会員ログイン
判例特許

令和4年(行ケ)第10037号 特許有効審決の取消請求事件(サンエス vs セフト研究所)

進歩性:「空調服」の発明に「介護用パンツ」の発明を組合せて進歩性を否定した事例
令和5年2月7日(2023/2/7)判決言渡 判決文リンク
#特許 #進歩性

1.実務への活かし

・特許権の無効化まで #進歩性 #組合せの動機 #課題の共通性
 進歩性判断において、「A1-1」の技術分野に係る発明と「A1-2」の技術分野に係る発明との組み合わせの論理付けを検討するときには、以下の2つのアプローチを検討することで、無効論の組み立ての幅を拡げることができる。
 アプローチ1「A1-1」に係る当業者の視点から、「A1-1」に係る発明に「A1-2」に係る発明を採用する動機があるか(通常の思考)
 アプローチ2「A1」に係る当業者の視点から、「A1-1」に係る発明に「A1-2」に係る発明を採用する動機があるか(本件知財高裁の思考)

 進歩性判断において、主引用発明が有する課題と、副引用発明が解決する課題との共通性を主張するときには、それらの発明が開示される証拠(文献等)に直接記載されていない「課題」を用いることが認められる場合がある。例えば、次の2つの条件を満たす場合には、許される可能性がある。
 条件1:その課題が「周知な課題」であること
 条件2:直接的に「周知な課題」と結び付く記載はないにしても、この周知な課題を観念(想起)させるようなきっかけ」となる記載が文献にあること

∵本件で知財高裁は、「空調服」の公然実施発明である主引用発明に、「作業用パンツ」の副引用発明を組み合わせて進歩性を否定した。このとき、知財高裁は、「空調服」でも「作業用パンツ」でもなく、これらの上位概念にあたる「被服」の技術分野における当業者の視点で、進歩性を判断した。
 また、知財高裁は、「被服」の技術分野における「周知かつ自明な課題」を認定し、主引用発明に係る証拠において、課題の前提となる記載があることを「きっかけ」に、主引用発明においてもこの「周知かつ自明な課題」が存在することを認定し、副引用発明に係る証拠において、厳密には同じ課題ではないが、類似する課題といえるような課題の記載があることを「きっかけ」に、副引用発明が、副引用発明に記載されていない「周知かつ自明な課題」を解決することを当業者が認識すると判断した。

2.概要

 株式会社セフト研究所(以下、「セフト社」という。)が有する、特許第6158675号(発明の名称「空調服の空気排出口調整機構、空調服の服本体及び空調服」他。以下、「本件特許」という。)の無効審判を請求したが、不成立審決を受けたため、請求人である株式会社サンエス(以下、「サンエス社」という。)が、審決の取消しを求めた事案である。

 本件で、知財高裁は、特許庁のした進歩性の判断に誤りがあるものと認め、無効審判における不成立審決を取り消した

 本件発明は、空調服をいう被服に関するものである。空調服は、送風手段(扇風機のようなもの)を備えており、これによって服の内側に風(外気)が送られ、暑さを和らげることができる。主に外での作業が多い、建築や土木関係の作業員に人気のある商品で、ご存知の方も多いだろう。
 空調服が暑さを和らげる原理は、単に送風手段により風を発生させることにあるのではなく、外気を取り込み、これを循環させ外に排出するところまでを要する。この循環を生み出すことで、人の体の表面から出る気化熱を奪い、この熱を外に排出することができるため、暑さを和らげることができる。

 本件発明の特徴は、この空調服(上着)における空気排出口調整機構にあり、空気排出口(簡単に言えば、体と服の隙間であり、特に本件では、首と襟の間に着目している)を簡単に調整することを課題とする。
 また、具体的な解決手段は、襟の後ろ部分またはその周辺に「結べる紐」を設けるのではなく、ボタン(本件発明における「第一取付部を有する第一調整ベルト」に対応)と複数のボタン孔(本件発明における複数の「複数の第二取付部を有する第二調整ベルト」に対応)を設け、ボタンを所望のボタン孔に取り付けることで、開口部を調整できるようにしたというものである。

 無効審判及び本件において、主引用発明として挙げられたのは、襟の後ろ部分またはその周辺に「結べる紐」が設けられ、これによって空気排出口の調整が可能な空調服である。なお、主引用発明は、審判請求人であるサンエス社のカタログを証拠とする公然実施発明である(甲2号証)。

 また、サンエス社は、この他にも多くの特許/実用新案の文献を証拠提出しており、進歩性がないことを主張する複数の論理を展開した。本件では、それら複数の論理構成のうち、主引用発明+甲30号証(登録実用新案第3172651号公報)に基づく進歩性の判断について、特許庁の判断に誤りがあるとした。
 甲30号証は、介護用パンツに係る考案であり、容易に装着できることを目的の一つとし、そのために、腹回りの帯紐の長さを複数のボタンを設けることで調整可能としている。

