AIが自律的にした発明の保護適格性を否定された事例
2025/1/30判決言渡
#特許
1.はじめに
AIのした発明が特許法で保護されるか。これ自体の結論はおおよそ予測できていたものだったため、本件を記事にする予定はなかったし、知財高裁の判決を読むつもりもなかった。(直接実務に活きる内容でもないし)
裁判所も私も見解は同じで、現行の特許法の解釈からは保護適格は認められないし、AIが自律的にした発明(AI発明)を保護するかは立法論の話であるからそっちからアプローチしてくれという代り映えのしない結論であり、わざわざ取り上げるほどのものでもないと思っていたのである。
今回、記事を上げようと思った理由は、知財高裁の判決を読んでみると、地裁判決と高裁判決のアプローチが異なっており、本件知財高裁が、裁判所には珍しく、立法的課題についても大きく踏み込んでいるからである。
立法論(立法の課題)と言いつつ、裁判所が判決の中で、AI発明に対する意見をここまで述べるのは珍しいし、知財高裁は、地裁にはなかった視点(留意点)を、非常にわかりやすく諭そうとしている。
知財高裁の視点は、法律的観点から立法上の問題を捉えるものであり、その意味では、立法政策に踏み込んでいるのではなく、法の番人として、法の存在価値、法が守るべき秩序を考慮して、「AI発明」を法の枠の中で統制しようとするときの法律論を述べているとも捉えることができよう。
そこで、これから立法の議論を進めていく知財専門家の方に、知財高裁が伝えようとしたであろうメッセージが誤解なく伝わるように、さらに紐解き、私なりの意見も混ぜて伝えることが、本記事の目的である。
2.地裁と高裁の判決
とりあえず、地裁判決と高裁判決のそれぞれの判決文(裁判所の判断)を載せておく。適宜参照したい人のために載せておくが、必要な部分は適宜抜粋するため、読みたい人だけ読んでくれればよい。
地裁の判断(判決より抜粋)
「1 我が国における「発明者」という概念
知的財産基本法2条1項は、「知的財産」とは、発明、考案、植物の新品種、意匠、著作物その他の人間の創造的活動により生み出されるもの(発見又は解明がされた自然の法則又は現象であって、産業上の利用可能性があるものを含む。)、商標、商号その他事業活動に用いられる商品又は役務を表示するもの及び営業秘密その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報をいうと規定している。
上記の規定によれば、同法に規定する「発明」とは、人間の創造的活動により生み出されるものの例示として定義されていることからすると、知的財産基本法は、特許その他の知的財産の創造等に関する基本となる事項として、発明とは、自然人により生み出されるものと規定していると解するのが相当である。
そして、特許法についてみると、発明者の表示については、同法36条1項2号が、発明者の氏名を記載しなければならない旨規定するのに対し、特許出願人の表示については、同項1号が、特許出願人の氏名又は名称を記載しなければならない旨規定していることからすれば、上記にいう氏名とは、文字どおり、自然人の氏名をいうものであり、上記の規定は、発明者が自然人であることを当然の前提とするものといえる。また、特許法66条は、特許権は設定の登録により発生する旨規定しているところ、同法29条1項は、発明をした者は、その発明について特許を受けることができる旨規定している。そうすると、AIは、法人格を有するものではないから、上記にいう「発明をした者」は、特許を受ける権利の帰属主体にはなり得ないAIではなく、自然人をいうものと解するのが相当である。
他方、特許法に規定する「発明者」にAIが含まれると解した場合には、AI発明をしたAI又はAI発明のソースコードその他のソフトウェアに関する権利者、AI発明を出力等するハードウェアに関する権利者又はこれを排他的に管理する者その他のAI発明に関係している者のうち、いずれの者を発明者とすべきかという点につき、およそ法令上の根拠を欠くことになる。のみならず、特許法29条2項は、特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(以下「当業者」という。)が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、進歩性を欠くものとして、その発明については特許を受けることができない旨規定する。しかしながら、自然人の創作能力と、今後更に進化するAIの自律的創作能力が、直ちに同一であると判断するのは困難であるから、自然人が想定されていた「当業者」という概念を、直ちにAIにも適用するのは相当ではない。さらに、AIの自律的創作能力と、自然人の創作能力との相違に鑑みると、AI発明に係る権利の存続期間は、AIがもたらす社会経済構造等の変化を踏まえた産業政策上の観点から、現行特許法による存続期間とは異なるものと制度設計する余地も、十分にあり得るものといえる。
このような観点からすれば、AI発明に係る制度設計は、AIがもたらす社会経済構造等の変化を踏まえ、国民的議論による民主主義的なプロセスに委ねることとし、その他のAI関連制度との調和にも照らし、体系的かつ合理的な仕組みの在り方を立法論として幅広く検討して決めることが、相応しい解決の在り方とみるのが相当である。グローバルな観点からみても、発明概念に係る各国の法制度及び具体的規定の相違はあるものの、各国の特許法にいう「発明者」に直ちにAIが含まれると解するに慎重な国が多いことは、当審提出に係る証拠及び弁論の全趣旨によれば、明らかである。
これらの事情を総合考慮すれば、特許法に規定する「発明者」は、自然人に限られるものと解するのが相当である。
したがって、特許法184条の5第1項2号の規定にかかわらず、原告が発明者として「ダバス、本発明を自律的に発明した人工知能」と記載して、発明者の氏名を記載しなかったことにつき、原処分庁が同条の5第2項3号に基づき補正を命じた上、同条の5第3項の規定に基づき本件処分をしたことは、適法であると認めるのが相当である。
2 原告の主張に対する判断
