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令和5年(行ケ)第10053号 取消決定の取消請求事件(三井化学他 vs 特許庁)

無料公開 29条:「パラメータ発明」における「後知恵」の問題
会員限定 29条:体系的にみた「実質的相違点性」の類型
2024/6/24判決言渡 判決文リンク
#特許 #29条 #実質的相違点

1.概要

  本件は、三井化学株式会社及び国立研究開発法人産業技術総合研究所(以下、「三井化学ら」という。)が特許第6781864号(以下、「本件特許」という。)に対する異議申立てを受け(異議2021-700369号)、特許庁が請求項1、3~18を取り消した決定に対する取消訴訟である。本件で知財高裁は取消決定を取り消す旨の判決を出した。

 異議申立ての中で請求項は訂正されており、訂正後の独立項は、以下の請求項1(以下、「本件発明1」という。)と請求項6(以下、「本件発明6」という。)である。

【請求項1】
1A 支持枠の開口部に張設される露光用ペリクル膜であって、前記ペリクル膜は、厚さが200nm以下であり、前記ペリクル膜は、カーボンナノチューブシートの自立膜であり、
1B 前記カーボンナノチューブシートは複数のカーボンナノチューブから形成されるバンドルを備え、前記バンドルは径が100nm以下であり、
1C 前記カーボンナノチューブシート中で前記バンドルが面内配向しており、
1D 下記条件式(1)を満たし、
1G 前記カーボンナノチューブシートは、面内配向した前記バンドル同士が絡み合った網目構造を有し、
1H 前記カーボンナノチューブの径が0.8nm以上6nm以下である、
1I 露光用ペリクル膜。
(1)カーボンナノチューブシートの断面の制限視野電子線回折像において、前記カーボンナノチューブのバンドルの三角格子に由来する前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の、回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける回折強度と、前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の前記ピークと重ならず、ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける回折強度との差を、前記膜厚方向の前記ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度と、前記膜厚方向の回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度との差で除した比Rが0.40以上である。

【請求項6】
 カーボンナノチューブの径が0.8nm以上6nm以下であり、
 カーボンナノチューブの長さが10μm以上10cm以下であり、
 カーボンナノチューブ中のカーボンの含有量が98質量パーセント以上である、カーボンナノチューブシートの自立膜であるペリクル膜であって、
 前記カーボンナノチューブシートは複数のカーボンナノチューブから形成されるバンドルを備え、
 前記バンドルは径が100nm以下であり、
 前記カーボンナノチューブシート中で前記バンドルが面内配向し、下記条件(1)を満たし、
 前記カーボンナノチューブシートは、面内配向した前記バンドル同士が絡み合った網目構造を有する、ペリクル膜。
(1)カーボンナノチューブシートの断面の制限視野電子線回折像において、前記カーボンナノチューブのバンドルの三角格子に由来する前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の、回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける回折強度と、前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の前記ピークと重ならず、ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける回折強度との差を、前記膜厚方向の前記ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度と、前記膜厚方向の回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度との差で除した比 Rが0.40以上である。

 異議決定(取消決定)では、請求項1に対しては、引用文献1に基づく新規性欠如、引用文献1~3に基づく進歩性欠如、及び、29条の2(拡大先願)違反と判断され、請求項6に対しては、引用文献1~3に基づく進歩性欠如と判断された。

 争点は、引用文献1との関係で「引用発明の認定」「実質的相違点性」、引用文献2との関係で「引用発明の認定」、引用文献3との関係で「引用発明の認定」「容易想到性」であり、知財高裁は、太字の「実質的相違点性」「引用発明の認定」「容易想到性」について異議決定の判断には誤りがあるとした。

 引用文献1に係る「実質的相違点性」の争点は、上記請求項1における構成1Dの条件式(1)である(請求項6も同じ内容の構成が争点)。
 引用文献2に係る「引用発明の認定」については、特許庁側は実質的な反論を行っておらず、知財高裁も三井化学らの主張を全面的に採用しているため、特段争うような論点はなく、わかりやすいミスだったものと推察される。
 引用文献3に係る「容易想到性」については、引用文献1に係る実質的相違点性と同様の判断を踏襲することで判断誤りが導かれているため、こちらも判断誤りのポイントは「実質的相違点性」にあるといえよう。また、拡大先願についても「実質的相違点性」の判断誤りによって異議決定に誤りがあるものと判断された。

