることのできない者である
(出願前なのだから出願を知ることは時間的に不可能である)
一方で、進歩性の判断では、そのような者が“本願に係る発明に容易に想到できるか”を判断することになる。つまり、判断の対象となるゴールは本願に係る発明であり、我々は出願前の当業者の立場から、当業者が知らないはずのゴールである「本願に係る発明」に辿り着こうとするのである。そして、ゴールに到達する過程を評価して、それは当業者に容易といえるものなのかを判断するのである。
※ここで誤解してはならないのは、進歩性判断において、当業者は、本願に係る発明に想到できないわけではない、ということである(想到はするということである)。たとえ進歩性のある発明であっても、当業者は本願に係る発明に想到することはでき、単にそれが“容易ではない”というだけに過ぎない。本願が出願されている以上、本願に係る発明が適格なものでありさえすれば、それは当業者が想到できるものであり、反対に、当業者が想到できない発明は、必然的に適格性のない発明ということになるだろう。
このように、進歩性の判断者は、当業者が本来知らないはずの目指すべきゴールが見えている状態にあるため、「それを知らない当業者」の立場から離れてしまいやすく、恣意的にゴールに辿り着こうとしてしまう懸念が大きい。しかし、29条2項は明確に「特許出願前」と規定しているため、このような恣意は、理想的には条文の規定に反し許されないのである。
※この理は、刑事訴訟における裁判官の予断排除の法則と似たところがある。“本願発明”という情報は、純粋な容易想到性の判断に対しては予断となるが、大きく異なるのは、それが避けられない予断ということであろう。
現実的には、本願発明と知っているという事実を100%捨象して判断できる人間などおらず、一切の恣意を排除することは不可能である。このような理想と現実のギャップを埋めるために、最善を尽くさせるべく設けられたのが「後知恵」という楔である、というのが私は理解である。
さて、ここまでは、長い前振りであり、話の本質に入るための必要な前提知識である。
上述の通り、“特許出願前”の当業者が本願発明に容易に想到するかを判断するという条文からの要請によれば、本願明細書に記載されている事項を進歩性判断の直接の根拠とすることはできない、というべきである。もっといえば、純粋な理論だけで捉えると、たとえ本願明細書の「背景技術」に記載されている事項であっても、その記載のみを根拠として従来技術を認定することは許すべきではないだろう。“自認”というアメリカナイズされた考え方は、日本の特許法における進歩性判断とは相性がよくないわけである。本願において従来技術として記載される事項はあくまで、補強証拠として、他の証拠から認定される事実に対し『本願明細書もその認定事実を否定していない』といった程度で用いるべきである。
しかし私は、「後知恵」に関し、本願明細書に記載されている事項を進歩性判断の直接の根拠とすべきではない、という考えを有しているにもかかわらず、究極の後知恵を受け入れながら進歩性判断を進めてきたかもしれないことに気付いた。そしてそれは、私だけでなく、他の多くの実務家においても同様に起きている症状かもしれないと思った。
“本願発明の課題”は、進歩性判断における「究極の後知恵」ではないだろうか
日本の進歩性判断においては、本願において発明者が発明に想到した技術的な因果のルートを模する必要はない。つまり、本願と同じ技術思想から本願発明に想到せずとも、他の技術思想から創作された発明が「本願発明」に想到しているのであれば、進歩性は否定される。また、本願発明の課題は、本願発明に想到する技術思想のルートと密接に関わる事項である。
これだけをみれば、本願と同じ因果のルートを通らなくてよい以上、本願発明の課題は「後知恵」として用いられていないと言いたくなるかもしれない。
しかし、実務家の中には、このような考えを持つ者も少なくないのではないだろうか。
引用発明を組み合わせる動機を導こうとする“課題”が本願発明の課題と共通する場合には、当業者は容易に想到するという結論になりやすい
例えば、審査基準には次のような記載がある。