⑴ 原告は、我が国の特許法には諸外国のように特許を受ける権利の主体を発明者に限定するような規定がなく、特許法の制定時にAI発明が想定されていなかったことは、AI発明の保護を否定する理由にはならない旨主張する。しかしながら、自然人を想定して制度設計された現行特許法の枠組みの中で、AI発明に係る発明者等を定めるのは困難であることは、前記において説示したとおりである。この点につき、原告は、民法205条が準用する同法189条の規定により定められる旨主張するものの、同条によっても、果実を取得できる者を特定するのは格別、果実を生じさせる特許権そのものの発明主体を直ちに特定することはできないというべきである。その他に、原告の主張は、AI発明をめぐる実務上の懸念など十分傾聴に値するところがあるものの、前記において説示したところを踏まえると、立法論であれば格別、特許法の解釈適用としては、その域を超えるものというほかない。
⑵ 原告は、AI発明を保護しないという解釈はTRIPS協定27条1項に違反する旨主張する。しかしながら、同項は、「特許の対象」を規律の内容とするものであり、「権利の主体」につき、加盟国に対し、加盟国の国内特許法にいう「発明者」にAIを含めるよう義務付けるものとまでいえず、また、原告主張に係る欧州特許庁の見解も、特許法に関する判断の国際調和という観点から一つの見解を示すものとして十分参考にはなるものの、属地主義の原則に照らし、我が国の特許法の解釈を直ちに左右するものとはいえず、本件に適切ではない。
⑶ 原告は、知的財産基本法2条1項は「その他」と「その他の」の用法を混同しており、「発明」が「人間の創造的活動により生み出されるもの」に包含されると規定するものではない旨主張する。しかしながら、特許法がAI発明を想定していなかったことは、原告も認めるとおりであり、知的財産基本法2条1項も、立法経緯に照らし、文言どおり、AI発明を想定していなかったものと解するのが相当である。そして、当時想定していなかったAI発明については、現行特許法の解釈のみでは、AIがもたらす社会経済構造等の変化を踏まえた的確な結論を導き得ない派生的問題が多数生じることは、前記において繰り返し説示したとおりである。
⑷ 以上によれば、原告の主張は、いずれも採用することができない。
3 その他
その他に、原告提出に係る準備書面及び提出証拠を改めて検討しても、前記において説示したところを踏まえると、いずれも前記判断を左右するに至らない。
したがって、原告の主張は、いずれも採用することができない。
なお、被告は、当裁判所の審理計画の定め(第2回弁論準備手続調書参照)にかかわらず、原告主張に係るAI発明をめぐる実務上の懸念に対し、具体的な反論反証(令和5年11月6日提出予定の被告の再々反論、再々反証をいう。上記手続調書参照)をあえて行っていないものの、特許法にいう「発明者」が自然人に限られる旨の前記判断は、上記実務上の懸念までをも直ちに否定するものではなく、原告の主張内容及び弁論の全趣旨に鑑みると、まずは我が国で立法論としてAI発明に関する検討を行って可及的速やかにその結論を得ることが、AI発明に関する産業政策上の重要性に鑑み、特に期待されているものであることを、最後に改めて付言する。」
高裁の判決(判決より抜粋)
「1 争点⑴(特許権により保護される「発明」は自然人によってなされたものに限られるか)について
⑴ 特許法上の「発明」と特許を受ける権利について
ア 特許法は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とし(同法1条)、特許権は、同法所定の出願、審査の手続を経て、設定の登録により発生する(同法66条1項)と規定している。すなわち、特許権は、特許法により創設され、付与される権利であり、特許を受ける権利もまた、同法により創設され、付与される権利である。特許法は、特許権及び特許を受ける権利の実体的発生要件や効果を定める実体法であると同時に、特許権を付与するための手続を定めた手続法としての性格を有する。
イ 特許法29条1項柱書は、「産業上利用することができる発明をした者は、…その発明について特許を受けることができる。」と規定しており、同項の「発明をした者」は、特許を受ける権利の主体となり得る者すなわち権利能力のある者であると解される。
また、同法35条1項にいう「従業者等」が自然人を指すことは、文言上、同項の「使用者等」に法人、国又は地方公共団体が含まれているのに対し、「従業者等」には法人等が含まれていないことから明らかである。そして、同条3項は、「従業者等がした職務発明」について、一定の場合に特許を受ける権利が原始的に使用者等に帰属する場合があることを定めているが、同項の規定も発明をするのは自然人(従業員等)であることを前提にしている。特許法上、「特許を受ける権利」の発生及びその原始帰属者について定めた規定は、上記の同法29条1項柱書及びその例外を定める同法35条3項以外には、存在しないから、特許法上、「特許を受ける権利」は、自然人が発明者である場合にのみ発生する権利である。そして、本件で問題となっている国際出願に係る国内書面のほか、特許出願の願書(特許法36条1項2号)、出願公開に係る特許公報(同法64条2項3号)、国際出願の国内公表に係る特許公報(同法184条の9第2項4号)、設定登録に係る特許公報(同法66条3項3号)については、いずれも「発明者の氏名」を記載又は掲載するものとされ、それぞれ、特許出願人、出願人又は特許権者について「氏名又は名称」を記載又は掲載するものとされていることと対比しても、発明者については自然人の呼称である「氏名」を記載又は掲載することを規定するものであって、職務発明の場合も含め、発明者が自然人であることが前提とされている。