 特許庁は、前審の無効審判において、次のように判断し、主引用発明+甲30号証によっては進歩性を否定することはできないと判断した。

特許庁の判断(判決から抜粋。下線は付記
「本件発明3と本件公然実施発明との対比
 本件発明3と本件公然実施発明とは、次の一致点1で一致し、相違点1で相違する。
(一致点1)
 …
(相違点1)
 襟後部と人体の首後部との間に形成される、空気流通路内を流通する空気を外部に排出する空気排出口の開口度を調整するための手段について、本件発明3が、「…第一調整ベルトと、…第二調整ベルトと、を備え、前記第一取付部を前記複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付けることで前記空気流通路内を流通する空気の圧力を利用することにより、前記襟後部と人体の首後部との間に、複数段階の予め定められた開口度で前記空気排出口を形成する」「開口度を調整するための空気排出口調整機構」であるのに対し、本件公然実施発明は、「…紐1と、…紐2とを備え、2本の紐(1、2)を結ぶことによって、空気排出量を調節することができる、首周りの空気排出スペースを調整する手段」である点
 相違点1についての判断
 本件公然実施発明は、…本件明細書の…従来技術に相当するものであ…る。
 このように、本件公然実施発明が無段階で調節できる利点を有するものの、異なる位置への速やかな調節には向いていないものであるのに対し、本件発明3が、有段階で微調節に向かないものの、異なる位置への変更は容易であるから、両者は互いにその技術的意義を異にするものであり、本件公然実施発明の…「首周りの空気排出スペースを調整する手段」を、本件発明3の…「空気排出口調整機構」に置き換えることの動機付けがない。
 …原告は、甲30には、「第一調整ベルトが「第一取付部を有し、」第二調整ベルトが「…複数の第二取付部を有し」「前記第一取付部を前記複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付ける」ことにより、繋いだときの長さを調整できる第一調整ベルトと第二調整ベルト」との発明(以下「甲30発明」という。)が記載されており、この甲30発明と本件公然実施発明とは、被服の分野に属する発明であって、2つの紐状部材を繋いだときの長さを調整するという課題・目的も共通しており、甲30発明を本件公然実施発明に適用する動機付けが存在し、甲30発明を本件公然実施発明に適用することにより、相違点1に係る本件発明3の構成とすることは当業者が容易に想到できたことであると主張する
 しかし、甲30は、「介護用パンツを使用する者が立った姿勢であっても自分独りで容易に装着することができ…る介護用パンツを提供すること」(甲30の段落【0011】)を課題とし、甲30の帯紐とボタン等の止め部材を備える介護用パンツは、腰紐と帯紐が人体の腰部を囲んだ状態で、個人差のある腰周りの大きさに応じて調整できるようにされたものであるのに対して、本件公然実施発明の2本の紐は、2本の紐を結ぶときに中に支える物体がない、首周りの空気排出スペースを調整するためのものであり、紐の長さを調整する際に物体を囲んで調整するものである点で、その目的や機能を異にするものである
 したがって、人体の腰部を囲んだ状態で…調整できるようにした甲30発明…を、それとは異なり、本件公然実施発明の、結ぶときに中に支える物体がない、首周りの空気排出スペースを調整するための2本の紐に換えて採用する動機付けがない。また、そもそも甲30には、複数段階の予め定められた開口度で空気排出口を形成するものが示されていない。
 よって、甲30発明から、上記相違点1に係る本件発明3の構成を、当業者が容易に想到し得たとはいえない。」

 このように、特許庁は、公然実施発明(主引用発明)が空調服に分野の発明であり、甲30発明が介護用パンツの分野の発明であるという違い、甲30発明に係る課題が介護用パンツについての課題であるという点、及び、このような違いから生じる公然実施発明と甲30発明との目的や機能の違いを重視して、動機付けを否定した。
 これに対し、知財高裁は、複数の文献から被服の分野の周知かつ自明の課題を認定し、これによって、公然実施発明の有する課題と甲30号証に開示される発明が解決する課題との間の課題の共通性」を認めるという論法を採り、次のように判断して、特許庁の判断に誤りがあるとした。

知財高裁の判断(判決から抜粋。下線、色字、太字は付記)
「…相違点1に係る本件発明3の構成の容易想到性の判断に当たっては、空気排出口の開口度を調整するための手段(空気排出口調整機構)に係る次の各点(以下、これらの各点を併せて「本件相違点」という。)を検討すれば足りるというべきである。
 a 本件発明3の「第一調整ベルト」は、「第一取付部を有」するのに対し、本件公然実施発明の「紐1」は、そのような構成を備えない点
 b 本件発明3の「第二調整ベルト」は、「前記第一取付部の形状に対応して前記第一取付部と取り付けが可能となる複数の第二取付部を有」するのに対し、本件公然実施発明の「紐2」は、そのような構成を備えない点
 c 空気排出口の形成に関し、本件発明3は、「前記第一取付部を前記複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付けることで」形成するのに対し、本件公然実施発明は、そのような構成を備えない点
 d 空気排出口の開口度に関し、本件発明3は、「複数段階の予め定められた」ものであるのに対し、本件公然実施発明は、そのような構成を備えない点
 …以上のとおりであるから、甲30には、本件相違点に係る本件発明3の構成に相当する構成を全て含んだ介護用パンツの発明(以下「甲30発明’」という。)が記載されているものと認めるのが相当である。
 甲30発明’の本件公然実施発明への適用
 ア 技術分野の関連性
 …本件公然実施発明は、空調服…の技術分野に属すると認められるのに対し、…甲30発明は、介護用パンツの技術分野に属する発明であると認められる。空調服と介護用パンツは、その形状や使用目的を異にするものではあるが、いずれも身体の一部を包んで身体に装着する「被服」であるという点(なお、この点は、被告も争うものではない。)では、関連性を有するものである。
 …空調服も被服である以上、空調服に係る当業者は、被服に係る各種の先行技術を参酌するのが通常であるといえるから、本件公然実施発明に甲30発明’を適用する動機付けがあるか否かの検討に当たって考慮すべき両者が属する技術分野の関連性につき、「空調服の空気排出口」という細部にわたってまで一致しなければ両者の関連性が薄いと解するのは、狭きに失するものとして相当ではない
 イ 課題の共通性
 本件公然実施発明から認識される課題
 甲15には、次の記載がある。…
 甲16には、次の記載がある。…
 甲17には、次の記載がある。…
 甲18には、次の記載がある。…
 …各記載によると、本件出願日当時被服の技術分野においては、2つの紐状部材を結んでつないで長さを調整することや、そもそも2つの紐状部材を結んでつなぐこと自体、手間がかかって容易ではないとの周知かつ自明の課題が存在したものと認められる(なお、前記1(1)のとおり、本件明細書にも、本件出願日当時に存在した課題として、一組の調整紐を結んで所望の長さになるようにすることは非常に難しく、ほとんどの着用者は空気排出口の開口度を適正に調整することができないとの記載がみられるところである。)。
 そうすると、被服の技術分野に属する本件公然実施発明の構成…自体からみて、…本件公然実施発明に接した本件出願日当時の当業者は、上記の課題を認識するものと認めるのが相当である。
 甲30発明’が解決する課題
 …甲30発明’は、…個人差のある腰回りの大きさに応じて介護用パンツ1を装着することを可能にするというものであるところ、甲30に装着の容易さについての記載(段落【0008】、【0009】、【0011】)があることや、前記…のとおりの周知かつ自明の課題が本件出願日当時に被服の技術分野において存在したとの事実も併せ考慮すると、本件出願日当時の当業者は、甲30発明’につき、これを2つの紐状部材を結んでつないで長さを調整することが手間で容易ではないとの課題を解決する手段として認識するものと認めるのが相当である。
 前記…のとおりであるから、本件公然実施発明から認識される課題と甲30発明’が解決する課題は、共通すると認めるのが相当である
 …本件公然実施発明が空調服の首回りの空気排出スペースの大きさを調整するものであるのに対し、甲30発明’が介護用パンツの腰回りの大きさを調整するものであること、すなわち、両者が何を調整するのかにおいて異なることは、課題の共通性に係る上記結論を左右するものではない(両者は、紐状の部材の締結により被服が形成する空間の大きさを調整するとの目的ないし効果において異なるものではない。)。
 本件公然実施発明に甲30発明’を適用することについての動機付けの有無
 前記…のとおりであるから、被服の技術分野に属する本件公然実施発明に接した本件出願日当時の当業者は、空気排出スペースの大きさを調整するための手段である「紐1」及び「紐2」を結んでつないで長さを調整することが手間で容易でないとの課題を認識し、当該課題を解決するため、同じ被服の技術分野に属する甲30発明’を採用するよう動機付けられたものと認めるのが相当である。」

