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コラム:リパーゼ判決と特許法70条2項(発明の要旨認定と技術的範囲)~ダブルスタンダードという誤解~

 今回のコラムは上記について話したい。

 私自身、すっかり忘れていたが、実は同じテーマの記事をnoteで出していた。今回はnoteで書いた内容とは全く別の切り口からの話なので重複はない。Noteでは、審査と侵害訴訟における目的の違いから、リパーゼ最判と特許法70条2項は、ダブルスタンダードではなく、無理なく併存する個々の判断基準であるという話を(過去の私は)した(ようである)。

 今回は、多少の年月を経て、さらに進化した“私なりの理解”を話すことになる。改めて自分のnoteの記事内容を読んでみたが、今回の話と整合しない部分もある(とも読めるし、整合していないとまではいえないとも読める)。

 私自身、「なるほど、こんな切り口の考えもあるのか」と感心してしまった。苦笑(このコラムを読んで興味が沸いた方はNoteの記事も読んでみると面白いかもしれない。有料記事になっているが、無料で読む方法もあるので検討いただければ幸いである。)

 今回の記事と前回noteの記事で大きく異なるのは、
 前回note記事では「リパーゼ最判と特許法70条2項は、異なる場面における判断基準だから互いに衝突することはなく併存していてよい」という話であったのに対し、
 今回の記事では「リパーゼ最判と特許法70条2項は、それぞれが判断基準として存在することが合理的である」とまで言ってしまう話である。

 私はこれを、ダブルスタンダード論とは呼ばない。理由は、それぞれの判断基準が同じフィールドの上で併存するわけではないからである。格好つけて「二重の絞り論」とでも言おうかと思ったが、さすがに憲法学者からのお𠮟りにあいそうなので「二段階フィルター論」と呼ぶことにする。

1.ダブルスタンダード論の要

 ダブルスタンダード論は「審査における“発明の要旨認定”と、侵害訴訟における“発明の技術的範囲”が、それぞれ別の基準で判断されることになる」という点に疑問を呈するものである。
 ダブルスタンダード論を語る人は、“発明の要旨認定”も“発明の技術的範囲”も発明の範囲を画定するものであり、審査と侵害訴訟で異なる判断基準を用いると相反する判断が生じてしまうのではないか、ということを危惧する。(以下、発明の要旨認定と技術的範囲を区別しない場合には「発明の範囲」ということにする。)

 言い換えれば、ダブルスタンダード論者の考えの基礎(要)には、「審査であろうと侵害訴訟であろうと、発明の範囲は変わるものではなく、同じでなければおかしい」という考えがあるように感じている。

2.二段階フィルター論(理想と現実の違いから生まれた論理)

「審査であろうと侵害訴訟であろうと、発明の範囲は変わるものではなく、同じでなければおかしい」

 理論的にこれは正しい。絶対的に正しいと言ってもよいくらいかもしれない。

 しかし、この絶対的な理論には一つの大きな見落としがある。

 それは、請求項という表現形態である。

 発明とは「(端折るが)技術的思想の創作」であり、創作である以上、理論的にそこには実体が存在する。よって理論上は、発明の範囲は画定されている。しかし、特許法の規定により、我々はこれを言葉で表現しなければならない。

 言葉には限界がある以上、我々は、発明の範囲であるはずの「技術的思想の創作」を正確に表現することはできない。つまり、「正確な発明の範囲」と「請求項」の間には端からギャップが存在しているのであり、このギャップを埋めることは不可能なのである。

 不可能ではあるが、だからといって曖昧であっていいわけではない。

 私の考える二段階フィルター論は、このギャップを埋める作業を、審査の段階と侵害訴訟の段階でそれぞれ行うことで、安定した法の運用を図ろうとする考えである。そして、二段階フィルター論は、実態を考慮して理想(正確な発明の範囲)とのギャップを近付ける考え方であり、公平性という観点からも合理的であると考えている。

 二段階のステップで請求項(言葉)を本来の発明の範囲に近付けるという考え方であれば、二つの異なる判断基準が存在することは肯定されるし、寧ろそうあるべきということになる。同じ基準では二段階にする意味がないからである。

 問題は、どのような観点からどのように段階的な判断を行うべきかという点である。

 そこでさらに、もう一つの“実態的な事実”を挙げておこう。それは、審査段階における発明の範囲の画定は第三者に向けたものであり、侵害訴訟段階における発明の画定は特定の利害関係人に向けたものである、という点である。つまり、ターゲットの違いである。

 審査段階において、全ての被疑侵害品が特定されていることはあり得ない。特許権の存続期間は未来に及ぶのであり、未来予測などできないからである。このような状況で、特定人ではなく、第三者全般に向けて、発明の範囲を請求項で表現しなければならないが、現在過去未来の全てに亘って、あらゆる被疑侵害品を想定して発明の範囲を画定することが現実的でないことは誰の目にも明らかであろう。
 このとき、法的安定性を求めるならば、全ての侵害態様に考慮した完全な請求項というおよそ現実的でない(できもしない)理想を追いかけるよりも、第三者の不測の不利益をより多く防げる画定を目指すべきである。予測できない被疑侵害品との間での細かな論点が残るとしても、このような論点の発生をできる限り少なくするように発明の範囲を画定させるべきである。