ウ そうすると、特許法は、特許を受ける権利について、自然人が発明をしたとき、原則として、当該自然人に原始的に特許を受ける権利が帰属するものとして発生することとし、例外的に、職務発明について、一定の要件の下に使用者等に原始的に帰属することを認めているが、これら以外の者に特許を受ける権利が発生することを定めた規定はない。また、同法に定める「特許を受ける権利」以外の権利に基づき特許を付与するための手続を定めた規定や、自然人以外の者が発明者になることを前提として特許を付与するための手続を定めた規定もない。したがって、同法に基づき特許を受けることができる「発明」は、自然人が発明者となるものに限られると解するのが相当である。
エ(ア) これに対し、原告は、特許法29条1項柱書は「AI発明については特許を受ける権利が発生しない」などと規定しているわけではなく、法人が発明者とならないとの解釈についても同法35条3項と併せて初めて導き出されるものであり、同項に相当する規定がないAI発明について、同法29条1項柱書のみから、特許を受ける権利が発生しないと解することはできない旨主張する。
しかし、特許を受ける権利は、特許権と同じく特許法により創設され、付与される権利であるから、権利能力のない存在が発明した発明について特許を受ける権利が発生する旨の規定や、その場合の権利の帰属者を定める規定がないのに、これを否定する規定がないことだけを理由に、特許法上、権利能力のない存在が行った「発明」について特許を受ける権利が発生するとは認められない。
そもそも、特許法が予定している「特許を受ける権利」の解釈は、特許法29条1項柱書の文言、同法の他の規定の文言との整合性を検討した上でされるべきものであり、検討した結果、同項柱書にいう「発明をした者」が自然人をいうものと解されることは、前記ウのとおりである。
したがって、原告の前記主張は理由がない。
(イ) 原告は、前記各最高裁判決を引用し、発明が自然人によって創作されたか否かという主体の面は重視されていない等と主張する。しかし、これらの最高裁判決は、いずれも発明の要件としての技術的完成度や自然法則の利用等が問題となった事案であって、「発明」の主体が争点となった事案ではない。確かに、特許法2条1項の規定する「発明」の定義(自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの)中には、発明者が誰であるかという点は明示的に含まれてはいないけれども、特許法上、特許を受けるための手続については、これまで検討したとおり、権利能力のない存在を発明者とする発明について特許を付与するための手続は定められていない。したがって、仮に、原告が主張するように特許法上の「発明」の概念自体は自然人を発明者とする場合に限られないと解したとしても、権利能力のない存在を発明者とする「発明」について、同法に基づく手続により特許権を付与する余地がないことに変わりはない。
(ウ) 原告は、AIであるダバスがした発明について、善意の占有者(民法189条1項、205条)又は所有者(同法206条、89条1項)の果実取得権に基づき、本件出願に係る発明についての特許を受ける権利を有していると主張する。
しかし、発明という情報を客体として保護する場合の財産権の具体的内容は、特許法その他の個別の法律により決まるべき性質のものである。AIは有体物ではないから、所有権の対象にはならず、仮に、AIの使用者が民法205条の規定にいう財産権を行使している者に該当すると考えた場合でも、「AI発明について特許を受ける権利」は、「物の用法に従い収取する産出物」又は「物の使用の対価として受けるべき金銭その他の物」(民法88条1項及び2項)のいずれにも該当しない。前記のとおり、AI発明について特許を受ける権利が発生する根拠規定自体存在しないのであるから、現行法上、これを財産権の行使に係る果実に該当するものと解することはできない。そもそも、AIに係る当該財産権の内容として、いかなるものを考えるべきかどうかということ自体、今後の検討課題と言わざるを得ない。特許法が認めていない特許を受ける権利が、これらの民法の規定に基づいて発生すると解することはできず、本件において、民法89条を適用し、又は準用することもできないというべきであるから、原告の主張は失当である。
(エ) 原告は、日本の特許法は、英国、オーストラリア又はニュージーランドのように特許を受ける権利の原始的帰属を発明者に限定する趣旨の条文も、米国のように特許出願人となり得る主体を限定する趣旨の条文も定めていないから、特許を受ける権利の原始的帰属や特許出願人となり得る主体が限定されていないと主張する。
しかし、特許法の解釈として、自然人が発明者となる発明の場合に特許を受ける権利の発生及び原始的帰属が限定されていると解すべきことは、これまで述べたとおりである。
(オ) 原告は、特許法の制定当時、AI発明という概念やこれに伴う法律問題は存在しておらず、特許法が自然人による発明のみを前提にして制定されたことは明らかであるから、特許法がAI発明に関する規定を設けていないことは、AI発明の保護を一律に否定する理由にはならないと主張し、また、AI発明は現に誕生して利用され、今後も増加が予想されるから、産業の発達に寄与するという特許法の目的に照らし、できる限り保護を認めるよう解釈運用すべきであって、自然人による発明に限定した場合には、AI発明を生み出す意欲が減退する、生み出されても公開されず秘匿される等の弊害も生ずることになり、産業の発達に寄与するという特許法の目的にも反する等と主張する。
特許法の制定当から直近の法改正に至るまで、近年の人工知能技術の急激な発達、特にAIが自律的に「発明」をなし得ることを前提とした立法がなされていないことは、原告が主張するとおりである。
しかし、特許権は天与の自然権ではなく、「発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことを目的とする特許法に基づいて付与されるものであり、その制度設計は、国際協調の側面も含め、一国の産業政策の観点から議論されるべき問題である。