3.本件のより詳細な説明、及び、判決内容の考察

3-1.本件特許について

 上述した通り、本件特許は「空調服」に関する発明で、特に、空気排出口を調整する機構についての発明である。発明の名称も「空気排出口調整機構」となっている。本件で審理の対象となったのは、対象特許の請求項3に係る発明(以下、これを本件発明と呼ぶ。)であり、請求項の記載は以下の通りである。

【請求項3 】
 送風手段を用いて人体との間に形成された空気流通路内に空気を流通させる空調服の襟後部と人体の首後部との間に形成される、前記空気流通路内を流通する空気を外部に排出する空気排出口について、その開口度を調整するための空気排出口調整機構において、
 第一取付部を有し、前記空調服の服地の内表面であって前記襟後部又はその周辺の第一の位置に取り付けられた第一調整ベルトと、
 前記第一取付部の形状に対応して前記第一取付部と取り付けが可能となる複数の第二取付部を有し、前記第一調整ベルトが取り付けられた前記第一の位置とは異なる前記襟後部又はその周辺の第二の位置に取り付けられた第二調整ベルトと、
 を備え、
 前記第一取付部を前記複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付けることで前記空気流通路内を流通する空気の圧力を利用することにより、前記襟後部と人体の首後部との間に、複数段階の予め定められた開口度で前記空気排出口を形成することを特徴とする空気排出口調整機構。

 まず、空調服とは、下図のように、扇風機のファンのような送風手段11によって外気を服の内部に取り込み、首回りや腕周りから空気を排出するという仕組みとなっている。そのため、「空気排出口」の役割を担うのは、首回りや腕周りにおける服と身体の隙間ということになる。

 

 本件特許では、首回りや腕周りの空気排出口のうち、襟後部12と首後部との間に形成される開口部を、「空気排出口」と称している。
 本件発明は、この空気排出口を調整する機構として、襟後部に、ボタンとボタン孔を設ける構成とした。下左図の(c)が、襟の部分(符号2)に、複数のボタン孔(符号52a及び52b)と、ボタン付きの調整ベルト(符号51)が取り付けられた図である。また、下左図の(b)は、調整ベルト51が取り付けられる前のボタン孔付きの襟部2であり、(a)は調整ベルト51単体の図である。
 このような調整ベルト51を取り付け、調整ベルトのボタンをボタン孔に留めることで、襟部2には、下右図のように、空気排出口(符号13)ができるという調整機構ができあがる。請求項には、「調整ベルト」や「取付部」や「調整機構」といった堅苦しい言葉が使われているが、実際の実現手段は、言ってしまえば「襟の部分にボタンとボタン孔を用意した」というシンプルな作りである。(シンプルなものに発明が認められているからこそ、係争特許になっているので、良い発明である)

 また、本件特許には、本件発明との対比として、従来の空調服における空気排出口の調整機構が、図8(下図)と共に説明されている。下図の通り、従来の調整機構は紐を結ぶものであった。

3-2.判決についての感想

全体的な結果について:納得度30%

 本件で、知財高裁は「被服」の分野における「周知かつ自明の課題」を楔にして、「空調服」に係る発明と「介護用パンツ」に係る発明を結び付けるというアプローチを採った。このように、一見すると遠くは離れているように見える発明同士の組み合わせを肯定するアプローチとして、上位の技術分野に視点を移すというのは、無効論のロジックを検討する上で、検討の幅を拡げてくれる非常に有益なアプローチである
 一方で、通常とは異なるアプローチであることからも、このようなアプローチが、どういった条件下であれば認められやすいかを理解しておかないと、主張は明後日の方向に行ってしまうだろう
 また、知財高裁は、「長さを調整するために紐で結ぶという手段は手間がかかる」という上記の「周知かつ自明の課題」を、このような課題が直接記載されていない主引用発明及び副引用発明に対して適用し、その結果、主引用発明から認識される課題と副引用発明が解決する課題の共通性を導いた。
 文献などの、発明が開示されている証拠に直接記載されていない課題を、その発明が解決する課題として認定するというのも、常套的な手段ではない。従って、このようなアプローチについても、どのいった条件下であれば認められやすいかを理解しておくことが、重要かつ有益であろう
 以下では、この点についての分析を述べる。