 以上から、本件の取消判決に係る主な争点は「実質的相違点性」にあったものといえる。以下に、実質的相違点性についての当事者の主張及び裁判所の判断を記載する。

三井化学らの主張(判決より抜粋)
「本件決定がR0.4以上事項が実質的な相違点でないと判断する理由は、本件発明1のR0.4以上事項はCNTのバンドルが面内配向していることを特定するものであり、引用発明1は面内配向しているものを想定しているから、「CNTペリクル膜中でバンドルが面内配向し」ているものである以上引用発明1もR0.4以上事項を満たすことになるというものである。
 しかし、本件発明1は、「前記カーボンナノチューブシート中で前記バンドルが面内配向しており」との構成(構成1C)に加え、「下記条件式(1)を満たし」としてRが0.40以上であるとし、面内配向が高度であることをRの値により特定しているのである(構成1D)。
 引用文献1の図11(a)(b)及び10頁5~8行には、CNTの配置に関する近似モデルが示されているだけで、実際に作製したCNT膜が配向していることも記載されず、まして、どの程度の配向性を有しているかも記載されていない。
 被告は、R0.4以上事項は薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば通常満たしている旨主張するが、「薄膜自立無秩序SWCNTシート」なる本件決定に記載もない概念を導入するもので不当であるし、この「薄膜自立無秩序SWCNTシート」が本件明細書の実施例1と同様にR0.4以上事項を満たしているとは限らない(甲40の実験結果参照)。」
特許庁側の主張(判決より抜粋。下線は付記)
「原告らは、R0.4以上事項が実質的な相違点である旨主張するが、R0.4以上事項は、通常の発想のもとで、通常の性状のSWCNT及び通常用いられるプロセスで製造された薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、通常、満たしているといえるものである。
 Rは、CNTのバンドルの三角格子に由来する特定のピークについて、ベースラインとなる強度を差し引いた上での、面内方向におけるピーク強度と膜厚方向におけるピーク強度の比によって定義される(本件明細書【0099】)ところ、面内配向が強いほどRBの値は大きな正の値となり(【0103】)、0.40以上では面内配向しているとされている(【0104】)。そして、膜厚200nmかつ径が100nmを超えるバンドルが見られない自立膜に係る実施例1では、Rが1.02(【0188】、【0190】、【0192】)である一方、膜厚200nmかつ径が100nmを超えるバンドルが観察された非自立膜に係る比較例1では、Rが0.353(【0194】、【0196】、【0197】)であるとされている。
 薄膜自立無秩序SWCNTシートは、膜厚、バンドル径及び自立性のいずれの観点においても、比較例1よりは実施例1に相当程度似通っている。その上、そもそも比較例1のRの値(0.353)がRB0.4以上事項の下限である0.4に相当程度近く、さらにRの値には一定程度の不確定性が入り込まざるを得ないことをも考慮すれば、比較例1よりも実施例1に相当程度似通っている薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、R0.4以上事項を満たしているというべきである。さらに、上記のとおり、Rの値は面内配向が強いほど大きな正の値となるところ、膜厚が薄くなれば、SWCNTバンドルがシート表面方向に沿う程度がより大きくなることから、当該シートは、より明白に、R0.4以上事項を満たすことになる。
 なお、原告らは、バンドルが面内配向したものであってもR0.4以上事項を満たすとは限らないとして甲40の実験結果を提出するが、R測定サンプルの保管が実際にどのような条件で行われていたか確認できず、サンプルの実在も確認できないこと、本件明細書等に記載された実施例及び比較例と実験条件が異なること、当該各R測定サンプルは特性が位置的にみて不均一となっていることといった問題がある。また、R0.4以上事項を満たさないとされるサンプル1、2は一部破損がみられるところ、製造工程にあたって一部が破砕してしまうような膜は、掬い取り前の状態において何らかの問題があるというべきであり、そのような問題のある浮遊体のうち、その後の製造工程において破砕しなかった膜を「自立膜」と評価することは妥当ではない。」