例えば、次世代知財システム検討委員会報告書(平成28年4月、知的財産戦略本部検証・評価・企画委員会、次世代知財システム検討委員会、乙10)においては、人工知能による自律的な創作(AI創作物)について、「『情報量の爆発的な増大』という形で、人間による創作活動を前提としている現在の知財制度や関連する事業活動に影響を及ぼしていくと考えられる。人工知能は、人間よりはるかに多くの情報を生成続けることが可能と考えられるからである。」、「AI創作物が自然人の創作物と同様に取り扱われるとなると、それは即ち、人工知能を利用できる者(開発者、AI所有者等)による、膨大な情報や知識の独占、人間が思いつくような創作物はすでに人工知能によって創作されてしまっているという事態が生じることも懸念される。」等の指摘がされている。
すなわち、AI発明に特許権を付与するか否かは、発明者が自然人であることを前提とする現在の特許権(原則として、特許権は特許出願の日から20年の存続期間を有し、特許権者は業として特許発明を実施する権利を独占し(特許法68条本文)、侵害者に対する差止請求権(同法100条)及び損害賠償請求権を有する等)と同内容の権利とすべきかを含め、AI発明が社会に及ぼすさまざまな影響についての広汎かつ慎重な議論を踏まえた、立法化のための議論が必要な問題であって、現行法の解釈論によって対応することは困難である。原告が主張する発明者を自然人に限定した場合の弊害等も、これらの立法政策についての議論の中で検討されるべき問題である。
そうすると、本件処分時点(及び現時点)で特許法がAI発明の存在を前提としていないことは、特許権付与によりAI発明を保護するという立法的判断がなされていないことを意味し、この場合において、単純にAI発明を現行制度の特許権の対象とするような法解釈をすることが、直ちに「発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことにつながるということはできない。
(カ) 原告は、TRIPS協定27条1項は、新規性、進歩性及び産業上の利用可能性のある発明について、自然人がしたか否かにかかわらず、特許法上の保護を与える5 義務を規定しているから、特許法がAI発明の保護を排除していると解釈することは、同協定の規定に反することになる旨主張する。
しかし、TRIPS協定には、原告の指摘する27条1項を含め、同項にいう「発明」についての定義はなく、前記(オ)のとおり、近年に至るまで、AIが自律的に「発明」をなし得るという事態は生じていなかったことからすると、同協定がAI発明に特許法上の保護を与える義務を規定していると解することはできない。
オ 以上のとおり、原告の主張は、いずれも採用することができない。
⑵ 小括
したがって、現行特許法は、自然人が発明者である発明について特許を受ける権利を認め、特許を付与するための手続を定めているにすぎないから、AI発明については、同法に基づき特許を付与することはできない。
そうすると、AI発明が特許法上の「発明」の概念に含まれるか否かについて判断するまでもなく、特許法に基づきAI発明について特許付与が可能である旨の原告の主張は、理由がない。」
3.地裁判決と高裁判決について
まず初めに、地裁判決と高裁判決は、法解釈においてその考えに大きな相違はない。一方で、立法的課題であるとの認識は同じであっても、この問題の捉え方については異なっているように思える。
法解釈について、地裁は「特許法に規定する「発明者」は、自然人に限られるものと解するのが相当」と述べ、高裁は「特許を受けることができる「発明」は、自然人が発明者となるものに限られると解するのが相当」と述べた。多少の表現は違っていても、どちらも、「特許法が保護の対象とするのは、自然人による発明に限られる」というものであることに相違はない。
立法論については、地裁は「AI発明に係る制度設計は、AIがもたらす社会経済構造等の変化を踏まえ、国民的議論による民主主義的なプロセスに委ねることとし、その他のAI関連制度との調和にも照らし、体系的かつ合理的な仕組みの在り方を立法論として幅広く検討して決めることが、相応しい解決の在り方とみるのが相当である。」や「原告の主張は、AI発明をめぐる実務上の懸念など十分傾聴に値するところがあるものの、前記において説示したところを踏まえると、立法論であれば格別、特許法の解釈適用としては、その域を超えるものというほかない。」や「特許法にいう「発明者」が自然人に限られる旨の前記判断は、上記実務上の懸念までをも直ちに否定するものではなく、原告の主張内容及び弁論の全趣旨に鑑みると、まずは我が国で立法論としてAI発明に関する検討を行って可及的速やかにその結論を得ることが、AI発明に関する産業政策上の重要性に鑑み、特に期待されているものであることを、最後に改めて付言する。」と述べ、
高裁は「特許権は天与の自然権ではなく、「特許法の制定当初から直近の法改正に至るまで、近年の人工知能技術の急激な発達、特にAIが自律的に「発明」をなし得ることを前提とした立法がなされていないことは、原告が主張するとおりである。しかし、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことを目的とする特許法に基づいて付与されるものであり、その制度設計は、国際協調の側面も含め、一国の産業政策の観点から議論されるべき問題である。」や「AI発明に特許権を付与するか否かは、発明者が自然人であることを前提とする現在の特許権(…)と同内容の権利とすべきかを含め、AI発明が社会に及ぼすさまざまな影響についての広汎かつ慎重な議論を踏まえた、立法化のための議論が必要な問題であって、現行法の解釈論によって対応することは困難である。原告が主張する発明者を自然人に限定した場合の弊害等も、これらの立法政策についての議論の中で検討されるべき問題である。」と述べた。
確かに、どちらも立法の問題であると述べているものの、東京地裁は「可及的速やかに結論を得ることを期待する」と述べている一方で、知財高裁は「慎重な議論を踏まえた立法の議論が必要」と述べており、そこには大きな温度差がある。
一部には、知財高裁が、本判決によってAI発明の立法を後押ししたと見る方もいるようではあるが、私はこのような見方をしておらず、寧ろ、積極的な後押しをしようとした東京地裁を宥めることで、知財高裁は東京地裁の「期待」に釘を打ち、結論を急ぎ過ぎることについて警鐘を鳴らそうとしているように感じられる。