 なお、上述の知財高裁の判断ロジックは、合理的かつ有用なものだと思うが、本件の結論については疑問が残る。そのため、納得度は30%という低い値になった。この点についても最後に触れることにする。

3-3.進歩性の判断ロジックについての分析

知財高裁の認定と特許庁の認定

 実のところ、事実認定においては、前審における特許庁と本件における知財高裁との間に大きな差異はない。今回の判断の肝となった「周知の課題」については、以下のように特許庁も認定していた。

特許庁の認定(審決より抜粋。下線、太字は付記)
「また、請求人が提出した甲15~甲40についてみると、甲15~甲22からは、2つの紐状部材を結んで(締結して)繋ぐのに手間がかかるという課題は、本件特許出願日以前に周知かつ自明な課題であり、この課題を解決するために、より便利な各種の締結具を利用することも、本件出願前において慣用的に行われていたことが(審判請求書63~66頁)、甲23~甲29からは、被服の分野において、2つの部材を繋ぐための留め具として、ボタン、スナップボタン、マジックテープ(面状テープ)、ホックなどが周知であることが(審判請求書66~70頁)、甲28~甲33からは、ボタン等の留め具の一方(ボタン等)を複数ある他方(複数のボタンホール等)のいずれか一つに取り付けることで、2つの紐状部材(調整ベルト)を繋げたときの長さを複数段階に調整することが周知かつ慣用的に行われていることが(審判請求書70~75頁)、甲28、甲34~甲40からは、ボタン、スナップボタン、マジックテープ(面状テープ)やホックは、当業者が適宜選択できる脱着可能な固定手段(留め具)であることが(審判請求書76~80頁)、それぞれ把握できる。」

 特許庁と知財高裁とで認定事実に相違がないにもかかわらず、両者において進歩性判断の結論が違うということは、判断ロジックの違いが結論を分けたといえるだろう。

判断の違い1(相違点の認定の違い)

 本件は、「周知かつ自明の課題」を用いたアプローチに目が行きがちではあるが、実は、特許庁と知財高裁では、本件発明と公然実施発明との相違点の認定に大きな違いがあり、この点も、結論を分ける大きな要因になっているものと推察される。
 本件発明(請求項3)と、特許庁の認定した相違点と、知財高裁の認定した相違点は、以下の通りである。

特許庁の認定した相違点
 襟後部と人体の首後部との間に形成される、空気流通路内を流通する空気を外部に排出する空気排出口の開口度を調整するための手段について、
 本件発明3が、「第一取付部を有し、前記空調服の服地の内表面であって前記襟後部又はその周辺の第一の位置に取り付けられた第一調整ベルトと、前記第一取付部の形状に対応して前記第一取付部と取り付けが可能となる複数の第二取付部を有し、前記第一調整ベルトが取り付けられた前記第一の位置とは異なる前記襟後部又はその周辺の第二の位置に取り付けられた第二調整ベルトと、を備え、前記第一取付部を前記複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付けることで前記空気流通路内を流通する空気の圧力を利用することにより、前記襟後部と人体の首後部との間に、複数段階の予め定められた開口度で前記空気排出口を形成する」「開口度を調整するための空気排出口調整機構」であるのに対し、
 本件公然実施発明は、「前記空調服の服地の内表面であって前記襟後部又はその周辺の第一の位置に取り付けられた紐1と、前記紐1が取り付けられた前記第一の位置とは異なる前記襟後部又はその周辺の第二の位置に取り付けられた紐2とを備え、2本の紐(1、2)を結ぶことによって、空気排出量を調節することができる、首周りの空気排出スペースを調整する手段」である点

知財高裁の認定した相違点
 a 本件発明3の「第一調整ベルト」は、「第一取付部を有」するのに対し、本件公然実施発明の「紐1」は、そのような構成を備えない点
 b 本件発明3の「第二調整ベルト」は、「前記第一取付部の形状に対応して前記第一取付部と取り付けが可能となる複数の第二取付部を有」するのに対し、本件公然実施発明の「紐2」は、そのような構成を備えない点
 c 空気排出口の形成に関し、本件発明3は、「前記第一取付部を前記複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付けることで」形成するのに対し、本件公然実施発明は、そのような構成を備えない点
 d 空気排出口の開口度に関し、本件発明3は、「複数段階の予め定められた」ものであるのに対し、本件公然実施発明は、そのような構成を備えない点

 このように、知財高裁は、上記の特許庁の認定した相違点のうち、下線部についても公然実施発明に開示があると認定している。
 この認定は合理的かつ妥当な認定と言っていいだろう。特許庁のした判断は、特許請求の範囲を構成要件に分け、構成要件の単位で対比するという形式的かつ硬直的な判断であり、判断の実質的な合理性が欠けると言ってよい。

 請求項3を下図のように模式的に表すとよくわかる。
 左上の「本願発明」は、本件発明の請求項3の書き方を模している(構成Aが第1調整ベルト、構成Bが第2調整ベルト、機能Cが空気排出口調整機能である)。また、左下の「本願発明´」は、本願発明の書き方を変えただけの同一の発明である。

 構成単位を厳守し、形式的に対比をすると、「本願発明」と主引用発明との相違点は右上のようになる。つまり「構成A」ではなく「a1を有する構成A」という単位で対比をするため、構成1(a1を有する構成A)は主引用発明には開示されていないということになり、構成1~3の全てが開示されていないことになる。一方で「本願発明´」と主引用発明とを対比すると、構成1~3は開示されているが限定1~3は開示されていないとなり、相違点は限定1~3になる。

 このように特許庁の行った硬直的な判断では、同じ発明のはずなのに、「請求項の書き方」の違いのみによって相違点の認定が異なるという不合理な結論が導かれてしまうのである。これでは、等しい発明の開示に対し、書き方というテクニックによって進歩性が認められたり、認められなかったりするといった事態が起こり、「発明」の公平な保護が図れなくなってしまう。
 そのため、本件において、知財高裁が、特許庁の「相違点1」に関する判断を是正したのは適切であったと言えよう。