 このような観点で考えれば、審査段階においては、明細書等の参酌=解釈になるべく頼らずに請求項から発明の範囲を画定させるべきであろう。明細書等を参酌した解釈には自ずと判断に違いが生じる。第三者という不特定多数を相手にすればその数だけ異なる解釈が存在し得るのであり、これでは法的安定性(解釈の一義性)は損なわれてしまう。
 そのため、出願人側に作らせる請求項を、端から解釈頼みの請求項として許容することは、第三者に対する法的安定性を提供する上では、非常に不適切なのである。

 そうすると、リパーゼ判決の判旨は極めて適切なものと評価することができるだろう。出願人に対し、原則として請求項の記載によって発明の範囲を画定させることを要求することで、第三者への最適な公示を図ることができるわけである。

(本願発明)の要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。

 そして、審査段階から訴訟段階に移ったときには、個別の被疑侵害品との関係で、より詳細に、発明の技術的範囲に属するかの属否を判断するわけである。訴訟になっている=発明の範囲の解釈に争いがあるのだから、この段階では「請求項の記載」だけでは判断しきれない問題(争点)が生じていることになる。(争点が生じていない場合は、訴訟にまで発展せずに話し合いが終結している。)

 よって、この段階で、「原則として請求項の記載から発明の範囲を解釈する」というのはナンセンスであり、当たり前に明細書等の記載を参酌して、詳細な解釈を検討しなければならない。実態に則せば、特許法70条2項の規定も極めて自然なものといえるだろう。

前項の場合においては、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮して、特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする

 70条1項の「特許発明の技術的範囲は、願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない。」との規定は、解釈のベースが請求項に基づくという当たり前のことを述べた確認規定の位置付けといえ、一段階目のフィルターを前提として二段階目のフィルターを適用することを、それぞれ1項と2項で規定しているものと解することができる。

 リパーゼ判決と70条2項の関係はダブルスタンダードではなく、「思想の創作」と「言葉」の壁という実態的限界を考慮した補完的な関係にあり、二段階に判断を分けることによって、一段目のフィルターでなるべく紛争を起こさせないようにし、それでも生じてしまう紛争を二段目のフィルターで解決するという、異なる二つの基準があって初めて成立する合理的な紛争解決手法といえるのである。

3.「発明の範囲」の特定(何を特定しているのか)

 最後に、簡単に補足しておくが、我々が注意しなければならないのは、発明の要旨認定にしても、発明の技術的範囲の認定にしても、どちらも「真の発明の範囲(=本来的な技術的思想の創作)」を特定するものにはなっていないということである。

 上記の通り、審査段階における「発明の要旨認定」が、真の発明の範囲から離れたものであることは明らかであるが、訴訟段階における「技術的範囲の属否」においても、真の発明の範囲を特定するという作業は行われていない。あくまで、“特定の被疑侵害品”が発明の範囲に含まれるかを判断しているのであり、発明の範囲全体の外縁を画定しようとしているわけではないのである。これを概念的に示すと下図のようになる。

 例えば、理論的に実体が存在する「真の発明の範囲」に対し、必然的に生じてしまう「言葉によるギャップ」がある。八角形の形状で図示される「真の発明の範囲」と、水色の円形で図示される審査段階の「発明の範囲」の形状のギャップはこれを表している。
 そして、訴訟段階における争いは、このギャップの部分に関係して生まれる。赤い点で図示される特定の点は、被疑侵害品という特定の対象に対し、これが水色の部分に入るのか、八角形の形状内に入るのかを判断しているに過ぎず、この判断は八角形の外形の全てを知らなくても可能である。「判断の対象」として図示される楕円形の点線の範囲内においてのみ、八角形の形状の外縁がわかれば、赤い点(被疑侵害品)がどちらに属するのかは判断できるのである。

 我々が理解しなければならないのは、「真の発明の範囲」は存在するが特定はできないということである。具体的な被疑侵害品との関係で、相対的に外縁の一部を垣間見ることができるに過ぎない。

「審査であろうと侵害訴訟であろうと、発明の範囲は同じである」というのは真であるが空想でもある。目に見えない真を追いかけたところで、社会の秩序は保たれない。法の目的は、社会秩序の安定にあり、イデアの話をしても仕方ないのである。

 私は本質論者であり、形式論があまり好きではないのだが、その意味で、「発明の範囲は一致すべき」という実態と離れた理想に基づき、リパーゼ判決と70条2項を論ずるダブルスタンダード論も、私にとってはひどく形式的に見えてしまい、現実の中にある実態(本質)を無視した論説のように思えるわけである。

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