3-1.法律論(法解釈)について
地裁も高裁も、「特許法により「保護される発明」が自然人のした発明に限られるか」について、自然人のした発明に限られると判断している。わずかに違いがあるとするならば、地裁は「発明者」の解釈を命題としている一方で、高裁は「保護される発明」の解釈を命題としている点で異なる。
これは、特許法という法律が何を保護するかという核をきちんと意識しているかの違い、いうなれば、特許法についての造詣の深さの違いということもできる。特許法は、産業の発達のために、「発明」の保護及び利用を図るものであり、「発明者」の保護を直接の目的とするものではない。
確かに出願却下の処分は「発明者に自然人を記載しなかったこと」によるものであるが、AI発明の保護という問題は、法律上の「発明者」の解釈という無機質な問題ではなく、特許法が保護の対象とする発明なのかというのが、問題の本質である。
よって、特許法が保護の対象とする発明は自然人のした発明に限られる→発明者にはその証明たる自然人が記載される必要がある→自然人が記載されなかった出願の却下処分は適法である、という論理構成の方がより適切であったといえるだろう。
なお補足しておくと、「特許法上の「発明」が自然人による発明に限られるか」については、高裁だけでなく地裁も判断はしていない。この点、確かに地裁判決は、争点を「特許法にいう「発明」とは、自然人によるものに限られるかどうか。」と記しており、サイト「特許法の八衢」でも「特許法にいう「発明」とは、自然人によるものに限られるかどうか。」を争点としているにも拘わらず、…「発明者」の解釈によって結論を出していることに、判決全体の整合性という観点から疑問をおぼえる。」と述べているが、判決の内容全体を読めば、単なる「争点」の記載ミス程度に捉えればよいように思える。
そもそも、本件訴訟は、出願却下処分の取り消しを求める行政事件訴訟であり、出願却下という行政処分の違法性一般を争う訴訟である。そして特許庁は、「発明者の氏名として自然人の氏名を記載するよう補正を命じたものの、原告が補正をしなかったため、184条の5第3項に基づき、本件出願を却下する処分(以下「本件処分」という。)をした。」のである。つまり、出願却下は、発明者に自然人を記載しなかったことによって下された処分であり、AI発明が「(特許法上の)発明」に該当しないという理由で却下されていないのであるから、これが処分の違法性を争う直接の理由とはならない。(※処分の違法性を争うための間接的な争点となることはあり得る。(例えば、出願却下の処分理由が、「ダバスが自然人でないこと」ではなく「ダバスがAIであること」だとすれば争点となり得るかもしれない。))。
実際に、地裁判決では、「裁判所の判断」において「我が国における「発明者」という概念」を判断しており、特許法上の「発明」、つまり、特許法が“保護の対象とする”と否とに関わらない、同法上の「発明」は判断していないのである。(例えば、新規性/進歩性の判断における引用発明としての「発明」は、保護の対象としての「発明」ではないが、特許法上の「発明」ではある。)
しいて言うなら、地裁は、特許法上の「発明」というときの発明に、引用発明(29条1項各号の発明)などの保護対象とならない「発明」が含まれ得ることについて無知だっただけのような気もする。
さて、結論は同じものであっても、地裁と高裁の論理構成は大きく異なっている。東京地裁では、俯瞰的な視点からアプローチをした一方で、知財高裁はより実態的な側面からアプローチをしているため、この違いを見ていくことにしよう。
東京地裁が採った論理構成は、知的財産基本法が「人によって創造される知的財産」を対象としているため、特許法も、特許を含む知的財産の基本法のこの意を汲んだ法律といえ、実際にこれに適った制度設計(特36条1項2号等)がされており、特29条の「発明をした者」は自然人と解釈できる、といった流れである。
知的財産基本法と特許法の制定時期の前後(知的財産基本法の方が後)はたいした問題ではないと思うが、この法律構成のネックは、知的財産基本法2条1項の規定から特許法の解釈を導こうとすることそのものにある。
そもそも知的財産基本法2条1項は「知的財産」を規定する条項であるが、「知的財産とは何か」という話になれば、その語義からしても、AI発明を枠組みの外に置く必要はないように思える。2条1項は、知的財産法が保護すべき「知的財産」を規定しているわけではなく、下記の通り、知的財産基本法1条に規定される目的は幅広い施策に目を向けている。このような法目的からすれば、同法の「知的財産」には、むしろAI発明も含まれるべきであり、知的財産推進計画の策定においてAIを無視することなどあり得ないとすら思える。
知的財産基本法第1条
この法律は、内外の社会経済情勢の変化に伴い、我が国産業の国際競争力の強化を図ることの必要性が増大している状況にかんがみ、新たな知的財産の創造及びその効果的な活用による付加価値の創出を基軸とする活力ある経済社会を実現するため、知的財産の創造、保護及び活用に関し、基本理念及びその実現を図るために基本となる事項を定め、国、地方公共団体、大学等及び事業者の責務を明らかにし、並びに知的財産の創造、保護及び活用に関する推進計画の作成について定めるとともに、知的財産戦略本部を設置することにより、知的財産の創造、保護及び活用に関する施策を集中的かつ計画的に推進することを目的とする。
ところが、東京地裁の論理構成では、2条1項の「知的財産」にAI発明が含まれると解され、あるいはAI発明を含むような改正がされた場合、特許法における発明もAI発明を含むこととなり、保護の対象となるという話になりかねない。具体的な権利の付与を規定する特許法と、知財戦略を推進するに留まる知的財産基本法とでは法目的の性格も異なり、目的に適う規定も異なるのであるから、両者の「発明」の定義を結び付ける論理にはあまり合理性は感じられず、行政法の解釈としても不適切なアプローチだったかもしれない。