 なお、本件で、知財高裁は、直接的に特許庁の「相違点の認定」の判断に誤りがあったとは指摘していないが、これは、サンエス社が「本件審決がした相違点1の認定を争うものではないが、より正確にいえば、…のみが実質的に問題となる。」という消極的な主張をしたことによるものだろう。知財高裁の「相違点1に係る容易想到性の判断にあたっては、本件相違点を検討すれば足りる」という言い回しも、当事者が争っていない事実の誤りを表面上は認定しなかっただけであり、本件相違点を検討すれば足りると言っている以上、実質的には相違点の認定に誤りがあったものと判断したといえるだろう。

 上記の認定については、セフト社が「特許発明と主引用発明との相違点を認定するに当たっては、発明の技術的課題の解決の観点から、まとまりのある構成を単位として認定する必要があり、かかる観点を考慮することなく、相違点を殊更に細かく分けて認定し、各相違点の容易想到性を個々に判断することは許されない。」と主張している。

 この主張自体は合理的ではあるが、上の図でも示したように、「まとまりのある構成」の単位を、記載の仕方という形式面で捉えようとすることは間違いであり、それでは実質的に捉えるべき発明の構成が、単なる書き方の問題となってしまう。
 セフト社は「原告の主張は、「空調服における襟後部と人体の首後部との間に形成される、空気流通路内を流通する空気を外部に排出する空気排出口の開口度を調整するための手段」を捨象し」ていると述べているが、公然実施発明における「紐を結ぶ手段」は、「空調服における襟後部と人体の首後部との間に形成される、空気流通路内を流通する空気を外部に排出する空気排出口の開口度を調整するための手段」なのであり、対比において捨象しているわけではなく、対比によって公然実施発明に開示されているに過ぎないのだから、この点は寧ろセフト社の主張の方が失当であろう。

 つまり、本件発明と公然実施発明には、「ボタン」で実現するか「紐」で実現するかという違いはあるにしても、空気排出口を調整する機構という上位概念にあたる機構については両発明に共通して開示されているのである。
 従って、この共通部分を考慮せずに判断を行うことは、公然実施発明に開示されているはずの技術思想を開示されていないものとして扱うことになり、却って不当な判断となるのである。

 物事を適正に判断するには、事象を局所的に見ることだけでなく俯瞰的に見ることも重要である。本件でいえば、請求項の記載や構成の記載といった局所的な視点から一度離れ、二つの発明を俯瞰してみてみると、結局のところ両発明の違いは「ボタン」という実現手段か「紐」という実現手段かの違いしかないということは容易に把握できただろう。
 しかしながら、この「俯瞰した視点」を持つことが難しく、議論に没頭してしまうと得てして見失いがちになる。本件における特許庁も、前審の審理において俯瞰の視点を持つことができていれば、異なる判断が下せたかもしれない。

判断の違い2(論理付けの判断)

相違点の認定誤りによる影響

 上記のように、認定される相違点に違いがあったため、その後の論理付けの判断に違いが生じるのは当然である。その意味では、特許庁の論理付けの判断と、知財高裁の論理付けの判断を対比することは、実効性のある分析とは言えないかもしれない。

 私がそう思う理由は、仮に、相違点の認定に違いがなく、特許庁の認定した「相違点1」が本件発明と公然実施発明との相違点であったとすると、本件で知財高裁が行った判断ロジックによっても、進歩性欠如を認めることはできないと思われるからである。

 特許庁の認定した「相違点1」は、紐ではなくボタンによって長さを調整するというだけでなく、これによって「空気排出口」を形成するというところまで含まれているため、「空気排出口を形成する手段としてボタンを用いる」ことを開示する文献が求められることになる。そうすると、甲30号証の介護用パンツの発明では「空気排出口」の開示にはならず、相違点1に係る発明が文献に開示されていないことになる。(開示がない以上、進歩性は認められる。)

 事実、特許庁も、「相違点1」を認定した上で、空気排出口に関する発明を開示していないことを理由に、サンエス社が行った進歩性欠如の複数の主張を一蹴している(サンエス社は、公然実施発明+甲15~甲40号証に基づく設計的事項、公然実施発明+甲28~甲33号証の周知技術、公然実施発明+甲28号証に記載された事項、及び、公然実施発明+甲30号証に記載された事項、でそれぞれ進歩性の欠如を主張をしている。)。

審決より抜粋(下線、太字は付記)
「相違点1について検討する。
 公然実施発明は、甲1(本件明細書等)の段落【0006】及び図8に記載された従来技術に相当するものであって、公然実施発明の結ぶことにより調節するものは、調節する際に、一旦解いて、再度結ぶことが必要であり、前の結んだ位置に対して異なる位置の結び目とする調節が難しいものである。これに対して、本件発明3は、「第一取付部を複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付ける」ものとすることにより、現在の取付位置と隣の取付位置との変更を容易とするものである。
 このように、公然実施発明が無段階で調節できる利点を有するものの、異なる位置への速やかな調節には向いていないものであるのに対し、本件発明3が、有段階で微調節に向かないものの、異なる位置への変更は容易であるから、両者は互いにその技術的意義を異にするものであり、公然実施発明の2本の紐を結ぶことによる「首周りの空気排出スペースを調整する手段」を、本件発明3の「複数の第二取付部を有」する「第二調整ベルト」を備え、「第一調整ベルト」の「第一取付部を複数の第二取付部の少なくともいずれか一つに取り付ける」ようにして「複数段階の予め定められた開口度で空気排出口を形成する」「空気排出口調整機構」に置き換えることの動機付けがない。

技術分野の共通性の判断

 知財高裁が、相違点の認定を見直したことでまず、副引用発明が、空気排出口に関する発明を開示する文献である必要はなくなった。
 しかし、空調服以外の文献から副引用発明を認定すると、そこには技術分野の違いが生じることになる。甲30号証は介護用パンツの発明であり、感覚的に、空調服とは全然違うという印象を受けるが、知財高裁は、公然実施発明(空調服の発明)と甲30号証の介護用パンツの発明には、「技術分野の関連性」があると判断している