知財高裁の判断(判決より抜粋。下線は付記)
「イ …引用文献1には、Rの数値を特定する記載は一切なく、その示唆もない。また、CNT膜の面内配向性をRによって特定すること自体も、引用文献1その他の出願時の文献に記載されていたと認めることはできず、技術常識であったということもできない。
 ウ 本件決定の上記アの判断は、Rの値が、0.40以上では面内配向しており、0.40未満では面内配向していないことを表す旨の本件明細書等の記載(【0104】)から、本件発明1のR0.4以上事項が、CNTのバンドルが面内配向していることを特定するものであり、引用発明1は面内配向しているものを想定しているから、R0.4以上事項を満たすことになるとの理解に基づくものと解される。
 しかし、本件発明1の特許請求の範囲に照らすと、CNTバンドルが面内配向しているという定性的構成(構成1C)と、R0.4以上事項というパラメータによる定量的構成(構成1D)は独立の構成となっており、本件明細書の【0104】等の記載を踏まえても、引用発明1のCNTバンドルが面内配向の特性を有しているからといって、R0.4以上事項を当然に満たすと判断することはできない
 エ 被告は、通常の発想のもとで、通常の性状のSWCNT及び通常用いられるプロセスで製造された薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、膜厚、バンドル径及び自立性のいずれの観点においても、本件明細書等における比較例1よりは実施例1に相当程度似通っているといえる上、比較例1のRの値(0.353)がR0.4以上事項の下限である0.4に相当程度近いこと等を考慮すれば、比較例1よりも実施例1に相当程度似通っている薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、R0.4以上事項を満たしている旨主張する。
 しかし、被告の主張する「通常の発想のもとで、通常の性状のSWCNT及び通常用いられるプロセスで製造された」との薄膜自立無秩序SWCNTシートの製造方法や、当該薄膜自立無秩序SWCNTシートの「膜厚、バンドル径及び自立性」について具体的に特定する主張立証はされておらず、したがって、「比較例1よりも実施例1に相当程度似通っている薄膜自立無秩序SWCNTシート」の内容も明らかではないというよりほかない。
 かえって、原告ら提出に係る甲40によれば、原告らが引用文献2記載の方法で作製したCNT自立膜(サンプル1、2)ではそれぞれRが-0.38、-0.26であったのに対し、本件発明の完成当時に製造されたCNT自立膜では1.04だったのであり、薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、R0.4以上事項を満たしているともいえない。
 被告は、甲40について、①R測定サンプルの保管が実際にどのような条件で行われていたか確認できず、サンプルの実在も確認できない、②本件明細書等に記載された実施例及び比較例と実験条件が異なる、③当該各R測定サンプルは、特性が位置的にみて不均一となっている、④R0.4以上事項を満たさないとされるサンプル1、2は一部破損がみられるから自立膜とみられないなどと論難するが、①については、サンプル1、2は平成29年4月の開発時に作製したものと推認され、②については、甲40は、「面内配向していてRが0.4未満の膜が存在するかどうか」の点を検証する実験であるから本件明細書等の実施例及び比較例の条件によらねばならないものではない。また、③については、もともとRの測定方法は局所的な断面に対するものであり、R0.4以上事項は、少なくとも一つの断面で0.4未満以上となることを意味するのであるから、被告主張の点をもって甲40に基づく上記判断は左右されない。さらに、④については、甲40では、サンプル1、2について製造過程で一部破損があったとしても、自立膜となったものを測定しているのであるから、やはり被告の 主張は採用できない。
 以上のとおりであって、本件決定には、R0.4以上事項を含む相違点1Aが実質的なものであることを看過し、引用発明1に基づき本件発明1、3~5が新規性を欠くとした誤りがあり、取消事由1は理由がある。」

2.雑感

2-1.判決についての感想

全体的な結果について:納得度20%

 最初に本件の判決文を読み終えた段階では、私の知財高裁の結論に対する納得度は高かった。一方で、なぜ知財高裁はこのようなまどろっこしい判断をしているのかと疑問に思った。

 私の率直な感想は「前審の異議申立てにおける特許庁の決定は、本願明細書の記載を根拠に引用発明を認定しようとするものであり、いわゆる“後知恵”なのだから、当然に不当な判断である」というもので、取消判決の結論は妥当だが、判断はそれだけを簡潔に示せばそれで十分ではないかと思った。

 しかし、改めて本件を見直すと、本件の判断および結論が果たして妥当なものであったのか疑問に思うようになった。そこには、パラメータ発明に対する新規性/進歩性判断の抱える問題が深く関わっている。以下の雑感では、この点について話していきたいと思う。

2-2.「パラメータ発明」における「後知恵」の問題

知財高裁の判断に対する疑問

 本件では、本件発明1における「R0.4以上事項」の意味するところが問題となり、前審の特許庁の決定では「CNT膜が内面配向していること」を特定するものと判断した。
 本判決文の中で、裁判所は、前審の決定を「本件決定の上記アの判断は、Rの値が、0.40以上では面内配向しており、0.40未満では面内配向していないことを表す旨の本件明細書等の記載(【0104】)から、本件発明1のR0.4以上事項が、CNTのバンドルが面内配向していることを特定するものであり、引用発明1は面内配向しているものを想定しているから、R0.4以上事項を満たすことになるとの理解に基づくものと解される。」と評価している。

 前審の特許庁の行った判断(ロジック)が裁判所の述べるものであったとするならば、「本願明細書の記載を根拠に、技術的な意味を判断すること」の是非が問題となる。

 本件発明1の「Rを0.4以上にする」という技術的事項が、本願の発明者によって見出された新たな技術的思想に基づく創作であるならば、その技術的事項が意味する技術の本質も、当然発明者が見出した知見というべきであり、本願出願時前の当業者はこの知見(=技術的な意味)を知らないはずだからである。

 条文にも規定されているように、新規性や進歩性の論理の組み立ては、本願の出願時前に公知となっている情報が対象となる。もし、本願から知り得た事実を新規性や進歩性の判断に用いてよいならば、「本願発明は、本願明細書によって新規性がない」ということになろう。従って、本願によって知り得た情報を用いることは原則的には許されない。これを審査基準では「後知恵」とし、以下のように注意を促している。

審査基準における後知恵に対する留意事項(下線は付記)
「請求項に係る発明の知識を得た上で、進歩性の判断をするために、以下の(i)又は(ii)のような後知恵に陥ることがないように、審査官は留意しなければならない。
  (i) 当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたように見えてしまうこと。
  (ii) 引用発明の認定の際に、請求項に係る発明に引きずられてしまうこと」
「審査官は、請求項に係る発明の知識を得た上で先行技術を示す証拠の内容を理解すると、本願の明細書、特許請求の範囲又は図面の文脈に沿ってその内容を曲解するという、後知恵に陥ることがある点に留意しなければならない。引用発明は、引用発明が示されている証拠に依拠して(刊行物であれば、その刊行物の文脈に沿って)理解されなければならない。」

 そうすると、前審決定は、本願明細書の記載を根拠にして「引用発明が、本件発明1のR0.4以上事項を実質的に備えているか」を判断しているのであるから、まさに後知恵というべきではなかったのか

 しかし、本件知財高裁は、この点に触れることなく、前審決定に対して「しかし、本件発明1の特許請求の範囲に照らすと、CNTバンドルが面内配向しているという定性的構成(構成1C)と、R0.4以上事項というパラメータによる定量的構成(構成1D)は独立の構成となっており、本件明細書の【0104】等の記載を踏まえても、引用発明1のCNTバンドルが面内配向の特性を有しているからといって、R0.4以上事項を当然に満たすと判断することはできない。」と返している。

 上記下線部のように、知財高裁も「本件明細書の記載」を踏まえて、引用発明1がR0.4以上事項を備えているといえるか否かを判断し、その上で、R0.4以上事項を当然に満たすと判断することはできないとしているのであり、後知恵を取り入れて引用発明の認定を行っている

 本願明細書の記載に基づき引用発明を評価するというアプローチが理論上「後知恵」となっていることは容易に気が付くことであり、前審決定が本願明細書の開示に依拠して「R0.4以上事項の意味」を認定しようとしていることも容易に理解できることであるため、知財高裁がこのような「後知恵」の論理構成となっていることに気付かなかったとは考え難い。

 なぜこのような後知恵による判断を制することなく、この判断手法を前提とした上で、判断結果の誤り(CNT膜が内面配向していることを特定しているとはいえない)を指摘するという論法を採ったのか。そこには、本件がRというパラメータによって発明を特定するパラメータ発明であったことが深く関わっているものと推察される。

パラメータ発明と後知恵による認定

 パラメータ発明の問題は、そのパラメータが存在していなかったことで、進歩性が認められ易くなる点にある。
 請求項に表れているパラメータが、新たな技術的思想を表すものであるのか、単に既知の技術を見慣れないパラメータに置き換えて表現したものに過ぎないのか、この違いを判別することが難しいが故に、パラメータ発明は、後者のような不当な特許権の発生に加担しているという実態的問題がある。

 例えば、ある会社Aが既に公知となっている他社Bの製品を購入し、最新の分析技術によってこれを分析した結果、新しいパラメータの特徴を発見したとする。
 このとき、会社Aが、この新しいパラメータが既知の技術の代替的表現に過ぎないことを隠し、何らかの技術的な意味と紐付けて特許出願をすれば、特許権は成立する可能性がは高いだろう。
 単なる代替的表現は、何らの技術的進歩を生んでおらず、産業発展に寄与しないのだが、それにもかかわらず特許権は成立し得るため、会社Aと他社Bのパワーバランスは崩れ、他社Bは製品販売を継続するために、本来必要ないはずの作業(無効資料や先使用のための証拠収集等)を強いられることにもなりかねない。

 パラメータ発明は、理論上、技術的要素の組み合わせの数だけ存在し得るため、その選択肢は実質的に無限に等しい。いわば、発明ではない“人為的パラメータ”をいくらでも作り出すことができ、これによって進歩性が担保され得ることが、この発明の大きな問題となっている。

 後知恵の境界線は、このようなパラメータ発明との間で、非常に重大な役割を担っているのではないか。

 これまで存在しなかった(作出されてこなかった)人為的パラメータをそのまま発明と認め、進歩性があると判断することが、結論として妥当でないことは明らかであろう。しかし、そのパラメータはこれまで作出されなかったのであるから、公知の情報に基づいてそのパラメータを評価することは不可能である。

 パラメータ発明における新たな“人為的パラメータ”の技術的意味を評価するヒントは、本願明細書の中にしかないのである。

 よって、パラメータ発明に「後知恵」を認めないことは、そのパラメータが新規であるというだけでどのようなパラメータ発明であっても(既知の技術の代替的表現に過ぎないパラメータ発明であっても)進歩性まで認められるという結果を是認することに等しい。
 そうすると、後知恵は原則としてNGではあるが、パラメータ発明に対する新規性/進歩性の判断においては、後知恵的な要素が入り込むことも致し方ないというべきであろう。

 本願明細書の記載からこのパラメータの技術的な意味を評価して、引用発明との間でその技術的な意味においての一致性を判断することでしか、新規性や進歩性を判断する有効な手立てはないように思える。

本件発明における「RB0.4以上事項」の技術的な意味

 本件特許におけるR0.4以上事項がどのような意味を有しているのか。新たな技術的思想を表すものなのか、単なる既知の技術の代替的表現に過ぎないのかは、本件発明1の発明性(新規性/進歩性)を判断する上で非常に重要である。

 本件特許明細書には、配向性に関するパラメータとして、RC-C、RB、RFFTなどのパラメータが定義されている。そのうちのRは、カーボンナノチューブの面内方向におけるピーク強度と、膜厚方向におけるピーク強度の比を定義するものである。
 段落【0103】には、面内方向が強いほどRの値は大きな正の値となると説明されている。また、段落【0104】には「Rの値は、0.40以上では面内配向しており、0.40未満では面内配向していないことを表す。」と記載されている。
 本件明細書で示された実施例は、実施例1、実施例2、比較例1、及び比較例2の4つであるが、そのうち、Rの値が記されたのは実施例1及び比較例1だけであり、それぞれ、1.02と、0.353である。実施例1は面内方向に配向しており、比較例1は面内方向へ配向していないことが確認されている。

 Rについてはこれ以上の記載は特にないため、面内方向の配向が強いほどRの値が大きくなることを技術常識の前提とすれば、本件特許においては0.353と1.02の間に、面内配向の有無の境界となる数値があることがいえるものの、その境界が0.4にあるか否かは、さすがにこの2点のプロットだけではわからないだろう。
 そうすると、「R0.40以上事項」の技術的な意味としては、本件明細書の段落【0104】の記載を信じる他ないように思える(別途36条の問題は生じるかもしれないがここではその問題は無視する)。そして段落【0104】の記載を信じれば、R=0.40は、面内配向しているか否かの境界となるはずである。段落【0104】では「Rの値は、~を表す」と記載されているのだから、Rの値が面内配向の有無を表す指標となることが説明されているものと理解するのが自然だろう。

 以上のように、本件特許明細書における発明者の開示に基づくならば、「R0.4以上事項」は、面内方向の配向の有無を特定する代替的パラメータと評価することが、当業者の自然な理解というべきではないかと思う。
 仮にそうでないとするならば、本件特許明細書にはもはや「R0.4以上事項」の技術的な意味を特定できる記載はない。つまり、他に技術的な意味を説明する記載がない以上は、「R0.4以上事項」に技術的意義はないということになろう。

知財高裁が結論に用いた根拠の妥当性

 本件知財高裁は、実質的相違点性の判断において、前審の決定を否定するための論理構成として「しかし、引用文献1には、Rの数値を特定する記載は一切なく、その示唆もない。また、CNT膜の面内配向性をRによって特定すること自体も、引用文献1その他の出願時の文献に記載されていたと認めることはできず、技術常識であったということもできない。」と述べた。

 しかし、上述したようにパラメータ発明は、そのパラメータが従前知られていないものであることに特徴があり、この特徴が、適正な新規性/進歩性の判断を難しくしているのである。
 そうであるならば、「引用文献にRの数値を特定する記載や示唆がないこと」や「CNT膜の面内配向性をRによって特定すること自体が知られていないこと」は、パラメータ発明における前提事項であり、この前提事情を、パラメータ発明の進歩性を肯定する事情の一根拠として用いた本件知財高裁の判断は不当というべきではないか。

 本件知財高裁の上記判断は、「面内配向の有無」という特性の単なる代替的パラメータあるいは技術的意義の不明な無価値パラメータを規定したに過ぎないパラメータ発明が特許権によって保護されることを肯定する立場とも取れてしまうだろう。

 私は、本件知財高裁の上記論理構成には全く賛成することができない。パラメータ発明の問題は既に顕在化しており、本件知財高裁のした判断ロジックは、この問題を助長促進することになりかねないだろう。

 加えて、次に知財高裁は「しかし、本件発明1の特許請求の範囲に照らすと、CNTバンドルが面内配向しているという定性的構成(構成1C)と、R0.4以上事項というパラメータによる定量的構成(構成1D)は独立の構成となっており、本件明細書の【0104】等の記載を踏まえても、引用発明1のCNTバンドルが面内配向の特性を有しているからといって、R0.4以上事項を当然に満たすと判断することはできない。」とも述べている。

 しかしながら、特許法は、特許請求の範囲において、実質的に同じ内容の技術的事項を重複して記載することを禁止していない。独立した2つの構成であることは、これらの2つの構成が異なる技術的事項を示すことの根拠とはならず、たとえ補助的であっても、知財高裁が、自身の直感的結論を導くための根拠として「独立した構成であること」を用いたことは、詭弁に過ぎず、結論を導くための恣意的な判断になっていた可能性が疑われる。

 なお付言しておくと、私は、結論ありきで、結論に結び付く論理を構築すること自体を否定はしていない。しかしながら、結論ありきで判断をするならば、結論を導く論理が恣意的にならないように十分な注意が必要である。十分な客観性と論理的整合性が担保されなければならず、これが担保されない判断ロジックしか構築できないならば、それはイコール“結論が誤っている”のである。いかな裁判所であろうとも、この点の判断は冷静に行ってほしいし、行わなければならないはずである。

 特に、本件発明1において、「R0.4以上事項」は訂正によって追加された事項である。令和2年10月21日の設定登録日時点における本件特許(特許第6781864号)には、独立項どころか請求項のどこにも「R0.4以上事項」は登場していない。出願時の請求項においてそれぞれが独立した構成として記載されているならばまだしも、「R0.4以上事項」は、異議申立における異議理由を解消することを優先にして追加された事項なのである。
 実質的には同じ技術的な意味しか有していないが、単に引用文献に開示されていないという理由だけで、そこに存在していないパラメータを挙げて異議理由の解消を図りたいという思惑があったとしても特に不思議なことではないだろう。

 これらの経緯を踏まえても、独立した構成になっていることが異なる技術であること(「R0.4以上事項」が面内配向の有無を特定するものとはいえないとの判断)の根拠になるとはなおさら言い難いところがある。

 このように、本件の知財高裁がした判断は、「パラメータ発明」という発明の前提的特徴や問題に対して十分に配慮したものとはいえなかったのではないだろうか。

 さて、本判決の講評はこれくらいにして、以降の詳細な考察では、実質的相違点性についての体系的な理解を深めていきたいと思う。

3.詳細な考察

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