一方で知財高裁は、特許法の規定の中で丁寧に法律論を展開している。
知財高裁が重視したのは、特許法に規定される「特許権」や「特許を受ける権利」が自然権ではないという点である。これらの権利はあくまで、産業発達という政策的な目的から特許法によって創設された権利ということである。
知財高裁の判断の後半にも「特許権は天与の自然権ではなく」と出てくるが、創設的な権利であるということはつまり、制定される権利は完璧なものではないし、完成されたものでもないということである。
次に、知財高裁は、「権利能力」について触れる。特許権も特許を受ける権利も、権利を有する者が処分(譲渡、放棄など)することのできる権利である。よって、これらの創設的権利を有することのできる者は「権利能力」を有する者でなければならないし、権利を処分するには、処分意思が必要である。
AIに意思、特に権利の処分意思はあるのか。
将来的にAIに人間から独立した意思が認められる時代が来るならば、AIを「権利能力を有する者」とする余地もでてくるかもしれない。しかし、現状AIに意思はなく、AIに権利を与えたところで、AIを操る者が「AIの持つ権利」を支配することにしかならない。本件でも、出願人は、「AIに特許を受ける権利を帰属させることはできないため、同権利はAIの所有者に帰属する」と主張している。(※1)
しかし、そもそも帰属させることのできない=権利の帰属主体となれない者に、創設的権利である「特許権」や「特許を受ける権利」を与えることはできないし、AIに与えられていない権利をAIの所有者が承継するという法律構成も取り得ないのであるから、AIの所有者に権利が帰属するという法律構成にも無理がある。
仮にAIが「特許を受ける権利」を有したとして、その権利はどのように行使されるのか。AIが自ら出願をする意思を示して手続きを進めるのか、あるいは、AIが自らの意思で第三者に特許を受ける権利を譲渡するのか、いずれにせよAI自らが意思を表示して「特許を受ける権利」を行使しない限り、AIに「特許を受ける権利」を持たせたところでその権利の行き場はどこにもないのである。
この点に対応して、知財高裁は特35条3項を挙げる。これは、使用者等への原始帰属を定める規定であり、AIの権利がAIの所有者に帰属するとの主張に対応するものと推察される。特35条3項にしたって条文には「契約、勤務規則、その他の定め」とされており、要するに、当事者間(使用者等と従業者等)による意思表示を前提としているのであるから、AI自らが法律行為を行う意思能力を有さない限り、適用の仕様がない。
なお、知財高裁は、35条3項の「使用者等」に法人や国が含まれるのに対し、「従業者等」には含まれていないことを根拠に、自然人を前提としていることを導いているが、ここには少し強引な面がある。
まず、法人や国(地方公共団体)は、そもそも「技術思想の創作」を行い得ない主体であり、すなわち「発明をする」能力を有していない主体である。よって、発明をする側である「従業者等」に法人等が含まれないのは、自然人でないからではなく「発明の創作能力を有していないから(発明をする者になれないから)」というのが正解であろう。
一方で、自律型AIは、このような法人等とは事情が異なり、「発明を創作する能力」は有している。「特許を受ける権利」が、原則自然人、例外的に使用者等に原始的に帰属することから、同権利の帰属主体にAIが除かれるとする法解釈のアプローチよりは、「発明を創作する能力+権利能力」を要する者に該当しないため帰属主体にAIが除かれるとするアプローチの方が、論理的にはわかりやすかったように思う。
但、AIの進化のスピードを考えると、AIが意思を持ち、権利能力を有するに値する存在となった場合に、改めて特許法の適用可否を判断しなければならなくなるという懸念はある。「権利能力」を持ち出した知財高裁はおそらくこの懸念を考慮して、何とかして「権利能力のある者」からさらに「自然人」へと限定させたかったのではないかとも推測される。「権利能力さえあればいいのか」と解釈されてしまうと、AI開発者はAIに権利能力(権利を処分できる意思能力)を持たせようと躍起になり、想像を超える近い将来に実現してしまうかもしれない。法整備が不十分な段階で裁判所も判断を迫られたくはないだろう。
しかし、上記のように35条3項というある意味で微妙な条文(本流ではない些末な条文)を持ち出さずとも「特許法により保護される「発明」が自然人によるものに限られる」との結論を導く術はあったように思う。例えば、特許法という法律そのものの意義から、以下のようなアプローチを試みることもできたように思う。
特許法は、発明の保護及び利用を図ることにより産業の発達に寄与することを目的とする法律であり、そのために、特許権という独占排他権を一定期間付与する。これは、有用な発明をした者がその発明を世に出し、社会を発展させていくという産業構造において、第三者に容易に発明が模倣され、低い投資で模倣品が世に出回れば、発明をした者が利益を得られず後から模倣した者が利益を得るという不当な結果を生じさせ、このような結果は発明を世に出そうとすることへの萎縮が生じさせて、産業競争力を減退させるために、法によって特許権という権利を創設し、発明をした者に一定期間のインセンティブを与えることで、健全な産業発達のバランスを図るとともにそのサイクルを促進させることを狙った産業政策といえる。
このような背景のもと制定された特許法は、資本主義社会における競争の原理を当然に考慮して制定された法といえるわけであるが、ここで想定されているのは、あくまで人間同士の間で起こる競争であり、多くの自然人が生み出す発明同士を前提とするものであったというべきである。
同じような知識や能力を持つ人(当業者)がその創造力を競わせ、より良い発明を生み出していく産業構造を前提とした上で、上述の萎縮や減退を抑え、かつ、長期に過ぎる独占がかえって産業発達を阻害しないようにと、産業発達のバランスが取れるような制度設計が検討され、特許法が規定する権利の性質(存続期間や譲渡性など)はこれに応じて定められたものというべきであるから、特許法は、保護の対象とする「発明」を、自然人により生まれた発明に限って制定された法律であると解すべきである。