 ここで重要なこと(間違えてはいけないこと)は、本件で知財高裁は、「介護用パンツに係る発明を空調服に係る発明に採用することの動機」を判断していない、ということである。つまり、空調服と介護用パンツの技術分野の隔たりを埋めようとした(介護用パンツに係る発明であっても空調服の分野に適用できることを論じようとした)のではなく、「被服」という隔たりのない分野にまで、技術の属する領域を押し上げる論法を採ったのである。(これは、技術分野の共通性に限らず、課題の共通性にも当てはまる。)

 なお、知財高裁は、動機付けの判断において、なぜ空調服の発明(本件発明及び公然実施発明)と介護用パンツの発明(甲30号証に係る発明)を「被服」の分野という広い分野の発明にカテゴライズした上で判断してよいかについては、下記のように述べるだけで、具体的な説明はしていない。

知財高裁の判断(判決より抜粋)
「空調服も被服である以上、空調服に係る当業者は、被服に係る各種の先行技術を参酌するのが通常であるといえるから、本件公然実施発明に甲30発明’を適用する動機付けがあるか否かの検討に当たって考慮すべき両者が属する技術分野の関連性につき、「空調服の空気排出口」という細部にわたってまで一致しなければ両者の関連性が薄いと解するのは、狭きに失するものとして相当ではない。」

 このような知財高裁の説明自体は、やや合理性に欠けるといえるだろう。空調服も被服の一種だから被服の技術分野でいいとなれば、空調服も空調機器の一種だから空調機器の技術分野でいいとも言えるし、空調服も繊維の一種だから繊維の技術分野でいいとも言える。つまり、なんだってよくなってしまうのであり、空調服に限定することがなぜ「狭きに失する」と言えるのかの説明にもなっていない。

 この部分については、結論は妥当と思っているが、論理がイマイチである。私ならば、たとえば認定した相違点との関連性というアプローチを採るなどして、もう少し合理的のある説明を試みるだろう。例えば、以下のように説明をすれば、少なくとも上述の説明よりは合理性が出たのではないかと思う。

「本件相違点は、空気排出口調整機構が、従来は紐を結ぶという手段により実現されていたのに対し、第一取付部(ボタン)と複数の第二取付部(ボタン孔)により実現されたという点にある。また、従来の「紐を結ぶ」という手段も、本願の「ボタンとボタン孔」も、専ら被服の分野において利用される技術であることは明らかである。
 そうすると、従来技術から出発する当業者には、本件空調服の空気排出口調整機構に関し、被服の分野に属する他の技術の採用を試みようとする一応の動機は存在するといえる一方で、被服の分野のうち空調服の分野にしか関心を持たないという方が当業者の通常の思考からは考え難いというべきである。
 従って、公然実施発明と甲30号証に記載される発明には、技術分野の関連性が認められる。」

 技術分野の関連性とは、いわば、従来技術(主引用発明)から本願発明に想到する道のりにおいて、本願発明に係る技術分野に属する当業者ならば、どういった技術分野にまで思考を拡げるであろうかということだと思う。被服の分野における技術的手段と相違点との関係が深いのであれば、その発明が全体として空調服の発明であるかどうかは、当業者が被服の分野にまで思考を拡げることの障害にはならないだろう。

課題の共通性の判断
判断手法

 知財高裁は、課題の共通性を判断するに当たり、「①被服の分野における周知かつ自明の課題」を認定し、次に、「②この周知かつ自明の課題が、空調服の発明である公然実施発明においても課題として認識されるか」を判断し、最後に、「③甲30号証に開示される発明は、この周知かつ自明の課題を解決する手段として認識されるか」を判断する、という判断手法を採っている。

 このように、「被服」へと技術分野を押し上げた上で、その分野における周知かつ自明の課題を、今度は各発明(公然実施発明及び甲30号証に開示される発明)に落とし込むという論法を行っており、ここが本件における知財高裁の判断ロジックで最も特徴的な部分であるだろう

公然実施発明において認識される課題の判断

 本件において、主引用発明たる公然実施発明は、カタログを証拠とするものであるため、当然、その証拠に「課題」は記載されていない。
 そこで知財高裁は、「公然実施発明からどのような課題が認識されると言えるか」を認定するために、①において、甲15~18号を挙げ、「本件出願日当時、被服の技術分野においては、2つの紐状部材を結んでつないで長さを調整することや、そもそも2つの紐状部材を結んでつなぐこと自体、手間がかかって容易ではないとの周知かつ自明の課題が存在したものと認められる」と判断した。

 その上で、知財高裁は、②において、公然実施発明における「紐を結ぶことで空気排出口を調整する」との構成自体から、「本件公然実施発明に接した本件出願日当時の当業者は、上記の課題を認識するものと認めるのが相当である。」と判断した。

 つまり、空調服の襟の部分に紐を設けて空気排出口を調整する機構をみれば、被服において認識されるのと同様に、当事者は、紐を結んでつなぐことに手間がかかって容易でないという課題を認識するであろうという判断を下したのである。

 個人的には、この判断に違和感はない。空調服も被服であるというのは事実であり、その空調服において、紐を結んで長さを調整する調整機構が開示されていたとしたら、「空調服だから、①の課題は想起されない」という方が難しいだろう。
 空調服が有する他の被服にはない特徴的な構造が①の課題を想起させない事由になるならともかく、そういった事情がないのであれば、空調服においても同様の課題を認識することは、公然実施発明の空調服に接した「被服」の分野の当業者であれば通常のことであろう。

