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コラム:進歩性判断の法律的アプローチと実態とのギャップ

コラム:進歩性判断の法律的アプローチと実態とのギャップ

 法は、要件の充足によって効果を発生させる。言い換えれば、法の適用において、法効果の発生には、要件の充足が必要である。

 この「要件の充足」についてはしばしば、法的評価を行うための法的テクニックが用いられる。このテクニックは、いわば法律判断のためのテクニックであり、実態に忠実に作られるものではない。

 例えば、刑法では、構成要件→違法性→責任の順に評価がされていき、構成要件の充足が認められ、違法性阻却事由がなく、責任阻却事由がなければ、犯罪が成立する。しかし、実際に犯罪行為を行うものは、構成要件を充足させてから、違法性の有無を考え、違法性があると感じた場合に自己の行為の責任と向き合うわけではない。
 より本質的に、その行為に対する犯罪成立の有無(可罰性の有無)を判断するならば、実態に合わせて、構成要件、違法性、責任の全てを同時並行的かつ総合的に判断すべきであろう。
 行為者が一連の行為の中で、どの時点で故意を抱き、どの時点から違法性を認識し、犯意(悪意や凶暴性)の強弱がどのように変遷していったかは、その行為の凶悪性にも関わってくるため、本来であれば量刑の軽重にも影響するといえるだろう。

 しかし、このような判断の複雑化はかえって裁判所の判断の公正(裁判官による判断のばらつきを抑えるという意味での公正)を阻害してしまう惧れがある。複雑に入り組んだ判断をさせるほどに、人間の判断は主観的なばらつきを生みやすくなるのである。したがって、構成要件→違法性→責任の順に判断した方が、判断者の判断のばらつきはなくなり、統一した法的判断(法的評価)が実現しやすい。

 しかしながら、このような法律的テクニックに、判断の公正(統一性)確保というメリットがあるからといって、デメリットそのものが消えるものではない。上述したように、テクニックとしての判断方法は「実態とのギャップ」を生むのである。

 また、当然にそのギャップには、本来あるべき結論を誤らせるリスクがある(ギャップが存在する以上、この可能性をゼロにすることは理論的に不可能である。)。

 それゆえに、法律判断における便利なテクニックがあるからといって、それが本質を規定しているものと錯覚してはならない。得てして、法律に陶酔するものは、その判断手法を正義と誤信することがある。
 だが、間違ってはならないのは順序である。法律判断から本質が導かれるのではなく、司法や立法は、本質に準じた法律判断の仕方を模索しているに過ぎない。間違っても、その法律判断のテクニックから、その判断手法の本質を導こうとしてはならないのである。この点は、後に紹介する「進歩性判断における動機付け」の話が非常にわかりやすいだろう。

 今回は、特許要件における進歩性の判断について、確立された判断手法(フロー)と実態のギャップについて考えてみたいと思う。

はじめに.進歩性の判断フロー

 進歩性判断は、極めてシステマチックに判断フローが形成されているものといえるだろう。本願発明の認定→引用発明の認定→一致点及び相違点の認定→容易想到性の順に判断が進められていく。

 また、容易想到性の判断では、進歩性を肯定する事情と否定する事情を総合的に判断して動機付けが認められる場合に、阻害要因がないかを判断し、予測できない顕著な効果を判断する。このように切り離されたフローは、実に形式的であるがゆえに、数々の点で違和感を覚えるのである。

その1.「動機付け」と「阻害要因」の分離

 どうやら、それなりに多くの実務家や弁理士が、阻害要因を動機付けとは別の要素として捉えているらしい。私から言わせれば、なぜそのような可笑しな考えを維持できるのか不思議でならないが、進歩性の判断において「動機付け」と「阻害要因」が分かれているのは、まさに法的な便法に過ぎない。

 少し考えてみればわかるだろう。実態的にみて、当業者において、一旦動機付けが認められた後で、やっぱり動機付けが認められなくなる、という現象は起こらない。一度適用の動機付けができたならば、その事実は後からどんな事実をかぶせても無くなりはしない。もし、一度出来上がった動機付けを消したいのならば、その人の記憶を抹消して一から判断しなおしてもらうしかない。
 つまり、阻害要因とは、実質的には、動機付けができた後にそれを阻害するものではなく、「動機付けができることを阻害する」要因なのであって、「動機付けがあるかないか」の判断の材料の一つに過ぎないのである。