審査官は、主引用発明として、通常、請求項に係る発明と、技術分野又は課題が同一であるもの又は近い関係にあるものを選択する。請求項に係る発明とは技術分野又は課題が大きく異なる主引用発明を選択した場合には、論理付けは困難になりやすい。そのような場合は、審査官は、主引用発明から出発して、当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたことについて、より慎重な論理付け(例えば、主引用発明に副引用発明を適用するに当たり十分に動機付けとなる事情が存在するのか否かの検討)が要求されることに留意する。また、ここで検討されるのは、請求項に係る発明と主引用発明との間で課題が大きく異なるか否かである。
これはまさに、「本願発明の課題が何か」という本願出願前の当業者が知らないはずの事実によって、進歩性判断のハードルが変わっていることを示す記載といえるだろう。本願発明の課題との不一致性がなぜ「論理付けを困難にするのか」、乖離が大きいだけでなぜ「より慎重な」論理付けを求めるのか(言い換えれば、課題が一致する場合と一致しない場合とでなぜ論理付けの判断に対する「慎重さ」に差別が生じるのか)。
また例えば、弁理士会の研修「権利化と権利行使の両面を見据えた望ましい意見書の書き方」でも、弁護士・弁理士の小林正和先生は、進歩性判断を山登りにたとえながら、以下のようなことを仰っていた。
「最近は、進歩性の判断で、本願発明の課題と引用発明の課題の関係で進歩性を議論することがある。山登りでいうと、課題を揃えるということなので、なるべくルートを揃えるということになる。全然違う方向から山登りをするというのは、進歩性欠如の理屈としては認められないという推理になると個人的に思っている。」
また例えば、最近出た書籍「進歩性のすべて」でも、コラムの中で進歩性判断における本願発明の「課題」に関して述べており、本願発明の課題の内容次第(書き方次第)で、進歩性が否定される方向性にもなれば、肯定される方向性にもなるといったようなことが述べられている。
このように、審査基準、弁理士会の研修、弁理士業界の著名な先生方による実務書など、弁理士実務の標準的考えを浸透させる多くの資料の中で、「本願発明の課題」という要素が進歩性判断の結果に影響を与えるものとして伝えられている。
しかし、そのどれもが「本願発明の課題」が進歩性判断に影響を与える旨は述べているものの、なぜ「本願発明の課題」が進歩性判断に影響を与えるのかという正当化根拠については述べられていない。
※なお、書籍「進歩性のすべて」では、コラムの中で正当化論拠についての考察もされている。しかし、この考察は「進歩性判断において本願発明の課題が影響する」ことが真であることを前提としており、それが真なのか否かを考察するものではない(正当化するための理由付けはないかという一方通行の考察にしかなっていない)ように感じられた。
この書籍の著者らの詳細な考えについては、ぜひ書籍を購入して確認してもらいたいが、私が受け取ったイメージは、要するに、山登りの例でいえば、小林先生はゴール地点にあるものは技術でありそこに至るルート(道筋)の中に課題があるといったイメージで発明に至る道程を捉えており、「進歩性のすべて」の著者らはゴール地点に技術だけでなく課題も含まれるといったイメージで発明に至る道程を捉えているといったものである。
確かに。ゴール地点に「本願発明の課題」そのものがあれば、「特許出願前の当業者」が目指すべきゴールに含まれている以上、容易想到性の判断において、本願発明の課題は必然的に含まれることになり、進歩性判断に影響することになる。
しかし、「発明」という進歩性判断の直接的な評価対象に「本願発明の課題」が含まれるというのであれば、容易想到性判断の考慮要素には「本願発明の課題と引用発明の課題との共通性」という項目がなければ整合しないだろう。一方で、ピリミジン大合議判決は、容易想到性判断の考慮要素として、引用発明の課題は挙げているものの本願発明の課題は挙げておらず、大合議判決の考え方とも整合しない論理となっているように思える。
また、日本の進歩性判断は、本願発明と同じルートを辿ること(同じ課題から本願発明に想到すること)を要求していないため、課題そのものが発明の一部という捉え方は、容易想到性の判断を非常に複雑で難解なものとしてしまう惧れがある。例えば、本願発明とは異なるルートで引用発明から想到した場合に、そのルートの違いをどのように「容易想到性」の評価に落とし込めばいいのかが、私にはうまくイメージできない。
本願発明の辿るルートが引用発明から想到するルートよりも難しいルートだから進歩性は認められるのか?