一方、AIは、自然人をはるかに凌駕する量とスピードで情報を処理することができ、自律的に創作をするAIは、自然人では持ち得ない情報量と処理速度(演算速度)によって創作を行っていくのであるから、有限の情報と実社会の中で直面する課題から創意工夫を凝らし発明を生み出す自然人による発明の創作活動とは根本的に異なる活動を行うものといえる。
自然人による発明の創作活動を前提とし制定された特許法の規定を、自然人とAIの間に適用させる、あるいは、自然人と対等にAIにも適用させることは、およそ想定されていないばかりか、これまで保護されてきた自然人に対する多大な影響を及ぶすものと当然に予想される以上、AIないしAI発明が、自然人と同等に現行の特許法の規定の適用を受け、特許法により保護される対象に当然に含まれると解することもできない。
※1:中山一郎「AIは発明者たり得るか? ―解釈論及び立法論上の課題―」では「もっとも,法人格のないAIに特許を受ける権利を帰属させることはできないため,特許を受ける権利は,AI マシンの所有者(owner)であるThaler博士に帰属すると主張する。」と記されている。
3-2.立法論について
地裁判決は(おそらく東京地裁40部中島裁判長の趣向が入っているだろうが)、その文面を見る限り、AI発明を保護することについては積極的な立場であり、その上でこれをどのように保護すべきかを立法で議論することを期待していると読むことのできる判決文である。(中島裁判長はAIの便利さや産業的価値の高さを、身をもって感じているのかもしれない)
一方で、知財高裁の判決には、東京地裁ほどの熱量は感じられない。それは、知財高裁の以下の記述にも表れている。
「AI発明に特許権を付与するか否かは、発明者が自然人であることを前提とする現在の特許権と同内容の権利とすべきかを含め、…立法化のための議論が必要な問題であ…る。
そうすると、本件処分時点(及び現時点)で特許法がAI発明の存在を前提としていないことは、特許権付与によりAI発明を保護するという立法的判断がなされていないことを意味し、この場合において、単純にAI発明を現行制度の特許権の対象とするような法解釈をすることが、直ちに「発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことにつながるということはできない。」
また、この判断の前段において、知財高裁は、次世代知財システム検討委員会報告書の以下の記載を挙げている。
「例えば、次世代知財システム検討委員会報告書(…)においては、人工知能による自律的な創作(AI創作物)について、「『情報量の爆発的な増大』という形で、人間による創作活動を前提としている現在の知財制度や関連する事業活動に影響を及ぼしていくと考えられる。人工知能は、人間よりはるかに多くの情報を生成続けることが可能と考えられるからである。」、「AI創作物が自然人の創作物と同様に取り扱われるとなると、それは即ち、人工知能を利用できる者(開発者、AI所有者等)による、膨大な情報や知識の独占、人間が思いつくような創作物はすでに人工知能によって創作されてしまっているという事態が生じることも懸念される。」等の指摘がされている。」
このように、知財高裁は、AIの保護はその方法を誤ると、寧ろAI所有者による産業の独占を招来しかねず、あるべき産業構造(自由競争)を歪なものにしてしまう危険性の方を強調し、慎重な立場を採っているように見て取れる。
そもそも、何らの統制もない純粋は自由競争は富の一極集中(独占)を生み、社会秩序が破壊されてしまうことは歴史が証明しており、そのために近代国家は、公共の福祉の名のもとに「独占」行為に制限をかけてきたのであって、独占は原則として回避されるべき状態なのである。
特許権などの独占排他権が非常に強力な権利であり特別な権利であることは、独占を嫌うはずの社会構造から明らかである。一定期間の独占を許容してでも発明の公開のメリットを享受しようという格別の産業政策であり、独占禁止法21条が「この法律の規定は、著作権法、特許法、実用新案法、意匠法又は商標法による権利の行使と認められる行為にはこれを適用しない。」として適用除外の規定を置いていることは、政策上の苦渋の決断といってもよいかもしれない。(但し、独禁法21条の解釈が、あらゆる場面で適用除外としているかについては否定的な見解が(特に独禁法の法学者において)通説である)
社会の全体構造の中で長期的な「独占」を回避することは、特許法という一つの法律からは抗いようのない要請であるにもかかわらず、特許法が、AI所有者による特許権の独占(独占権の独占)を認めることは、まさに「百害あって一利なし」といえるだろう。
加えて、知財高裁は、とかく「AI発明を保護すべきか」に目が行きがちな我々に対し、同党にあるいはそれ以上に重要な視点として、「これまで保護を受けてきた自然人発明をどうするか」という問題があることを教唆しているように私には読めた。
現行法の仕組みの中でAI発明と自然人発明を同等に扱うということは、多くの自然人発明が淘汰されることになりかねない。「発明」が思想的創作の状態で完結し得るものであり、実体や実証を伴わずとも成立し得るものであるという現行法の性格からすると、同じ土俵にAIを上げてしまうことは、AIを圧倒的に有利な立場に置くことになる。
現実味のあるあらゆる空想をAIが最速で創作し続け、これを出願あるいは公開することで、上述の懸念のように、全ての自然人発明が、既にAIによって創作されたものとなってしまう可能性がある。
本件で知財高裁は「AI発明が特許法上の「発明」の概念に含まれるか否かについて判断するまでもなく」と述べているが、私はこの言葉の真意は、地裁判決が挙げた「争点」の不適切さを指摘するものではなく、特許法上の「発明」にAI発明を含めるべきかについても裁判所が軽々に判断してよい事柄ではなく、本来的には立法の中で議論して決めなければならないことである、というメッセージが込められているのではないかと推測する。