 なお、知財高裁は、「本件明細書にも、本件出願日当時に存在した課題として、一組の調整紐を結んで所望の長さになるようにすることは非常に難しく、ほとんどの着用者は空気排出口の開口度を適正に調整することができないとの記載がみられるところである」と述べている。
 知財高裁が、本件明細書の記載から直接、公然実施発明の課題を導かなかったのは、本件明細書の記載を根拠に、本件発明の進歩性を否定するという構成を取らないためであろう。特許法29条が「出願前」の文献等に基づいて新規性/進歩性を判断する規定のため、出願前の文献とはいえない本件明細書を直接用いることは、たとえ従来技術の認定であったとしても避けたのだと推察される。(この点は、発明者自身の自認を取り込むことのできるアメリカと考え方が異なる。)
 つまり、知財高裁は、出願日当時の被服の分野における周知かつ自明の課題を間接証拠に用いて、公然実施発明においても同様の課題が認識されることを導いた。知財高裁が、本件明細書を挙げたのは、間接証拠としてではなく、補助証拠(つまり、被服の分野における周知かつ自明の課題が公然実施発明にも及ぶという事実の証明力を補強する証拠)として用いたといえるだろう。

甲30号証に記載される発明が解決する課題の判断

 本件で、知財高裁は、③甲30号証に記載される発明(甲30発明´)が解決する課題が何かを求めるのではなく、「被服」の分野における当業者が既に周知かつ自明な課題であると認識していることを前提に、甲30発明´がこの課題を解決するものと当業者によって認識されるかを判断した。

 ここで知っておくべき重要な事実は、甲30号証には、「紐を結んでつなぐことに手間がかかって容易でない」といったような課題は記載も示唆もされていないということである。
 甲30号証には、「介護用パンツを、要介護者や身障者が一人で着用するのは非常に困難な作業となる。」といった記載や「本考案は、介護用パンツを使用する者が立った姿勢であっても自分独りで容易に装着することができる介護用パンツを提供することを目的とする。」といった記載はあるが、紐で結ぶことが面倒であるとか手間がかかるといった記載は何らされていない。

 つまり知財高裁は、甲30号証に記載された発明が、甲30号証には記載されていない課題を解決するものとして、当業者に認識されるかを判断したのである。

 この判断は、非常に興味深く、また、疑義を生じさせる判断であろう。甲30号証に記載されている手段が解決する課題を、甲30号証の外から持ってくることは、甲30号証に開示される発明を理解するという行為の範疇を超えていると捉えることもでき、また、そのように解するのが通常であろう。
 開示されている手段から、その手段がどのような課題を認識するかを認定するということ自体が、課題に対する解決手段を開示するのが発明の開示であるという本質論を無視することになりかねない。

 しかし、このようなアプローチをしてはならないかというと、そうではないと思う。現実的にも、何らかの手段を有する物を見て、そこから「この手段は~のために設けられている」と認識することはあり得る。
 たとえば、家(建築物)の柱を見れば、建物を支えるために設けられていることは認識できるのであり、たとえ特許明細書においてその柱が別の課題を解決するために設けられていると記載してあったところで、「建物を支えるための手段」であることを認識しなくなることはないだろう。

 このように、文献に開示される技術が解決する課題を文献に外から持ってくる判断手法は、「当業者において、その手段が記載されていれば、当該手段が解決するであろう課題を当然のように認識できるといえる事情の存在」を必須の要件とするように思う。

 それでは、本件において知財高裁は、どのようにしてこの「事情」の存在を認めたのであろうか。

 まず一つに、知財高裁は、進歩性判断における「当業者」を、「空調服」の技術分野に属する当業者でもなく、「介護用パンツ」の技術分野に属する当業者でもなく、「被服」の技術分野に属する当業者とした点が挙げられるだろう。
 技術分野を「被服」とした明確な根拠は述べられていないが、おそらく「紐で結ぶのではなくボタンで留める」という相違点をみて、これが「空調服」や「介護用パンツ」に限った技術ではなく、結局のところ「被服」の分野におけるありふれた手段であるという印象があったのだろう。
 なお「印象」というだけでは合理的な説明にはならないが、実際の判断において印象は重要である。そのため、審査をする側にこのような印象を持たせることは、実務においては非常に重要である。理由付け(合理的な説明)は、印象から導かれる結論を正当化するに過ぎないからである。

 知財高裁が、「空調服」ではなく「被服」の分野の当業者を基準としたのは、同じ事象に対する、当業者の違いによる認識の違いを考量したものと考えるのが妥当だろう。もう少しわかりやすく言うと、「空調服」の分野に属する当業者の視点から認識される甲30号証と、「被服」の分野に属する当業者の視点から認識される甲30号証とでは、発明の見え方が違うという点に着目しているということである。

 空調服に係る当業者が介護用パンツに係る発明を見て、その発明が空調服の分野における課題を当然に解決する手段であると認識することは、被服に係る当業者が介護用パンツに係る発明を見て、その発明が被服の分野における課題を当然に解決する手段であると認識することよりも、ハードルが高いというのは理解いただけるだろう。

 次に、知財高裁は、当業者の「周知かつ自明の課題」を認定したという点がある。課題が、その当業者において「周知かつ自明」なものであれば、文献に明示的に記載されていない課題であっても、その課題を解決する手段が開示されていれば、課題の認識に結び付きやすくなるとはいえるだろう。寧ろ、手段から課題を認識できるといえる合理的な説明をするには、当業者において「周知な課題」であることは必須の条件になるかもしれない。(周知だけでなく、自明であることも必須かどうかはわからないが、周知であるだけでなく自明であることは、さらに課題への認識を結び付けやすくなるように思える。)

 そして最後に、知財高裁は、甲30号証の記載にも触れている。
 具体的に、知座高裁は「甲30に装着の容易さについての記載(段落【0008】、【0009】、【0011】)があることや、…周知かつ自明の課題が本件出願日当時に被服の技術分野において存在したとの事実も併せ考慮すると、…課題を解決する手段として認識するものと認めるのが相当である。」と述べている。