それとも、引用発明から想到するルートが本願発明の辿るルートよりも難しいルートだから進歩性は認められるのか?
条文の規定に照らせば、本質的に評価されるべきは、引用発明から想到するルートそのものの容易性であるにもかかわらず、それぞれのルートの相対的な難易度(どっちの道のりが険しかったか)を評価するというのは、理に適った判断とは言えないようにも思える。
そのため、「進歩性判断において本願発明の課題が影響する」ことが真であることを前提にこれを説得的に説明する論理を考えたというのであれば理解できるが、「進歩性判断において本願発明の課題が影響する」ことを真とするのに十分に説得的な論拠がなされているとは残念ながら評価できない。
私自身も、「本願発明の課題」が進歩性判断に影響するという話を特に疑うことなく鵜呑みにし、それこそ小林先生と同じようなイメージで容易想到性の判断結果に影響すると考えたりもしたが、「なぜ「本願発明の課題」が進歩性判断に影響を与えてよいのか」については考えてこなかった。
しかしふと、本願発明とは異なるルートで山登りをすることが容易想到性を困難にするというのは、本願発明のルートを辿ることが最も合理的に容易想到といえるルートであるという前提に立った考えであり、それはまさに、本願出願前の当業者が知るはずもない「本願発明のルート」を基準とした“後知恵”的思考ではないだろうか、という疑問が生じたのである。
改めて、もう少し考えを掘り下げてみよう。
例えば、主引用発明と副引用発明の組合せにおいて、主引用発明には本願発明の特徴部分以外の基本的な構成が開示されており、副引用発明は、本願発明及び主引用発明からは少し離れた技術分野であるが、副引用発明には本願発明の特徴部分に対応する開示があり、かつ、本願発明の課題と共通する課題が開示されていたとしよう。
このとき、副引用発明は、技術分野としてはやや離れているため、主引用発明に副引用発明を適用するには、技術分野の壁を超えることを正当化するに足る動機が必要ということになる。その動機を形成するのに、副引用発明が開示する課題は、本願発明が開示する課題と共通しているため、(本願においてこの課題を解決するために特徴部分の技術を採用しているのであるから)本願発明と同じ技術分野の主引用発明においても、この課題から副引用発明を適用する動機がある、といった論理が展開されることがあり得る。また、このようなとき、裁判所は、(後付け的に)この課題を当該技術分野における自明の課題と認定し、その上で副引用発明との課題の共通性を導こうとすることがあり得る。
このような論理付けを展開されたとして、皆さんはどのように感じただろうか。特に飛躍した論理はされておらず、合理的な論理付けが展開されていると感じることが多いのではないだろうか。
しかし、上記の論理付けから「本願発明の課題」という要素を取り除いた場合、主引用発明と副引用発明の技術分野はやや離れており、主引用発明と副引用発明の間には明示的な課題の共通性がなく、副引用発明の技術分野における課題が主引用発明の技術分野においても自明の課題であると評価する根拠材料もない、という事実しかない。つまり、本願出願前の当業者の立場からは、これだけの事実に基づいて、主引用発明に副引用発明を適用する動機(論理杖け)を判断しなければならないことになる。
認定事実としてこれだけの違いを及ぼしているのが「本願発明と副引用発明の課題および解決手段(特徴部分の技術)が共通している」というたった一つの“後知恵”的な要素なのである。
「本願発明の課題」が、進歩性判断に際して利用されるというのは、紛れもない事実であり、もはや肯定すべき事実であろう。その一方で、進歩性判断において「後知恵が許されない」というのも肯定すべき論理である。要するに、進歩性判断において、「本願発明の課題」は「後知恵」的には使用してはならない、ということである。
しかし、残念ながら、審査基準を含め、我々に実務を諭そうとする多くの情報が、このような警鐘を無視して、進歩性判断の中に「本願発明の課題」を取り込ませようとしている。我々は無意識のうちに、「本願発明の課題」を究極の後知恵に用いて進歩性判断を行っているのかもしれない。


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