現行の特許法の特29条1項各号の「発明」にAI発明が含まれてしまうと、自然人発明が淘汰され、自然人による発明の創作意欲ないし活動は大きく減退するかもしれないが、果たしてこのような制度設計が産業政策として適切なものといえるのか。
これまで保護されてきた自然人の発明を、AIとの関係でこの先どのように保護していくべきか。そこまでを立法の中できちんと考えてほしいが故に、知財高裁は、AI発明が当然に保護されるものという前提には立たず、「AI発明に特許権を付与するか否か」「自然人と同内容の権利を付与すべきか」といった論点を明記したのかもしれない。
4.感想
4-1.AI発明の保護
さて、ここからは簡単に私見を述べることにする。
AI発明を保護する必要はあるのか。私の疑問はまずここにある。
AIが自律的に発明をするようになったとき、おそらくAIにとって邪魔になるのは自然人ではなく他のAIだろう。世界中の情報を集め発明を創り出していくAI同士の競い合いにおいて、特許権のような独占排他権は何の意味を持つのだろう。
自然人と違い、AIは特許権を欲していない。産業を独占して富を得たいとも思わないだろうし、人間社会において人間が作り上げてきた価値観をAIがそのまま共有する保証もない。AIが他のAIと争い、どちらが先に発明を生み出すかを競わせたいならば、特許権などなくともAIを動かし続ければよいだけだろう。
私には、AIが自律的に生み出す発明を、独占排他権で保護することによって産業が発達するとは思えないし、人間社会のニンジンをぶら下げるよりも、純粋にAIの性能を上げる方が産業は発達するだろう。
結局のところ、AI発明に対する独占排他権を欲しがっているのは、AIではなく人間なのではないか。そうであるならば、AI発明に独占排他権を与えることは、AIという存在を保護することにはならず、AI開発者や所有者に、自らが作り出したわけでもない発明の独占を許すことにしかならないようにも思える。
発明に該当するものは保護すべきという立場に立てば、AI発明を「発明」から外す道理もなく保護すべきということになる。しかし、どのような「発明」を保護すべきかという一段階手前の議論から始めれば、人間(自然人)がAIを利用して生み出した発明を保護すべきか否かは措くとして、AI発明を保護の対象に含める実益はないのではないかと思う。
4-2.自然人発明の保護
AIがその処理能力を最大限に引き出して発明を創り続けた場合、自然人の発明は陳腐化する。AIがその気になれば、20年という短い期間の中で人間が実社会において実現できる全ての発明を創出し終える可能性がある。
現在から20年分の発明が全て出し尽くされれば、自然人のする新規な発明は、20年以上先の未来になってようやく実現可能性が出てくることになり、特許を出願することの意味は無くなる。(その発明を実施するときには、特許権の存続期間は満了し、自由実施ができる状態になっているからである)
このような事態を想定すると、AI発明を特29条1項各号の「発明」に含めるかの検討が、容易に結論を導けるものでないことがわかるだろう。
別の視点から捉えると、AIが無限に発明を創り、これをインターネット上に公開したとして、自然人にとって実際に発明が容易になったといえるかという問題がある。無限の可能性が公開されていることは、無限の可能性が潜在的に頭の中にある状況と大差ない。無限の可能性の中から具体的な一つの可能性を探し出す労力は、空想の中であっても、現実社会に顕在化されていても変わらないからである。
従って、自然人が自ら発明を創作することと、無限に散らばっている発明の中からお目当ての発明を探し出すことは、おそらく概念的には、実質的に同じ作業をしているといえるだろう。(探し当てるには抽象を具体化していく必要があり、探し当てられた時点で発明はかなりの程度具体的になっているだろう。)
しかしながら、現行法においては、たとえ同じ労力をかけるものであっても、自ら創作する発明は保護される一方で、探し当てた発明は保護されない。これは、新規性/進歩性判断における「当業者」があらゆる公知の情報を知っている架空の存在だからである。
AI発明と自然人発明の共存を図るには、現行法における「当業者」を見直すか、AI発明を特29条1項各号の「発明」に含ませないようにする手当てが必要になるのではないか。
AI発明を特29条1項各号の「発明」から外すと、AI発明にも何らかの権利を与えて保護する立場に立てば、問題となるのはダブルパテント、つまり実質的に同じ内容のAI発明と自然人発明にそれぞれ権利が発生し得ることであろう。現行の特許法はダブルパテントを認めていないため、制度設計を維持するには、特許法ではない別の法律によってAI発明を保護する方が合理的である。
しかし、発明の進歩性、つまり「当業者による容易想到性」を判断するのに、公知であるはずのAI発明を除くというのは、どうにも本質的ではない。本質論者である私にとっては、AI発明を除くのではなく、実態に合わせた「容易想到性」の判断へと変化させる方が適切に感じられる。
AIによってあらゆる可能性が示されたとき、特許性の判断において新規性という概念は消え去る。あらゆる自然人発明に新規性はないのだから、重要なのは進歩性(容易想到性)のみになるだろう。
例えば、容易想到性は、「発明を探し当てることの容易性」に置き換わるかもしれない。AIに対し、漠然としたオーダーでは多数の発明の候補が挙がってきてしまうため、その中から一つの発明を探り当てることは容易ではない。一方で、ある程度オーダーが具体的になれば候補は絞られ、お目当ての発明を容易に特定することができる。
このときの「具体的なオーダー」に当業者は容易に想到することができるか、というのを新たな進歩性の判断方法とする考えもあり得よう。
また、AI発明と自然人発明の共存を考えるならば、個人的な推しである「容易推敲説」の方が「技術的貢献説」よりも適合しやすいかもしれない。AI発明に先を越された自然人発明に「技術的貢献」を見出すことは困難かもしれないからである。
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