 それでは、なぜこのような区分けがされているか。その答えは、ピリミジン大合議判決がわかりやすく示してくれている。要するに、主張立証責任の分配のためにこれらは法的テクニックとして分離されたのである。

 動機付けがあることについての証明は特許庁側が行い、阻害要因については出願人側が主張立証しない限り、特許庁がこれを判断する必要はないとするのが負担の公正な分配であるために、「阻害要因」は「動機付け」から切り離されたに過ぎない。
 そのため、判決文を読めばわかるが、裁判所が進歩性を判断するときには、「動機付けは認められるが、阻害要因によって結果的にその動機付けは認められない」などとは言わない。双方の主張を踏まえ、総合的にみて動機付けが認められるならば「阻害要因は認められず、動機付けがあるといえる」となるし(実際には「動機付けがあるといえる。また、阻害要因は認められない。」という説明の順序になる。)、動機付けが認められなければ「阻害要因があるため動機付けはない」となるのである。

その2.「副引用発明の適用」のあとに「設計事項」

 進歩性判断において、本願発明と主引用発明との相違点に対し、副引用発明の適用と設計事項が判断される。あるいはこの両方を判断することがある。

 ほとんど全ての実務家が「それが当たり前」と思って意識もしていないと思うが、「副引用発明の適用」と「設計事項」の判断において、「副引用発明の適用」を先に判断するというのも、当業者の思考プロセスからはおかしいのである。

 当業者において、「設計事項」と「副引用発明の適用」とでは、明らかに設計事項の方がハードルが低い。設計事項とは、その名の通り、例えばその「物」の製造において当然に設計的に検討される事項なのであるから、当業者は物づくりにおいて当たり前に(自然な思考プロセスとして)その事項について検討している。
 一方で、「副引用発明の適用」とは、極端に言えば、主引用発明にとって異物(そこに記載されていない技術的事項)を持ってこようとするものであるから、その適用の可否については、設計事項ほど容易に判断できるものではない。

 つまり、実態に即して考えるならば、「主引用発明に設計事項を加えたもの」と本願発明を対比して残された相違点が、副引用発明として持ってくるべき発明といえるのである。

 例えば、ある相違点に対し、副引用発明の適用と設計事項のどちらからも「容易」といえる場合を考えてみる。
 当業者の自然な思考プロセスからすると「設計事項を組み合わせただけだから容易」なのであるが、副引用発明の適用を先に判断する進歩性判断のフローでは、「副引用発明を適用することが容易」となり、実態に即した真の進歩性のハードルよりも高いハードルの発明として評価した上で、容易であると結論していることになる。(本来は、設計事項という低いハードルの発明にもかかわらず、副引用発明の適用という設計事項よりも高いハードルの発明として評価している)

 結論に相違はないという意味で、この例では問題にならないかもしれないが、複合的な組み合わせの判断になると、その結論を異にすることもあり得るだろう。本来であれば「設計事項+副引用発明の適用」で進歩性なしと評価されるべき発明が「副引用発明の適用+副引用発明の適用」から、容易の容易として進歩性ありと評価される可能性はゼロとは言えないだろう。

その3.構成としての容易想到から切り離された「予測できない顕著な効果」

 予測できない顕著な効果ほど、違和感を生じさせる法的テクニックはないだろう。この要素を進歩性判断に組み込むためだけに、「発明に容易に想到する」という言葉と「請求項の構成に容易に想到する」という言葉を無理やり分けているくらいである。

 理論的には、請求項の構成に容易に想到するならば、それは発明に容易に想到するということである。しかしながら、ここでもやはり、証明責任の分配によって、「予測できない顕著な効果」は阻害要因と同様に、切り離されてしまうのである。

 しかし、阻害要因と異なるのは、阻害要因は最終的には裁判所によって「動機があるか否か」の判断の枠組みに組み込まれる一方で、予測できない顕著な効果は、それだけが独り歩きしてしまっているという点である。そのために、予測できない顕著な効果が認められるときは、「構成には容易に想到するが、発明には容易に想到しない」などという詭弁のような論理が展開されてしまう。

 率直に言って、進歩性判断における「予測できない顕著な効果」の枠組みは、進歩性の本質からあまりにギャップが大きく、現状の進歩性判断のフローは著しく美しさに欠けたフローとなってしまっているのである。

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