甲30号証の段落【0008】、【0009】、【0011】
【0008】
 上記のように、要介護者のなかでも、自分でパンツを装着することが要求される場合がある。そのとき、立った姿勢で特許文献1のようなフラットな形状のオムツを装着するには、右前身頃又は左前身頃のいずれかを身体に添わして止めた状態で右前身頃又は左前身頃の他方を引っ張って重ね合わせた後に結合させる必要がある。
【0009】
 さらに、パンツの前端部となる覆い部を身体の後方に垂れ下げた状態にして、他方の手で覆い部を持って股下から引き出して腹部の下方へ当てる必要がある。従って、立った姿勢の使用者が自分自身でパンツを装着する作業は困難であり、その作業には思わぬ労力を要することとなる。
【0011】
 本考案は、上記の事情に鑑みてなされたものであり、介護用パンツを使用する者が立った姿勢であっても自分独りで容易に装着することができ、しかもパンツを装着した状態が外観的に目立たず、さらには製作工程を簡略化して容易に製作することができる介護用パンツを提供することを目的とする。

 甲30号証の記載からもわかるように、甲30号証において述べられている「装着の容易さ」とは、介護用パンツを履く者(要介護者)にとって、介護用パンツを履くという作業は簡単なものではないということを説明しているのであって、従来の介護用パンツが紐だからといったことではない。
 従来の介護用パンツが紐で結ぶタイプであったかどうかもわからないため、仮に、「介護用パンツ」に係る当業者で判断したとすると、甲30号証に「紐で結ぶのが面倒という課題を解決する手段としてのボタン」を認定することは難しいように思える。つまり、ここでも、「被服」の分野における当業者からの視点であることが、本件の結論を導く重要な要素となっている。

知財高裁の判断ロジックから学べること

 このようにして分析してみると、本件で知財高裁は、無効論の構築のために有益な2つの道具を落としてくれたと言えるだろう。

 一つは、文献に記載されている技術が、文献に記載されていない課題を解決する手段であるという認定を導くという手法である。
 もう一つは、「A1-1」の技術分野に係る発明に「A1-2」の技術分野に係る発明を組み合わせることの論理付けを「A1」の技術分野に属する当業者の視点から行うという手法である。

 また、文献に記載されている技術が、文献に記載されていない課題を解決する手段であるという認定を導くための条件としては、以下の2点が挙げられる。(※なお、これが唯一の条件ではないが、あくまで、本件から導いた条件である)

  条件1:「周知な課題」であること(望ましくは、自明である)
  条件2:直接的に「周知な課題」と結び付かないにしても、この周知な課題を観念させるような「きっかけ」となる記載が文献にある

 また、「A1-1」の技術分野に係る発明と「A1-2」の技術分野に係る発明との組み合わせの論理付けを検討するときには、以下の2つのアプローチを検討することで、無効論の組み立ての幅を拡げることができる。

  アプローチ1:「A1-1」に係る当業者の視点から、「A1-1」に係る発明に「A1-2」に係る発明を採用する動機があるか
  アプローチ2:「A1」に係る当業者の視点から、「A1-1」に係る発明に「A1-2」に係る発明を採用する動機があるか

 但し、「アプローチ2」を検討するときに気を付けなければならないのは、「A1」の当業者の視点から判断するということである。つまり、「A1」に係る当業者からは「A1-1」の技術分野に特有の課題は認識されず、あくまで「A1-1」の発明から「A1」の技術分野の課題が認識されるに留まるということである。
 ここをきちんと整理して論理を構成しないと、主張の整合性が不十分となるので、アプローチ2を検討するときには、当業者の視点がずれていないか、何度も確認しながら進めていくべきであろう。

 上記の2つの道具を真に使いこなすことができれば、無効論の組み立ての幅はかなり拡張するであろう。その主張が必ず容れられるかは定かではないが、より広い視野からアプローチができることが、相手の特許を無効にできる確率を上げてくれることは間違いない。

3-4.本判決の結論について

 最初にも述べたが、私は、知財高裁の採った上述の判断アプローチについては、合理的であり、非常に有益であると考えている一方で、結論については、これでよかったのかと思うところがある。

 知財高裁は、「紐を結んで長さを調整する」という作業が手間がかかって容易ではないという周知の課題が存在し、このような課題は空調服においても当てはまるとした。また、紐に代えてボタンを留めることで手間がかかるという課題を解決できるというのが被服の分野において当業者に認識されるものと認めた。

 これらの認定には特段異論はない。しかしながら、知財高裁は、一つ、重要な判断を欠いているのではなかろうか。それはつまり、知財高裁の認定した解決手段は、被服の分野における解決手段に過ぎないということである。分かり易く言えば、この解決手段が、本件発明や主引用発明に対しても課題を解決する手段となり得るかについての判断を欠いているのではないか、ということである。

 本件は、空調服に関し、特に首の後ろと襟後部の間に取り付けられる空気排出口の調整機構の発明である。イメージをすればわかるが、紐で結ぶにしても、ボタンで留めるにしても、この調整機構を利用するには、両手を首の後ろに回して作業をすることになるだろう。

 このように首の後ろに両手を回し、目視もできない状態で空気排出口を調整する場合に、果たして、紐で結ぶという作業の煩雑さに対して、ボタンで取り付けるという作業は容易になっているといえるだろうか?
 個人的には、目視できない状態であれば、どちらの作業も手間がかかって容易ではないように思う。(さらに言えば、個人的には、ボタンをボタン孔に留める方が難しいように思う。)

 確かに、被服という分野においては、紐を結ぶよりもボタンで留める方が作業が容易になることはあるだろう。しかし、このような効果はあくまで、体の正面側に調整機構があり、紐あるいはボタンとボタン孔を目視しながら作業ができるという状況が前提なのではないかと思う。

 そして、仮に、被服の分野における解決手段であっても、これが、主引用発明である空調服の襟後部における調整機構においては解決手段とならないか、なるかどうかが不明である場合には、主引用発明に課題を解決するかもわからない手段を採用する動機はなくなるのではないかと思う。

 上記の点は、もちろん、法律審である最高裁では争えない事由であり、知財高裁判決が出た時点で、判決の拘束力によって、差し戻された無効審判においても争えない事由であろう。

 本件特許は、現在、訂正請求がされた状態で審理中である。仮に、セフト社が、本件審決取消訴訟において上記の主張を行っていたとしたら、サンエス社の請求は棄却され、訂正をすることなく特許が存続していたかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました